芝山仁王尊へ。成田山とともに両山参りで賑わったが、現在の門前は -芝山⑸

今回の目的地である芝山仁王尊観音教寺へ。前回までは、芝山仁王尊までの道のりを歩いて来た。江戸時代には成田山新勝寺とともに参詣者が多く、門前には旅籠も…
芝山仁王尊の歴史と現在をご紹介します。
芝山仁王尊への参詣道を辿って
千葉県山武郡芝山町芝山298にある芝山仁王尊を目指し、ひたすら県道45号沿いを歩いている。仁王尊入口の分岐で、県道から離れた右手の道路を進む。

私は今回、成田空港第一ターミナルからのシャトルバスで芝山文化センターで降り、県道を歩いて来たが、昔の参拝者は一体どうやって訪れたのだろう?
大正時代のパンフレットを見ると、乗合自動車が、松尾駅や成田多古線の三里塚駅から走っていたようだ。

芝山仁王尊の仁王門へと続く道。ここからは一気に建物の数が減り、自然豊かな景色に。


しかも、道路は蛇行して下り坂。車の行き来はあるが、ここを歩いている現代人は少ないだろう…

坂を抜けると長閑な田園風景に。左手にいくつか民家がある。

訪れた日は10月。良い色をしている柿が実を付けていた。

芝山仁王尊の門前の今
仁王尊入口の分岐から歩いて15分くらいだろうか。体感的には長く感じたが、車だったらあっという間に着くのだろうな。駐車場には人の姿があった。

駐車場の隣にあるのが油屋商店。郵便ポストも設置されている。

千葉発日本一の夢 舞桜。九十九里の地酒、守屋酒造の瓶ケースが残っていた。

隣には森永のアイスケース。訪れた時はシャッターが閉まっていたが、臨時で売店としてオープンするのだろうか?ここで売店が無いので、参拝をしても買い物をする場所が一切ない。


そして、芝山仁王尊の仁王門が遠くに見える。ここが門前の現在である。

何も無い、とわかって訪れてはいたが、ここまで何もないとは…成田山新勝寺の門前がいかに賑わっているかを痛感する。
また、最近まで何か建物が存在したことを感じる土台らしき面影が残っているのも生々しい。

令和2年2月15日~7月26日に開催された芝山町立芝山古墳・はにわ博物館の企画展「門前町 芝山のあゆみ」に詳しくまとめられているので、今後の芝山仁王尊の記事で引用させていただきます。
芝山仁王尊には、境内の東側と仁王門前の参道に旅籠や商店が並んでいた。
明治35年刊行の『芝山霊場志』は、門前に住む五木田真一によって芝山仁王尊の縁起や伝説、参詣の経路がまとめられた書物である。
境内の東側には現在も旅籠の一部が残っているが、仁王門前にも旅籠屋商店が存在したらしい。
『芝山霊場志』は国立国会図書館のデジタルアーカイブで閲覧できる。

『芝山霊場志』の「本山参詣の順路」によると、芝山仁王尊へ芝山鉄道の敷設を請願したが、叶わなず、虚しく交通の便を欠くと表現されている。
門前には茅葺屋根の建物が並んでいたようだが、付近の建物と同じく騒音問題などで撤去されたのだろうか。

芝山仁王尊・本堂
芝山仁王尊は、奈良時代の天応元年(781年)に藤原継縄により創建。
千葉氏の祈願寺、江戸時代には火事・泥棒除けの祈願寺として庶民の信仰を集め、成田山新勝寺とともに参詣する両山参りも盛んだったそうだ。
小さいながらも旅籠や商家が並び、門前町を形成していたというが、今は東側に旅籠が少し残っているのみである。かつて、仁王門前の門前には2軒の旅籠が存在したという。
山中古道散策コースの看板。時間があったら芝山公園からさらに奥へ、山中古道を歩くのも良いでしょう。

仁王尊の門前は両サイド更地となっていて物寂しい。


階段は傾斜があるので、左側のゆるやかな女坂で上ることも可能。

階段から門前を見た景色。昔はどんな景色が広がっていたのだろう…
建物が無くなっても石は変わらずに残っている。

右手には大黒堂。


仁王門の右手にあるのが、護摩堂。大正13年築。手前にある門柱も古そうだ。

こちらが仁王門!明治15年に完成した、実測五間五間半という壮大な建物。
総欅づくりのお堂形式。土台となっている石垣も美しく、初めて見た時の衝撃は忘れられない…

石と木だけでこんなにも人の目を引く建造物が造れるなんて…昔の人々に尊敬の念を抱く。

しかも!私の大好きな鉄製のアーチ付き。これには興奮した。

ランタンには、願主の大和屋の屋号入り。大和屋は東京市日本橋区…と書いてあることからも江戸の人々からの信仰が篤かったことが窺える。明治33年建立。
しばしば大火に見舞われた江戸の町では、町火消し衆の信仰を集め、「江戸の商家で仁王様のお姿を祀らないお店は無い」とまで云われました。江戸(東京)での出開帳や町火消しの総元締め新門辰五郎の石碑などがそれを物語ります。(芝山仁王尊のHPより)
お賽銭箱も青銅のもので造られていて存在感がある。

石・木・銅。シンプルな組み合わせなのに、ここまでかというほど彫り物が細かく、見ていて飽きない。



石の壁にも彫刻…しばし美しい仁王門の写真にお付き合いください。

後から気づいたのだけれど、石畳も当時のまま残されていて味わい深いではないか…

芝山仁王尊境内、本堂
仁王門の凄さに見惚れているが、境内はこの先に広がっている。

正面に見えるのが本堂。享保6年の建立、江戸時代中期の優美な建造物である。

「千葉県指定有形文化財」に指定されている三重塔。

この三重塔は成田山新勝寺の三重塔とともに、江戸時代の好みを反映しているという。


観音のいらか見やりつはなの雲
松尾芭蕉の句碑も建っている。現多古町船越の人が文化七年に建立したものだそうだ。

昭和29年に再建された不動堂。茅葺屋根に青緑の苔が良い塩梅に生えている。

境内の東側にある参道沿いには、昔日の面影を残す旅籠が残っている。このエリアについては、語りつくせないので次の記事で。

境内にあった灯篭、よく見ていたら「芝山町小池 寿美屋商店」の文字。

寿美屋商店、以前の芝山町の商店街で遭遇したのだが、現在はガラス・サッシ・網戸の修理を行うお店だった。店頭には寿美屋商店の名前のバス停も。
境内に奉納品があることからも、芝山町の有力な商家だったに違いない。
芝山仁王尊の裏参道?石碑
芝山仁王尊から帰路へ。といっても、前に通った道では面白くないので別のルートを探す。
北西に位置する芝山仁王尊の鐘の奥に石柱が二本建っていた。ここは裏参道では?

境内の外側に向かって、木製の看板が掲げられているが文字は読めない。また、電気装飾や鉄の扉の名残が見えるので、昔はもっと派手な装飾がついていたのかも。
さらに、道沿いには石碑も。

こちらが裏参道であったことは、さらに北へ歩いた県道45号との分岐に道標が建っていることからも窺える。
「仁王尊道」と正面に書いてある。

芝山ふれあいバスのバス停。寂しく椅子が設置されているが、土日は運行していないのでいくら待っていてもバスは来ない。芝山仁王尊、良い場所なのに交通の便が今も昔も悪すぎる。
(訪問日:2021年10月)
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