多古町「御大典記念消防庫」「木食聖人塚」近代建築と史跡巡り

多古町の史跡巡り。前回、廃校の木造校舎である旧興新小学校を訪問したので、北側にある「木食上人入定塚」へ。珍しい消防庫もありました!
御大典記念消防庫
千葉県香取郡多古町大門。前回の木造校舎「旧興新小学校」から北へ1㎞ほど。
県道113号の大通りから目的地に行く道の分岐に建つ道標は「南 多古中村八日市場道」「西 西国参拝記念」と刻まれていた。

多古中村八日市場道の途中に今回の目的地がある。
まずはこちらの小さな倉庫!

特にGoogleマップには記載がない名も無き建造物。だがしかし…
看板には「昭和三年 御大典記念 多古町消防団第四分団 第二班消防庫」とある。

昭和3年(1928)に建造された消防庫と分かる!今から100年近くも前?
御大典記念は、昭和天王の即位御大典を記念した奉祝事業。全国各地に石碑や改修事業などが残っているが、消防庫の事例は初めて見た。

水色の下見板張り壁にモルタル仕上げ?ドイツ壁?小さな洋館の様で可愛らしい。建物内も見てみたい。
近代建築としては情報が少ない建物だが、こういう名も無き近代建築を記録に残していきたい。

消防庫の周辺は墓地。バス停「大門東」の傍なのでバスで訪問することも可能だ。

木食上人入定塚(多古町大門)
千葉県香取郡多古町大門435。先ほどの消防庫の向かいには多古市内では有名?な史跡がある。

稲荷山成就院と木食上人入定塚。多古町指定史跡の木食上人入定塚は説明看板が設置されていた。

木食(俊弁)上人は15歳の時仏門に入り、大門の山中にこもって3年間苦行し、出て諸国修行の後再び大門に帰って成就院を建立したと伝えられる。俊弁は安産・子育てを念願とし、仏の教えと人の道を説いたが、やがて生きたまま仏になる即神仏になって民生の安定と幸福を願おうと決意し、成就院裏に石室を作り、断食行の後静かに入定した。(多古町ホームページより)
木食上人…出家した後に米や野菜を食べず、木の実や山菜のみを食して修行する僧の通称。千葉県にも存在したとは今回初めて知った。
階段を登って稲荷山にある成就院の本堂へ。著名な歴史上の人物を調べるのも良いが、人知れず地域で語り継がれている方が埋もれてしまうのは何だか寂しい。Deepランドでは積極的に取り上げていきたい。



本堂の向かいにある円形の建造物は何だろう?池?


本堂の右側にある石段を登っていくと入定塚がある。

ゴツゴツと足から伝わる石の感触と苔むした風景。たまらない。



小さな小屋があり、その奥に入定塚。

先ほどの参道改修の碑や150年忌供養塔など周辺の方々からの信仰が篤いことが窺える。

また、本堂の左手の方には稲荷神社の鳥居と参道がある。

ちょっと急な階段。成就院側からも境内に繋がっている。






成就院側の階段にある狛犬。台座には女人中と刻まれている。


閑静な集落にある木食上人入定塚と消防団庫。多古町の探索の際にぜひ。

(訪問日:2022年3月)
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