白井市立白井第二小学校平塚分校|白井市に残る木造の廃校舎

白井市立白井第二小学校平塚分校|白井市に残る木造の廃校舎

今回は、白井市に残る平塚分校へ。

現在は廃校になっていますが、最近はロケ地としても利用されているみたいです。

 

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旧えびや商店と道標

前回の木下街道の旧白井宿から脇道にそれ、北側の鮮魚街道へ。

鮮魚街道からさらに細い道を進み平塚の集落へ。その入り口にあったのが、旧えびや商店。現在は廃業している。2014年頃は営業していた。

旧えびや商店

旧えびや商店の前に立つ、道標。旧道、旧商店と道標、良い景観だな…

道標だと思っていたが、「白井市の道標(明治以前)」によると馬頭観音だった。明治29年の建立。
「松戸/東京道」「東 白井道」とある。

東 白井道

この道標がある道を北へ。ストリートビューで見ると途中に山崎商店という古い商店が営業していたが見落としていた。

延命寺

平塚の延命寺。観音堂は千葉県の「ちば観光ナビ」でも紹介されている。

千葉県の有形文化財に指定されている観音堂は、1668年の建立。毎年1月18日と8月17日には護摩祈祷が行われ、近隣在住の妊婦さんが安産祈願に訪れます。観音堂の斜向いにある鐘楼は、壁画制作で有名な田村能里子画伯図案のユニークな大梵鐘が見どころ。本堂横に石庭の「無心苑」もあります。

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白井市立白井第二小学校 平塚分校

千葉県白井市平塚960「白井市立白井第二小学校 平塚分校」へ

延命寺の近くに平塚分校の案内看板が立っている。

平塚分校入口

その角に立つ平塚分教場入口の碑。

平塚分教場入口の碑

裏面には、「大正十四年」とある。

明治41年に永治尋常高等小学校の平塚分校となっているため、永治尋常高等小学校時代の碑かと推測できる。

白井市立白井第二小学校平塚分校の正門。

平塚分校

明治6年(1873)平塚学校として開校し、本校と統合のため平成15年(2003)に閉校となった。その間、名勝は浦部、永治分校など度々変わっている。

古い門柱に、表札もそのまま残っている。

裏には、「昭和28年3月 15ヶ年勤続記念」とある。読めなかったのですが勤続、と教えて頂きました。

そしてこちらは、「分教場増築記念 大正十年三月」。大正10年に校舎増築された際の記念碑か。

分教場増築記念

校庭と校舎が現存。現在も白井市によって保存されているらしい。何度か、映画のロケ地として使用されており、白井市ホームページに紹介されている。→平塚分校で映画撮影が行われました。

2022年12月撮影

廃校をそのままにせず、ロケ地として再活用されていることが嬉しい。

2003年閉校から20年経っているとは思えないほど校庭と校舎外観は綺麗だった。

閉校時のものかな

木造平屋の校舎だが、いつ建てられたものなのかはネット上では追えず。増築を重ねていそうだった。

正面玄関か

校舎の中央には二宮金次郎像。廃校巡りで出会えると嬉しい。

そしてもう一つ気になったのが、西側にある裏門。

小さな門柱が建っており、こちらはコンクリートの下は煉瓦造りのよう。

そして田園風景に続く小道が続いていた。ここを駆け上がる子供の声が聞こえてきそう。

井戸?

校舎内は見学できないので注意。今後もロケ地として盛り上がることを願います。

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平塚鳥見神社(白井市)

分校の東側に位置する鳥見神社を最後に。

鳥見神社の鳥居。

鳥見神社は白井市にいくつかあるが、ここの平塚鳥見神社は本殿が市指定文化財。

平塚鳥見神社について

平塚地区に所在する鳥見神社は由緒は不詳ですが、江戸時代に本殿が火事に遭い、天保2年(1831年)に木挽仕用帳が作成され、天保5年(1834年)に再建されました。彫刻で飾られた木造の一間社流造で、現在の屋根は銅板葺です。この神社本殿は白井市内の江戸時代後末期に建立された、彫刻で飾られた神社本殿の中でも規模の大きなものの一つであり、本殿建立時の過程を追うことのできる白井の歴史上価値の高いものです。

本殿と併せて、その歴史的価値を裏付ける資料である天保5年の棟札1点と天保2年の木挽仕用帳2点を附指定としました。(白井市ホームページ

社殿

独立した本殿。説明にある通り、彫刻が素晴らしい物だった。

本殿
境内の碑
常夜燈

 

 

 

(訪問日:2022年12月)

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