安房神社・神戸村道路元標と旧神戸小学校周辺の街並みを歩く
この日は、館山駅からバスに乗って安房神社、安房白浜を目指して一人旅!とても天気が良くて気持ちの良い海沿い探索でした。
旧神戸小学校と神戸村道路元標
千葉県館山市犬石。旧神戸小学校付近。
JR館山駅からバスに乗って国道410号沿い、安房神社の手前でバスを降りた。他の乗客は南側の安房神社を目指すが、私は先に寄り道がしたくて北側を目指す。
国道からガソリンスタンドのある交差点を北西に裏道に入っていく。
旧神戸小学校が見えてきた。避難所の看板が建っている。現在は館山市立房南こども園として利用されている。
旧神戸小学校のプール跡と敷地を囲む外壁も古さを感じる。
そして正門の右手に「旧神戸村道路元標」。ここが神戸村の中心だったのか。
神戸村(かんべむら)は、明治22年~昭和29年に存在した村で、周辺の9か村が合併して成立。犬石に役場が置かれたとのことなので、この近くに役場があり村の中心だったことが窺える。
旧神戸小学校についての沿革は「館山市立房南小学校」のページより引用。平成29年に閉校。意外と最近…!
【旧神戸小学校の主な沿革】
明治 7年 4月 ・布沼小学校,犬石小学校,佐野小学校の3小学校設置
明治12年10月 ・布沼小学校を藤原小学校と改称
明治20年 4月 ・犬石小学校を大成尋常小学校と改称
明治20年 5月 ・藤原小学校校舎改築により洲宮尋常小学校と改称
明治22年10月 ・大成尋常小学校を現在地に移転,校舎を新築し,佐野小学校を統合
大正 2年 4月 ・大成尋常小学校を廃し,神戸村尋常高等小学校を設立し洲宮分校を置く
昭和16年 4月 ・神戸村立神戸国民学校と改称
昭和22年 5月 ・神戸村立神戸小学校と改称
昭和29年 5月 ・町村合併により館山市立神戸小学校と改称
昭和36年 3月 ・洲宮分校を本校に統合
平成29年 3月 ・閉校
学校といえば、門前に商店~と予想通り旧商店の建物が残っていた。小学校の正門近く、国道から一本入った裏道は昭和のままだった。
看板の文字も読み解くことが出来ないが店舗跡は現存しているだけでここに訪れることが出来て良かったと思う。閉店してからだいぶ時間が経っているみたいだ。
文具店?駄菓子屋?よろずやだったのかな?
国道側には神戸郵便局と消防団。
国道を南下し、安房神社を目指そう。
安房神社前~参道
安房神社前のバス停。キリスト教看板だけでなく、東洋証券のホーロー看板など待合室もかなりの年代もの。
安房神社前にある飲食店。この辺りは飲食店があるので助かりますね。
ここから国道を南東へ、安房神社の一の鳥居を目指す。
参道といっても特に閑静な住宅街が広がっている。ゴーゴーマリンホテル、ダイビングショップらしい。
左手にある吉田米屋は5代目、シェイクや甘酒が気になります。
安房神社の白い一の鳥居が見えてきた。ここまで特にお店は無く静かな住宅街。
一の鳥居傍にあるのは、市指定史跡の「大神宮義民七人様の供養碑」。農民一揆の犠牲者の供養碑らしい。千祥寺に祀られている。
安房神社の一の鳥居の門前。淡い期待をしていたがお店は閉まっていた。個人的に門前の雰囲気が好きなのであまりにも静かで残念。昔は売店とかあったのかな…
安房神社 参拝
一の鳥居から参道へ。駐車場が隣接しており修学旅行の団体バスも見受けられた。
館山駅からバスで30分。安房国一宮。旧官幣大社。
地元では「大神宮」と呼ばれ、古くから篤い信仰を集めてきた安房神社である。2670年以上の歴史を刻む。
修学旅行生が写真撮影をしていてじっくり見学できず足早に退散した。
また、境内には千葉県指定史跡の安房神社洞窟遺跡がある。抜歯習俗を示す人骨多数を包含した洞窟遺跡で現在は埋没しているが縄文~弥生時代の墓地の存在も興味深い。
安房神社へ修学旅行に訪れているのはどこの地域の学生なのか気になりながら安房神社を発った。
(訪問日:2022年11月)
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