宗吾参道の歴史探索!京成宗吾参道駅から歩く。門前町の旅館、洋館、展望台… 宗吾⑴

宗吾参道の歴史探索!京成宗吾参道駅から歩く。門前町の旅館、洋館、展望台… 宗吾⑴

「宗吾霊堂」へ!今回は宗吾参道駅から宗吾参道を辿る、歴史を感じる探索です。

宗吾参道へ車で向かう人が多いと思いますが、駅から歩くと新たな発見があって楽しいですよ~!もっと多くの人にこの街の魅力を知っていただきたい。

京成本線「宗吾参道駅」周辺

千葉県成田市宗吾1丁目「宗吾霊堂」が今回の目的地。以前、成田街道を歩いた時に立ち寄ろうと思ったけど、駅から少し離れているので断念してしまったのでリベンジ。

宗吾霊堂駅

京成本線「宗吾霊堂駅」。学校が近いため、学生の姿があるが観光客の姿はない。歩く人はいないよな…

駅前はびっくりするほどに何もない。コンビニも無い。売店も無い。

駅前の様子

案内図看板はあったので助かった。「義民ロード」は駅から甚兵衛公園までの約8㎞。

義民ロード

佐倉宗吾(木内惣五郎)が最後に辿った道のことが「義民ロード」。本当は宗吾旧宅も立ち寄りたかったけど、時間的に厳しかったのでまた次回。

これは何て書かれているの?

現在の駅が開業したのは昭和3年(1928)。「宗吾駅」であったが、昭和26年(1951)に「宗吾参道駅」に改称している。

駅の位置も移転しているそうだが、ここが宗吾霊堂の最寄り駅。

だが、観光地とは思えないくらいひっそりとした駅前でびっくりした。

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「宗吾参道」を歩く

駅の西口から宗吾霊堂を目指して参道を歩いてみよう。

灯篭が目印

宗吾霊堂までは徒歩15分と書いてある。平成2年に、宗吾参道を改良整備したと記載されている。

説明看板

今は広い駐車場となっているが、古い家などが2014年頃まで確認できた。

宗吾霊堂へのお参りは今も絶えていない。盛んだったころは駅から歩く人も多かったはずなので売店があったと思うんだけどな…

現在の様子

あ!商店!と思ったら閉店していた。2014年時点でも閉店している。

元商店?

果たして駅から散歩する人はどれくらいいるのだろうか?日曜日なのに誰もすれ違わず。

歩道は綺麗

立派な大門が見えてきた。これは後からつくられたものなのだろうか。

門がお出迎え

調べていたら大門に関わる興味深い話が2015年の5ちゃんねるに載っていた。

941:宗吾霊堂の門前町推戴の有様は目も当てられない。
宗吾参道駅前にバスターミナルを開発し宗吾霊堂までの路線バスを通せばよいと多くの人が思っている。
その実現を阻んでいる要因のもっとも大きい一つが“大門(総門)”。
仲田商店(仲田食堂)とカノー光学製作所に挟まれたあたりに建つ門だ。
門の大きさの都合で門を潜る下の車線だけが一車線
ここがバスが通れないので宗吾参道駅前バスターミナルの計画を立てづらくしている。
大門は移転するべき。

なるほど、この大門がある影響でバスを通すことができないのか…

ほかの方も大門を移転すべきとの意見があるが、今もなお実現していない模様。門前町が衰退している中でバスも通らないとなると、車で訪れる人が多いわけだ…

左手に、製造販売「仲田製菓」、軽食「仲田食堂」と書かれた建物が。でも閉店している。

随分前に閉店したようだ

情報が本当に少ないのだが、「(旧)小夏の徒然帳」にちらっと仲田製菓で購入した草もちの写真が。2010年は営業していたんだ…

参道の様子

参道を歩いていると、なぜかネズミ?の像が。

ネズミ?

