千葉ドライブ旅|松崎神社(多古町東松崎)・勝栄山能満寺の鐘楼門・旧ユートピア千代の里
家族とのドライブ旅の続き。
山倉大神から、多古町の松崎神社~能満寺などに立ち寄って帰宅しました。
松崎神社(多古町東松崎)
千葉県香取郡多古町東松崎1747「松崎神社」
前回の山倉大神からの続きドライブ。山倉大神から南へ下ると、「しなの屋」という飲食店が見えてくる。この左手に現在は廃校だが山倉小学校が存在。
そのまま県道114号を南へ、多古町に入り東松崎の松崎神社へ。山倉大神に続いて門前の様子が気になったのです。多古町で最も古い神社。
鳥居の前に並ぶ二つの建物。これは門前の旧商店?2012年頃はタバコを販売していた様子。旅館とかもあったのかな…
旧松崎村。
松崎神社は、宝亀3年(772年)の創建で、かつては「坂東稲荷本宮」と称した。五穀および歌舞音曲の神々として、古くから人々の信仰を集めているらしい。
説明看板によると、平安時代の征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の途中に松崎神社に参詣し勝利を祈願、その他にも源頼朝、北條氏、里見氏、徳川幕府からも篤い信仰を集めてきたとのこと。そこまで有名だとは訪れるまで知らなかった…!
裏手には千葉県指定史跡「北条塚古墳」。
本殿は万治元年(1658年)。
そして境内には周囲約6mの大きなイチョウの木があり、「空海の逆さ公孫樹」と呼ばれている。
多古町指定天然記念物。
伝説によれば、弘仁中期(810~823)諸国行脚で松崎神社に立ち寄った旅僧が道中たずさえてきたイチョウの杖を上下逆さまに地中に挿し、「後世まで繁盛せよ」と念じて立ち去りました。村人たちは杖が根づくはずあるまいと言い合いましたが、数日後に芽が吹き出し、日毎に成長し根をはり枝を伸ばしていく様を見て驚きました。この旅僧こそが高僧として名高い空海だと伝え聞いた村人たちは、「空海の逆さ公孫樹」と名づけ大切にしたということです。
(多古町ホームページより)
また、鳥居の向かいにある大きな椎の木には、樹齢が想像できないほど歴史ある藤が木を覆うそうで春の時期に見てみたい。
厳島神社と池
そして同じく東松崎、先ほどからは県道を西に進む。能満寺を見ようと思って車を停めたら、目の前に大きな鳥居と池があった。
創建は承応2年(1653年)。鳥居の先の階段を登ると厳島神社、境内の大杉が有名らしい。
時間の都合上、厳島神社まではいかなかったが鳥居の傍にある池が気になった。
中央に木製の桟橋、そして池の真ん中にはベンチ…
2014年頃のストリートビューを見ると渡ることが出来たようだ。ベンチの傍には藤が咲いていており良い景観だったのだろう。厳島神社の方まで橋は繋がっていた。
勝栄山能満寺 鐘楼門
厳島神社の向かいにある能満寺へ。
県道からは続く長い階段…!これぞ参道という景色ですね。
そして今回見たかったのが、こちらの能満寺の鐘楼門。
多古町指定有形文化財。「入母屋造り、銅板瓦棒葺の四脚門で扇棰の二軒、妻飾りは虹蟇式である。」
天保9年(1838)に村人たちによって建立された鐘楼門らしい。よく今まで倒壊せずに残っていたな…千葉県内にもこんなに美しい木造社寺建築があるとは。
鐘楼と門が合体したこのアンバランス感がたまらない…!
境内にバスケットゴールがあったのに少し驚き。
そして、鐘楼門の前には「松崎城跡」の案内。能満寺と西側が城跡らしい。
私が訪問した後、2024年3月には松崎城についての説明看板が能満寺に設置されている。
「松崎城の南側には、水運の大動脈であった栗山川に通じる支流が流れており、一方東側には、香取の海に面する要衝地・小見川へとつながる山倉街道や~」と古くから水陸交通の要衝にある城郭だったとのこと。
そう考えると県道127号を川方面へ歩いてみたくなる。
旧千代の里
そしてこの日最後の目的地、旭市飯岡町へと向かっている途中で見かけた不思議な場所。正面にボーリングのピン?
ボーリングのピンには「法螺貝山観音寺入口」?
入口には「ユートピアナイキ千代の里」とあり、テーマパークの遺構のような場所だった。
珍スポット系が好きそう…
隣にある解体会社の先代の社長さんが趣味で建てられたらしく、中に入ることはできない。
「なにこれ珍百景」でも放映されたらしく有名?
2008年に、内部を見学されている千葉の愛しきB級スポット達さんの記事「File 002 法螺貝山観音寺」が詳しい。入口から奥に観音様や建物があり、テーマパーク構想があったのかな…不思議な一角だった。
(訪問日:2023年1月)
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