お休み処「田中家」吉原遊廓の人々が崇拝していた板招きが残る明治元年創業の茶屋 -中山⑸
中山法華経寺、境内に一番近いところにある「田中家」。
真夏だったので休みたく、何気なく入ったお店だった。後から歴史深いお店であることを知り、これは記録しておかなければ!と思ったのである。
法華経寺の参道にあるお休み処
千葉県市川市中山2丁目。中山法華経寺の境内に一番近いところにあるお休み処「田中家」。
ふと、上の看板を見ると、創業明治元年(1868)…
外観は新しいが歴史深いお休み処ではないか!びっくり。150年以上前からこの場所で営業しているのだろうか。
おでんやラーメンなど、しっかりとお腹を満たせるメニューから甘味まで揃っている。
ラムネもいいな~中山の散歩で疲れたら一休み。
板招きの歴史が気になる
店内にもメニューが、と思ったらその上に何やら古い木の板が飾ってある。
これは板招き(いたまねき)というもの。かつてこのように、講(信仰にもとづく行事)で中山法華経寺に訪れる人々を歓迎していたのだと思われる。
「古今東西舎」さんの記事に興味深い内容が記載されていた。
P.285 JR総武線の下総中山駅近くに建つ中山法華経寺は吉原遊廓の人々が崇拝していた。もっとも、ちゃっかり宣伝はおこたりない。参道にある茶店・田中屋をのぞくと、楼主たちがつくった講の板招き(いたまねき)が掛かっている。参拝に訪れた男たちが、帰りに茶屋で一息いれたときに、吉原の自楼の名を印象づけてもらおうといった狙いらしい。 船橋駅から歩く船橋大神宮は、横浜の廓の業者たちが、講をつくって詣で、成田街道に面した玉垣には、寄進した妓楼や遊廓出入りの鳶の頭の名が刻まれている。
吉原遊廓の楼名が入った板招きたくさんあるらしい。この時は意識して撮影してなかったのでまた今度行こう。吉原遊廓の人々が崇拝していた歴史、そして船橋大神宮にもあるなんて気にしてなかったなあ。
2019年の私は、板よりもあんみつに夢中だった。
参道で食べるあんみつはとても美味しくて、ますます中山という街が好きになった。
吉原遊廓との関係性について、今度お店に行ったら詳しく伺いたい。
吉原遊廓についての記事はこちら↓
「吉原遊廓」繁栄の歴史と「新吉原」の現在を探索。日本最大級の遊廓、吉原遊廓を知る -吉原①
(訪問日:2019年8月)
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