多古藩陣屋跡周辺、下馬通り「高野前商店会」かつての中心街。 -多古⑶
今回は、多古藩陣屋跡へ!かつてはこの周辺に町役場や警察署など公的機関が並んでいたようです。
鳥瞰図や地図を頼りに歴史を調べてみました。
現たこらぼ周辺、旧町役場跡
以前紹介した、多古町魅力発信交流館(たこらぼ)は城山という台地を切り崩した上に建っている。
たこらぼから出発し、道沿いを探索開始。隣に、大きな石碑が建っていたが撮った写真が不鮮明でよくわからず。
道沿いに進んでいく。左手に見えてくる多古町商工会の裏にある弁財天とその池は昔からあるもの。昭和8年の鳥瞰図にも同じ姿が描かれており、「つりぼり」とある。
また、いまは無いが商工会館の隣は消防組合多古分署が存在したようだ。
山村釣具店は閉業している様子だった。釣り堀だけでなく、多古町の東側を流れる栗山川が鳥瞰図に「釣魚好適」と書いてあるので、釣りをする人が多かったのかもしれない。
また、昭和8年の鳥瞰図には現多古町商工会から北側に、多古町役場や出張所、警察署など官公街だったことが窺える。多古町役場は東側に移転している。
また、そのためか、向かい側には御料理「つたや」といった大きな料亭の姿も。この辺りは「高野前」と呼ばれていたようだ、現在も「高野前稲荷社・天神社」に名前が残っている。
御料理「つたや」は面影が無いが、木造2階建ての建物と広い庭があり風情ある料亭だったのだろう。
多古藩陣屋跡
目的地である多古藩陣屋跡は、多古町立多古第一小学校の裏手にある。
高台の上にあるので少し坂を登らなければならない。
多古藩陣屋跡についての説明看板。地図や鳥瞰図入りで丁寧に説明されている。
多古藩陣屋は、現在の多古第一小学校校庭に存在した。標高は15mほど。
江戸時代の多古藩庁が置かれた陣屋は、行政・今日中のための御殿・長屋、倉庫、稲荷社等の建物が置かれ、馬場も備わっていた。
陣屋下の南北にのびる下馬通り沿いに、表門、中門、裏門が並び、石垣市田には堀が築かれ、表門前には朱塗りの橋が架かっていたと伝わる。
今回歩いている通りが「下馬通り」と呼ばれ、門が並んでいたことが分かった。
陣屋は明治になって多古県庁舎に使用され、多古県廃止後の明治六年に競売に付された。なかでも御殿は明治八年、多古学校に当てられ、多古小学校に引き継がれた。
多古第一小学校は明治8年からの多古学校からの歴史ある学校。現在もほとんど変わらない場所に位置している。
当時の遺構は陣屋前に築かれていた石垣の一部が残るのみ。
広い敷地。綺麗なお手洗いもあったので一休み~
多古では歴史に関する説明看板が至る所にあって歴史好きに優しい町…
下馬通り「高野前商店会」
陣屋の下は先ほど書いてあったように「下馬通り」と呼ばれていたそうだ。
右は元自転車店、左は伊勢屋米店。
伊勢屋米店は左側の店舗で営業しているようだ。
その隣には和菓子屋の「白石本店」。今回はここでおやつを購入!
裏道に「高野前商店会」の文字が残っていた。そうか、この通りも商店街だったのか…
錆びた看板に、特約店と書いてあるが何のお店だったのか…
キリスト教の看板…意外なところに残っていたりするので見つけると嬉しい。
また、多古町商工会の会員証も残っていた。
左右にある広六商店。左の広六セレモニーは移転したようだ。
右手の広六酒店は営業中。実は昭和8年の鳥瞰図にも載っている老舗である。
当時は「廣六商店」と記載されており、砂糖、海産、乾物などを扱っていたと書いてある。
また、電話4番と書いてあり、歴史がある商店であることが分かる。
広六酒店の隣に、先ほど紹介した御料理「つたや」があったそうだが今は住宅に。
陣屋跡周辺、明治以後は官公街として発展し現在も老舗が残っていて嬉しい。
(訪問日:2021年8月)
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