参道はゆるやかな上り坂になっている。最近、右手に新しい道が開通したようで道路がとても綺麗になっていた。

とても綺麗な道

ちなみに右にある稲荷神社の裏路地を入っていくと、宗吾霊堂への近道らしい。後から知った。

やっと飲食店が見えてきた。中華料理屋「伯竜」。

中華料理屋「伯竜」

また、同じ並びに居酒屋「青山」が。参道を歩く人々が立ち寄るのだろうか。

青山

段々旧道らしく、狭い歩道になってきた。このT字路を右へ行くと宗吾霊堂である。

道が狭くなってきた
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商店街らしき参道へ

県道137号を北へ、宗吾霊堂を目指していこう。

県道137号

指圧・マッサージの「丸治療院」。雰囲気が良いけど営業しているのかは不明。

丸治療院

ピンク色の窓枠がたまらないな~

レトロな雰囲気

歩道はほぼないが、旧道らしい雰囲気になってきてテンションが上がる。素晴らしい。

旧道雰囲気

今回は住宅地図を手に入れていないのでわからないが、商店らしき建物がたくさん並んでいる。

趣ある建物

2014年時点で既に閉店しているので、随分前から参道が廃れていることになる。

シャッターが降りている

パナソニックの看板が残っている。昔はクリーニング屋も併設していたみたい。

パナソニック

右にあるのは総合衣料「まるみせ」。地域の人々が集っていた。

衣料品店

マネキンがちょっと怖い。びっくりした~

暗闇のマネキン

店員と思われる女性に話を伺うと、この通りは商店街で賑わっていたという。でも、今は公津の杜へ行く人が多く、商店街の歴史は終わったのだろう。

今は憩いの場へ

向かい側には立派な蔵が。隣の建物で商売をされていたのだろう。

蔵が残っている

宗吾参道の街並みをしっかりと記録している人はあまり見かけないので、この場で記録しておこう…

良い景色だ

そば屋「三はし亭」。ここでランチも良さそう。

三はし亭

三はし亭の駐車場になっている隣には、2014年、赤い建物があった。民家とは思えないけど何だったのだろう。

宗吾霊堂はもうすぐ。古い建物が以外と残っていて嬉しい。

門前町

旅館の隣に木造平屋の建物。食堂だったとか?誰か知っている人いないかな…とても雰囲気が良い。

古い建物だな

ちらっと覗くと、縁側が崩れかけていた。朽ちるのを待っている状態なのか…

縁側

旅館側の壁。窓がとても多い。

気になる建物だ
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「さぎたや旅館」が気になる

宗吾参道にある「さぎたや旅館」。

さぎたや旅館

2階建て、旅館サイトによると参考料金は8千円で8室あるらしい。

歴史を感じる

建物は新しそうだが、昔の旅館の佇まいが残っている。ガラスに映る屋号が良いな…

旅館の入り口

さぎたやは「鷺田屋」と表す。実際に宿泊している人の口コミが無いので今も営業しているのか不明。

鷺田屋

でも、千葉県立中央図書館デジタルミュージアム『日本博覧図』の「宗吾霊堂境内全図」に旅館が描かれている…!!

義民木内惣五郎(佐倉宗吾)の霊を祀る。嘉永5年、墓前にあった雨屋を供養堂に改めた。明治6年に東勝寺の住職となった田中照心は、霊堂の拡張・改修を行い、21年に7間4面の供養堂(画中の本堂)が竣工、翌年には五霊堂と、諸堂が建立された。門前に並ぶ新茶屋、角谷、鷺田屋、佐倉屋、吉野屋などの旅館が霊堂の隆盛を表す。明治43年の大火で画中の諸堂宇ほとんどが焼失。東勝寺がこの地に移ったのは、大正6年。

門前、左に角谷、右に新茶屋、下に鷺田屋が載っている。描かれている5軒のうち、現在もあるのは2軒。

昔の旅館の様子を知れて嬉しい。

旅館の横側
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門前の景色

宗吾霊堂門前。骨組みだけになった建物は何のお店だったのだろう。

閉店している

向かい側の「藤屋」と文字が残っているところは、薬局だった。

藤屋

ガラス越しにさとちゃんの人形が見える。

オレンジ色の像が

宗吾霊堂に到着。徒歩15分と案内に書いてあったが、体感的にはそれ以上かかった気がする。

宗吾霊堂へ

宗吾霊堂の向かい側に、明治時代は旅館が並んでいたのだ。今は複合施設?に。

かつての旅館跡地

かつての旅館の隣に立派な建物が残っていたが、ここは何だろう?今は閉店しているのかな?

