「菅野商店会」廃業した銭湯「月の湯」を目指して駅から商店街へ…
菅野駅前には商店街がないが、少し歩くと大通りに面して商店街が残っていた。「菅野商店会」。
この時は、先日閉業した銭湯「月の湯」を見に行くことが目的だったのだが…
アーデル通りにある「御代院」
京成本線「菅野駅」。菅野駅前は前回紹介した、古い建物が並ぶだけで商店街の雰囲気はなく、ちょっとガッカリしていたところ、駅の北東の「アーデル通り」に商店街が形成されていることに気づいた。
商店街の一角に、歴史的スポットがあるようなのでまずは立ち寄ってみた。
「御代院(みよのいん)」
京都から関東に下ってきた菅野(すがの)氏がこの地に居を構え、その妻の容姿が美しいことから「御代の前」と呼ばれていた。天慶の乱で亡くなった平将門とその将兵を生涯弔うためにこの地に留まった菅野夫妻を祀った祠。
夫妻の死後、地域の人々が哀れみ、墓標を立てて祀ったのが現在も受け継がれているのは素敵だな。
菅野の地名は、菅野氏から由来しているのかな。
菅野商店会
地図には「アーデル通り」と書いてある道。菅野駅から、2020年12月26日に廃業した銭湯「月の湯」を目指して歩いていた。
ふと、前を見たら、白い街灯がずらり。歩いていてここが商店街であることに気づいた。ラッキー!
街灯の数は多いが、新しい建物になっていたり、更地になっているのはここも同じ。
夕方に訪れたからシャッターが閉まっているお店が多かったのか、それとも常時この状態なのか。でも個人商店が密集していた商店街であることは間違いない。
2009年のストリートビューを見てもわからない場所も。
下の、右から二番目のお店は「ボンヌ洋菓子店」だったが閉店している。
建物はそのままに、新しい今風なお店が入っているところも。
スナックの文字がかすかに見える。以前のストリートビューを見ていたら、渋い骨とう品店を発見。もし今も営業していたら入りたかった。
菅野商店会の街灯、プレートが道路の方にあるので撮影するのが難しかった。
2011年のストリートビュー
今は新しい建物が並んでいる場所も、かつては小さな個人商店が並んでいたのだった。和菓子屋、電気屋、青果店…みんなどこへ行ったのだろう。
完全にシャッター街ではなく、新しい商店街として生まれ変わっているところを見ると、菅野商店会は人通りがあるのだなと思う。
銭湯「月の湯」を目指して
商店街の北側には「マルエツ市川菅野店」。駐車場が広く、以前はボーリング場だったのでは?と勝手な推測をしてしまうほど。
各地のマルエツはボーリング場跡地にオープンしていることが多いのはなぜなんだろう。
そんなことを考えながら、マルエツの北側の「菅野通り」を歩く。こちらも銭湯が近いからか、個人商店が並んでいる。
さらに東へ進むと、赤い渋い建物が見えてきてハッとした。
雪印牛乳。この寂れ具合がたまらない。ツボ。
たぶん、向かい側にあった米屋の給油所かなんかだと思う。
もう少し東へ行けば、そこには…
既に更地だった。閉店したのが年末、2か月弱の間に更地になってしまったのか。早い!
2020年12月のストリートビュー
一度壊したものは、元には戻らない。
この場所に銭湯があったことを、ここで記しておこう。
(訪問日:2021年2月)
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ボンヌ洋菓子店なつかしい。10年くらい前ショートケーキが200円もしなかった。
マルエツの前はボーリング場ではなく住宅展示場がありました。マルエツは2001年に開業したはずです
月の湯の近くにも、かつては薬局、青果店、駄菓子屋がありました。今老人ホームが建っているあたりです。名前は覚えてませんがきっと「~商店街」があったんだと思います
コメントありがとうございます!駄菓子屋さんもあったのですね。銭湯も駐車場になってしまいましたね…
ボンヌのレアチーズケーキが好きでした。
御代の院の隣にリブレ京成もありましたね。
カネコスイミングとかもあって、人がいっぱいいましたねぇ。
現マルエツ近くに八百屋と魚(おとと屋?だったかな)和菓子屋さん
があって、いつも親と買っておりました。
離れて久しいのですが、菅野駅に向かう道(石渡酒店に行く道)がなぜあんなに
狭いのに両通行なのかと祖母に聞いたときに、曾じいさんから
聞いた話でという前置きですが、当時その通りにあった
燃料屋がごねまくって、役所に無理矢理通らせたとか
与太話聞きました。まあ今となっては真偽はわかりませんが