野島崎灯台|南房総市白浜町の文化財の灯台.全国で2番目に点灯 -白浜⑹
房総最南端!南房総市白浜町の野島埼灯台にやってきました。一人旅です。
今回は念願の野島崎灯台の展望台に上りました~
野島埼灯台 資料展示室「きらりん館」
千葉県南房総市白浜町白浜630「野島埼灯台」
前回の続きで、野島埼灯台に到着。房総の最南端に建つ灯台。
バス停からは10分ほど歩きましたが車で訪れる方が多いでしょう…観光客の姿が意外にも見られました。
明治2年(1869年)建造された当時は、全国で2番目に点灯したものだったとか。国登録有形文化財。
その後、関東大震災によって倒壊。初代の八角形の灯台を模して再建されたもの。
千葉県は銚子の犬吠埼灯台も上ることが出来るのであまり実感が無かったのですが、のぼれる灯台は全国に16ヶ所しかないのですね。珍しいみたいです。
参観寄付金は中学生以上300円。
日本財団の補助を受けて設置した灯台資料展示室(愛称「きらりん館」)が併設。展示室も合わせて見学可能です。この展示室も全国で2番目の灯台資料館として開館し、2019年にリニューアル整備されたもの。館内は新しくなって見やすいです。
公益社団法人「燈光会」のページに詳しい解説と、web野島埼灯台展示室が見られる。
この灯台は、開国の歴史を飾る慶応2年にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四ヶ国と結んだ 「江戸条約」によって建設を約束された八つの灯台の一つです。このように野島埼は東京湾に出港する船舶に とって江戸時代から大切なポイントとして重要視されてきました。開国に際し、洋式の灯台を建設するに当たって、 明治2年1月1日に、ー番最初に点灯した対岸の観音崎に呼応して、明治2年1月10日、木造四角櫓型の仮灯台を点灯し、 2月14日本灯台の工事にかかり、12月21日に完成しました。当時の灯台は、白色八角形のレンガ造りで、 基礎から灯火まで30メートル・フランス製の第一等フレネルレンズと石油灯器の6、500燭光でした。 残念ながら、関東大震災の時に、地上6メートルで折損、大音響と共に倒壊してしまいました。 現在の鉄筋コンクリートの灯台は、その時の復旧工事によったものです。 その後、電化され現在730,000カンデラの光りを放ち、光達距離は17海里(約31km)となっています。(https://www.tokokai.org/tourlight/tourlight04/)
野島埼灯台 見学
参観時間は夕方までなので注意。この日は11月で16時には閉館するギリギリだったが間に合った。
灯台入口には、古い看板が残っていた。
明治2年12月21日に点灯したと書いてあるが、当時は旧暦を使用していたため、赤い文字の太陽暦の看板とは表記が異なるらしい。
高さ24mの灯台。展望室までは螺旋階段になっており、誰でも上ることができるが、最後は天井が低い箇所があるので荷物が多い方は注意。リュックが引っ掛かりそうになった。そして意外と運動になる階段。
展望台からは、白浜町の街並みと太平洋が一望できる。手摺のみで、そんなに広いスペースではないので高所恐怖症だと怖いかもしれません。気持ちの良い風が吹いていました。
今回は時間がギリギリだったので足早に階段を駆け上がり、後々母と再訪しました。
(訪問日:2022年11月)
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灯台の看板の明治の表記、特に季が珍しいですね。
明治二年を明治己巳季とは驚きました。神社などでは明治二年を明治己巳年、稀に明治己巳歳などと表記しますが、季は初めて見ました。灯台だけに使った漢字かな?
年の代わりに歳を使ったのは中国の影響らしく、中国の歴史書などで年ではなく歳を使ってる事があるので、漢文などに凝ってる人が使ったのかも?
何しろ昭和の中期まで漢文好きな人は多かったのです。
銚子の灯台も旧歴かと思って調べたら、明治七年なので違うらしい。
野島崎灯台が銚子の灯台より古いとは思いませんでした。