気になる

反対側は「甚兵衛そば」。今回立ち寄ったので次回紹介予定。

甚兵衛そば

明治時代は、この場所にも旅館が存在した。甚兵衛そばは移転したもの。

営業中

宗吾霊堂の変遷」というサイトに、明治~昭和初期にかけての宗吾霊堂の門前の写真も残されている。素晴らしいサイトだな…!

明治時代は、門前に木々が並び、時代劇のような景色が広がっている。

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「佐倉屋旅館」は現在

また、鷺田屋旅館ともう一つ、 「佐倉屋旅館」は建物が残っている。

佐倉屋旅館

宗吾霊堂の変遷のサイトによれば、旅館佐倉屋も昔は2階建ての旅館だったことがわかる。

佐倉屋の名称は、佐倉宗吾(木内惣五郎)から由来しているのかな?

佐倉屋旅館

看板が外されているので今は営業していないのかもしれない。

とても静か

奥にある建物を覗いたら、美しい窓枠が残っていた。昔からある建物かも。

窓枠が美しい

佐倉屋旅館の向かい側にあるのがバス専用レーンと書いてあり、昔の停車場。今も当時の立地はあまり変わらない。

停車場の隣だった
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レトロな洋館付住宅を発見!

佐倉屋旅館の隣に、ひときわ輝く建物を発見!

佐倉屋旅館の隣

昭和初期にかけて流行った、洋館付住宅が残っていたのだ。

とても綺麗な洋館

青いスペイン瓦は落ちてしまっているものの、窓がとても素敵!真ん中の緑色が良いアクセントになっているな~

一目惚れした窓

そして屋根は総スペイン瓦!太陽に照らされて美しい。

屋根が素晴らしい
キラキラした青

でも全体的に痛みが激しそうなので心配。維持するのも大変だと思うし、勿体ないなあ。

全体的に傷んでいる
レトロな照明も

整備されているようだが、表札は無かった。

空き家?

ネットで調べても全然情報が無い!なぜみんな気にならないのだ??

タイルも

この通りは裏道のようで、酒屋の建物が隣に。

たけだ

宗吾霊堂に立ち寄った際はぜひ…

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停車場の跡地

宗吾霊堂の東側の角。煉瓦壁が一部残っていてワクワク。

宗吾霊堂のレンガ壁

知っている方も多いと思うが、「成宗電気鉄道」と呼ばれる、成田山新勝寺と宗吾霊堂を結ぶ鉄道が明治期に走っていた。その「宗吾駅」がこの場所に存在したのだという。

記念碑

千葉交通は明治四十一年十一月、成田山新勝寺と宗吾霊堂を結ぶ成宗電軌鉄道㈱として設立されました。県内初の電車として明治四十三年に成田山門前〜成田駅前間、翌年に成田駅前〜宗吾間が開業しましたが、昭和十九年に太平洋戦争の資材提供のため廃線となり、以降、バス専業会社として現在に至っています。
この度、会社創立百周年を迎えるにあたり、成宗電車に名残のある当地に記念碑を建立します。

