菅野駅前の昭和な建物群。かつて菅野は「千葉の鎌倉」と人気を博した別荘地だった

菅野駅前の昭和な建物群。かつて菅野は「千葉の鎌倉」と人気を博した別荘地だった

京成沿いのマイナーな駅?菅野。地図で見たら駅前に商店街が無さそうだと思っていたが、降りたらびっくり!

昭和の建物群が平然と生き残っているではないか…!しかも今、再開発工事の真っ最中なので記録しておかなければと。

「菅野駅」工事中

千葉県市川市菅野2丁目。京成本線「菅野(すがの)駅」へ。

私が訪れたのは2021年2月頃。バリアフリー化の工事が行われていた。

「市川にゅ~す」によると、駅前にはロータリーや公園を新設。駅の風景がちょうど変わっているタイミングで記録することになった。

新しい歩道橋が

菅野は、江戸時代から豪商が別荘を構え、市川真間駅と同様に別荘地として有名に。
追記:江戸時代から明治にかけて大名や日本橋の旦那衆の愛人の町だったため、豪邸が多いと地元の方から教えていただきました。長く住んでいる方の間では有名な話らしい。

戦後は、幸田露伴、永井荷風など文学者が暮らし、現在も高級住宅街だそうだ。

菅野駅、用事がないので降りたことも無く、全然知らなかった…!

菅野駅

まずは南口から探索してみよう。

南口
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菅野駅前の商店街

予想していなかった商店街?らしき建物群!!

昭和の遺産だ

菅野駅南口前に、建物がカーブ上に並んでいる。なんてすばらしい構図!

カーブ沿いに

手づくりハムの専門店「大心苑ハム」は洋風な建物で目立つ。閉店しているのかな。

大心苑ハム

一番端の美容室は営業していた。駅の真下を通る外環道が2018年に開通し、駅周辺の自然豊かな景色も変化している。

美容室

商店街といえるほどの大きさではないな。すぐ先は住宅街だ。

住宅街に

先ほどのハムの店の左には、精肉店「スズキ」。すべて閉店しているから、地図に載っていなかったのだろう。見落としていた。

精肉店「スズキ」

その隣は入り口が自動販売機で埋められている。

自動販売機が並ぶ

食品菓子「越後屋」菅野駅前店。2009年のストリートビューでは、スーパーのようだった。

越後屋

菅野駅前にはコンビニも無いし、お店が閉店してしまって困らないのかな。

建物は基本2階建てだが、所々屋上に小屋みたいな建物があり、気になる。

3階建て?

うーん、凄く好きな建物群なのにネットで検索してもヒットしない。記録している人がいないのかなあ。勿体ない。

とても好きな建物だ
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薬局「三共薬局」、「長正庵」はそば屋かな?

いつまで残っているか

そして踏切側の看板、なんか怪しい感じ。

我ら人間 地球の子…??

我ら人間 地球の子

上野看板には慶応学院。学習塾だったのかな?

チルドレンオブディアース

菅野駅の工事も着々と進み、駅前の昭和な建物もいつまで残っているか…記録できて良かった。

踏切にて
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菅野停留場設置記念の石碑

踏切を渡り、北側へ。

踏切を渡って

「菅野停留所設置記念」の石碑。

菅野停留所設置記念

「広報いちかわ」に詳細が書いてある。

「西平田市川新田道」「東菅野宮久保道」と刻まれており、道標を兼ねていたことがわかります。裏側には「大正五年三月十二日設置」とあり、駅の開業記念に設置されたものと考えられます。
さらに、駅設置の発起人として、東京神田多町・瀬戸彦八、平田・松丸平太郎、市川新田・浮谷善次郎、菅野・松丸清之助といった4人の人物が刻まれており、平田、市川新田、菅野の3人は、地域の主立ちであったといえます。
注目されるのは、瀬戸彦八という人物で、「菅野停留所設置記念」の石造物の左後ろ側にある中央の大きな石造物が「瀬戸彦八翁頌徳碑」で、裏面の碑文によれば、瀬戸は神田の青物商で果樹園芸に通じていたことがわかります。

石碑の側面を見るのを忘れたが、道標にもなっていたのか。

そして、駅設置に貢献した人の石碑も。地元の人に後世まで功績が伝わる人生って素晴らしいな。尊敬する。

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レトロな雰囲気の「石渡酒店」

石碑がある分岐を右に進む。手前の赤い屋根は元米屋。

元米屋

菅野駅最大の見所といっても過言ではない、素敵な建築。夕陽と相まって幻想的な風景が広がっていた。

石渡酒店

ここだけ時が止まっている。駅前で今も営業をつづけている歴史ある酒屋さん。入ってみたい。

歴史ある酒屋さん

検索しても竣工年がわからないのだが、いつ頃なのだろう。お店の人に聞くしかないかな~

異彩を放つ

隣のビルも元は商店だったのでは?

レトロなビル

別荘地だった名残か、背の高いクロマツの木がたくさん。この通りは「クロマツ本通り」と呼ばれているそうだ。文豪もこの地を歩いたのだと思うと、なんだか感慨深いな。

松の木

戦前は、富裕層の別荘として人気になり、「東の鎌倉」「千葉の鎌倉」と呼ばれていた菅野。さらに、「田園調布」と呼ばれていたという話も?

閑静な住宅街の中に残るクロマツを辿る散策も楽しいかもしれない。

 

(訪問日:2021年2月)

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