芝山町の商店街② 文化財や町役場向かいの昭和な「更生食堂」 -芝山⑷
芝山町の商店街のつづき。今度は、町役場や郵便局などがある中心街へ。こちらには営業しているお店が前回よりもあったが、日曜日に訪れてしまったので更生食堂が休みだったのが残念である。
芝山町の商店街つづき
千葉県山武郡芝山町小池。小池丁字路から芝山仁王尊方面へ歩く。角にはENEOSガソリンスタンド、江波戸商店と書いてある。向かいには千葉銀行芝山支店。
千葉銀行の裏側は自然が広がっていた。
放置されたコンテナは、芝山ニュー吾妻のもの。出張パーティーを行うほど賑わっていたことが窺える。
県道45号、表通りに戻ってきた。元レストランのような佇まいの建物は、製本所として使われている様子。
薄っすらと見える文字から、ここがニュー吾妻だったことを知る。先ほどのコンテナの店舗。
ご宴会、七五三節句、ご法要、和風レストラン…芝山町で有名なレストランだったのだろう。
芝山町周辺商工案内の看板もかなり古そうだ。小川電機は見かけたが、それ以外の総合食品エバトストアは見なかったな~ガソリンスタンドの江波戸商店の関連店?
史跡や文化財「伊藤家住宅主屋」
芝山郵便局の隣の小路、案内が建っている。「櫻井静光先生墓碑入り口」。進もうと思ったが、奥が茂っていたので断念。
まるごとeちば!の「櫻井静の墓碑」に紹介されている。
櫻井静の墓碑は、芝山町役場近くの芝山郵便局脇に位置してます。明治の先覚者の一人で、20歳の時多古町から芝山町小池の櫻井家の養子となりました。衆議院議員当選2回、海外移住殖民調査のため渡米、カナダを巡遊し、のち北海道に移住して造林開拓に従事しました。昭和55年(1980年)2月15日に芝山町の史跡に指定されました。
また、見逃していたが、安静院の向かいにある「伊藤家住宅主屋」は国登録有形文化財に登録されている。個人所有のため、見学は出来ないが、最近手前の建物が取り壊されたので良く見えるようになっている。
芝山町ホームページに詳しい歴史が載っている。
伊東家住宅主屋は、芝山町の役場や郵便局、銀行、商店などが並ぶ町の中心地に所在し、建築年代は明治20年代半ばと推定されている。木造平屋建、桟瓦葺きの寄棟造で、正面に下屋を付し、中央に式台玄関を設けている。内部は、南東に土間、他を床上とし、表側中央に「ヒロマ」(主室)、北西に付書院・組子欄間・床の間を設けた「オクノマ」(主座敷)がある。小屋組は、当初より瓦葺であるにもかかわらず勾配が大きく、当地方の江戸後期の大規模民家に見られる茅葺屋根の小屋構造を用いて瓦葺屋根に応用したと思われ、近世から近代への過渡期的様相を示している。
建築主は伊東祐之。元治元年(1864)に生まれ、地元の小池尋常小学校の教員や校長を務めた後、明治22年(1889)に休職して渡米しカンバーランド大学で法律学を修めた。明治23年(1890)に帰国して日本銀行に勤務し営業課長を務めていたが、明治34年(1901)欧米視察中に病により38歳で死去した。
昭和の食堂が健在「更生食堂」
さらに県道沿いには大衆割烹食事処の「更生食堂」。芝山町役場すぐ近くにあり、お昼ご飯を食べられる場所はここしかない。
私も本当はここでお昼を食べたかったのだけど、日曜日はお休み。500円ほどで美味しいランチが食べられると、口コミを見ていると評判であるのが分かる。
昭和の食堂が健在なのは嬉しい。
また、芝山町役場から松尾駅までの道が「埴輪と遊ぶみち」として関東ふれあいの道に認定されているようだ。ハイキングコースとして気になる方はぜひ。
隣は手芸用品店「ツクリテ」が営業中。ハンドメイド作品を販売しているようで、この日は同じく休みのようだった。
さらに進むと、衣料品店「コムロ」が営業中。
木造の浴室跡?
そして、またしても気になる建物が…歯科医院の隣に木造の小さな小屋が建っている。
最初は倉庫かなと思ったが…
左は更地。もしかしたら、左に民家か建物があって、この小さな建物だけ取り残されたのだろうか。
近づいて見てみると、お風呂場のような雰囲気。現在はゴミが散乱している。
鏡付の手洗い場も。個人宅の風呂場にしては広く感じる。
手洗い場の右側の空間には、下足箱か荷物を入れるような木製のロッカーが設置されていた。
もしかして、昔の公衆浴場?
風呂場であることは間違いない。でも風呂場はたいして広くない。
近くにいた方に伺ったが、分からないと言われた。地域の人々だけが使う小さな銭湯だったのかもと思った。しかし、2021年12月のストリートビューを見ると更地になっていた。
私が訪れた2か月後に更地に。最後に記録できて良かった…
県道45号をさらに進む。ガラス・サッシ・網戸の修理を行う「寿美屋商店」。向かいのガソリンスタンドも営んでいる。
バス停の名前にも「寿美屋前」とある。ネットで調べても分からなかったが、芝山仁王尊にも名前があったので歴史ある店舗だと思う。
県道沿いにひっそり建つ小さな観音堂もチェック。
また、道標が角にあった。道路側に向いている面しか読み取れないが、明治32年8月15日に造られたものだという。「横芝松岸成東東金九十九里」とはっきりと刻まれた文字が読める。
地域の人々に大切に守られてきたのかな。
商店街を探索し、この後は芝山仁王尊へ。昔の参拝者の方々もこの道を通って歩いたのだろうか。
(訪問日:2021年10月)
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