平成二十年十一月十六日

以前、成田山新勝寺から「成宗電気鉄道」を辿ったことがあるので合わせて。

【電車道】成田山新勝寺まで伸びた幻の「成宗電気軌道」の遺構を探索!-成田⑻

古そうなレンガ壁が残る

今の静けさからは想像ができないが、鉄道が通るほど賑わっていたんだな。

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周辺の気になるもの

レンガ壁に沿って北へ行くと、独特な扉の建物が。

なんだか独特な扉

2012年時点ではつくだ煮のお店だったようだが、今は閉店している。

また、その隣には公津村道路元標の石碑。

公津村道路元標

なんと子の石碑、昭和12年に移転、その後不在だったが平成20年に現地に修復したそうだ。

経緯が書いてある

宗吾駅だった方へ戻ると、「又兵衛」という佃煮店。

又兵衛

生きたドジョウも販売されていたので気になる。実は家で長年、ドジョウを飼っているので…食べるのではなく飼いたいと母が言っていた。

種類豊富

地図に、今は無い個人商店の名前がたくさん描かれていて助かる。

古い地図

参道は商店街として賑わっていたんだな…今はほとんどお店が無い。

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宗吾霊堂へ

やっと、宗吾霊堂へ。

宗吾霊堂へ

宗吾霊堂の歴史について

宗吾霊堂のホームページに歴史が詳しく記載されているので引用。

当山は宗吾霊堂と呼ばれ広く知られていますが、正しくは鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂といいます。
境内は木々の緑につつまれ、春の花見に秋の紅葉にと年中人出が絶えません。
約10万平方メートルの広さに、年間参詣者は約250万人の人々が訪れる霊場です。
当山の縁起は桓武天皇の時代に、征夷大将軍 坂上 田村麻呂が房総を平定し、戦没者供養のため建立された真言宗豊山派の寺院です。
我が国の代表的義民として有名な佐倉宗吾(本名 木内 惣五郎)様は、今から350年前に佐倉藩国家老による暴政のため領民の救済を4代将軍 家綱公へ直訴し、その罪により公津ケ原刑場で磔刑(はりつけ)に処せられました。
この時、当山の住僧 澄祐(ちょうゆう)和尚は遺骸を刑場跡に埋葬されました。現在のお墓がそれで惣五郎様の処刑後、佐倉藩はその失政を悔い、宝暦2年(1752年)、百回忌の時に堀田 正亮(まさすけ)公は宗吾道閑居士の法号を諡号しました。

成田参詣の帰路に立ち寄ることが定着したのは、四代目市川小団次が、佐倉惣五郎の生涯を描いた歌舞伎「東山桜荘子」を演じてヒットしたため、江戸庶民の信仰の対象になったのだとか。

玉垣もチェック
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宗吾霊堂のレトロなお土産店

私も歴史は知っていたが、訪れるのは初めて。日曜日だったのでお店が営業していた。

日曜日

こんなにお土産店が並んでいるとは…!素晴らしい雰囲気。

色々なものが販売されている
スイーツもあるんだ

「君待家」。歴史ある佇まいがとても良い。

君待家

正直、参道が寂れていたので期待していなかったが、お土産店が並ぶ雰囲気がなんだか懐かしく感じる。

期待以上の風景だ
ノスタルジックな雰囲気

平成生まれの私にとっては、こういうお土産店のある景色が本当に珍しい…

お気に入りの写真

好きすぎて何枚も撮影してしまった。見慣れている人には普通の景色かもしれないが…

ベストショット

うざわ売店の看板が渋い。いつまでも残ってほしい看板だな…

看板が渋くて最高ですわ

このお土産店を見れただけで宗吾霊堂に訪れた価値があるな…

三好売店

今回は、時間の関係で入らなかったが、相互様のご生涯を66体の等身大人形で再現した日本有数の大パノラマ式「宗吾御一代記念館」も有名スポット。

奥に記念館
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宗吾霊堂の変遷より

宗吾霊堂の変遷に興味深い写真がたくさん残されている。

明治時代」より「宗吾公開堂」の写真。公開堂は、今の博物館のような建物だろうか?

宗吾霊堂関係資料」より、大正14年の「株式會社宗吾タクシー株券」。
タクシー會社も存在していたんだ…!賑わいを知ることができる。

また、「霊堂境内連天閣」。10階建ての展望台?「成田歴史玉手箱」のページに詳しく歴史が描かれている。

高さ約30m、大正13年12月に建設。昭和20年7月に解体。それ以外にも2つの展望台が設置され、筑波山や富士山などが眺望できたという。そういえば、成田山新勝寺にも通天閣なる展望台があったとか。

【東参道】成田山新勝寺の東門から東参道に広がる、田町商店街。通天閣って?-成田⑹

 

宗吾霊堂の記事、いかがだったでしょうか。思ったよりも長い記事になってしまったけど、参道の魅力が伝わると嬉しいな~歴史好きな人には堪らない散歩コースでした!

 

(訪問日:2021年4月)