文化財「鈴木家住宅」。”赤門”として親しまれた、歴史が深い病院 -館山⑿

館山市沼にある国登録有形文化財の「鈴木家住宅主屋」をご紹介します。一般公開はされていないので外から見学、元病院としても使われた建物で館山の歴史と深い関わりがあるようです。
館山の国登録有形文化財
館山市沼1619。現在は個人宅であり、一般公開はしていないが、外から建物を見学させていただく。前回の赤山地下壕の帰り、館山駅へ向かう途中である。

平成19年に国登録有形文化財に登録された。「鈴木家住宅主屋」「鈴木家住宅蔵」「鈴木家住宅表門」の3つの建造物が存在する。現在の建物は大正12年(1923)に建替えたもの。

館山市のホームページに詳しい歴史がまとめられている。文化財に対してここまで特徴や評価が公開されているのも珍しい…
館山市沼は江戸時代以降,国内沿岸の物資輸送を行う船が立ち寄る湊町として栄えました。そのため沼には、盛岡藩の船宿がありました。
鈴木家は,江戸時代に屋号を「南部屋」といい,盛岡藩の常宿を務めた家でした。明治21(1888)年に旅籠をやめて,医院を始めますが,赤い門柱のある医院ということから,現在も「赤門」の名で,市民に親しまれています。
鈴木家住宅は,横浜の建築家が設計し,関東大震災直後の大正13(1924)年に完成しました。この時,蔵と表門も同時に完成しています。
昭和5(1930)年,近くに館山海軍航空隊が設置されましたが,昭和20年の終戦間際には,海軍将校の社交の場などとしても使用されたことがあるといいます。
盛岡藩の船宿、病院、海軍将校の社交場など様々な歴史が詰まった場所ということが分かる。見学はできないが館内の写真がいくつか公開されているので有難い…

館山海軍航空基地周辺の様子を描いた地図にも、地図の中央辺りに「赤門病院」と描かれている。

当時から赤門病院として親しまれていたのが分かる。赤い門には見えないが、当時は赤かったのだろうか?色に関わらず豪華な門柱だなと感心する…

門は,目地にモルタルが使われ,石が積み上げられた構造です。建築当初は,鉄の扉が付いていましたが,第二次大戦中に供出されてしまい,現在,取り付け金具が残るのみです。
大正13年築の門柱。こんなに重厚な門柱はなかなか見たことが無い。素晴らしいものを見た。
「鈴木家住宅主屋」ほか
この日は残念ながら敷地内に車が停車されていたので玄関の様子は見れなかった。またリベンジしよう。
主屋は、館山港を眺望する位置に建っているらしい。

主屋は和洋折衷様式の木造2階一部平屋建てで,屋根は,2階部分がスレート(石盤)葺,平屋部分が鉄板葺です。正面には,ポーチが設けられています。
1階中央に中廊下式のホールがあり,和風の客間・居間・仏間,台所,洋風の食堂・居間・寝室などが配置されています。2階はすべて洋風の仕上げで,応接間・寝室があります。洋風部分の,床のコルクタイルや壁紙などには,建築当時の内装がよく残されています。

外からは蔵は見ることができないが、木造2階建の主屋東方に建つ内蔵らしい。
昔の古写真、絵葉書などがあったら一度見てみたいな…
(訪問日:2021年8月)
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