新小岩の赤線「丸健カフェー街」の現在。飲み屋が密集している路地 -新小岩⑵
新小岩にも赤線の歴史が存在するという話を伺い、探索に。場所はルミエール商店街の周辺、松島3丁目に「丸健カフェー街」と呼ばれる地域があった。
ルミエール商店街はテーマパークのような商店街を目指し、大人から子供まで楽しめる商店街だったが、果たして赤線の名残は残っているのだろうか。
新小岩の赤線「丸健」
新小岩の赤線の歴史について。
『全国女性街ガイド』
『全国女性街ガイド』(昭和30年、渡辺寛)
新小岩というと小岩かとおもうが、小岩は東京パレスで、その手前の新小岩。詳しくは江戸川区西小松川二丁目か祝。亀戸で戦災に逢った業者が立石とこことに分散移住したのが集娼を形成したはじまりで、一時期は地廻りの不良の巣となり、客が離れていたが暴力団狩でダニは消滅。最近は、若い子へ通う固定客がついてきて、七十七軒に二百名のシマにのびてきた。
亀戸で戦災した業者が移住して新小岩で営業を始めたのがきっかけとなっている。不良のことをダニと表しているのが秀逸。77軒に200人の女性がいたというのは、かなりの規模であったことがうかがえる。
全国エロ町案内決定版
『全国エロ町案内決定版』(昭和27年)
東京エロ街一覧表に新小岩の情報が載っている。
営業者数:81
女給数:160
特徴:
〇散布せる営業形式
〇改良家屋多く誘客す
遊興:空白
交通案内:東京~市川間バズで八蔵前下車と、京成電軌新小岩驛下車との二交通
昭和27年の時点では160名の女給が働いていた。改良家屋が多いというのは特徴だろう。
丸健
新小岩の赤線、特殊飲食街は亀戸で戦災した業者が新たに開業した街。亀戸の花街は当時玉ノ井と並ぶほどに評判の高い場所であったが、昭和20年の戦災で全焼してしまった。
新小岩の赤線は、戦後の復興とともに成長を遂げたのかもしれない。当初は13軒ほどだったが80軒にまで成長。交通の便も良かったことが影響しているという。
木村聡著の『赤線跡を歩く』では、丸健の由来を次のように書いている。
カフェー街は『丸健』と呼ばれ、〇に健の字の赤い提灯が掲げられていたというが、どんな形でどこにあったのか、また、丸健という言葉の由来も、あやしげな俗説があるだけではっきりしない。
丸健という名称の由来は判明していないようだ。『赤線跡を歩く』では6ページにわたって新小岩の赤線探索の様子が載っており、とてもわかりやすい。
当時の新小岩の赤線について文献から辿ったので次は現在の新小岩の赤線の様子を探索する。
現在の新小岩赤線探索
東京都江戸川区松島三丁目。JR新小岩駅南口を真っすぐ南へ進み、新小岩ルミエール商店街のアーケードを抜けた先にかつては赤線の遺構らしき建物も多く残っていたという。
長屋のような建物がひしめき合い、祖の路地を覗けば小料理屋「かつこ」、料亭風の「山喜」などそれらしき建物もすべて駐車場などになってしまい、現在は跡形もない。
下の写真では右手の高層マンションのあたり。奥がルミエール商店街だ。周辺も新しいビルに変わるなど確実に街並みは変わっている。そのため、他の方が書いている場所がどこなのかがわからない…
松島三丁目は、ルミエール商店街の東側だけでなく、西側一帯も刺している。当時80軒も営業していたのであれば、広範囲だったに違いないと思い、Y字路の西側へ。
松島三丁目
ルミエール商店街から一本西側の道なのだが、人通りが一気に減る。
スナックアイドルという看板がいかにも古そうな魅惑な看板。
道路に沿ってスナックなど飲食店が並んでいる。このあたりも赤線があったのだろう。
居酒屋や小料理屋など渋いお店が1階に並ぶ。上階はアパートだろうか。
大衆料理はきゃんどる。きゃんどるって赤線時代の屋号だったりしないのかな。それくらいインパクトがある名前。
その隣には自動販売機に隠れて麻雀の看板。大人の遊び場だった証。
交差点は道も広く、赤線が存在したことが想像できないほどに綺麗だが、
角の家の門がしっかりとしていることが気になった。敷地も広いし、もしかしたら名残かも。と思っていると地図を見るとその裏手にはアパートばかり。
この日は大雨ですぐに引き返してしまったが、青葉旅館などいかにも転業旅館らしき建物も多く残っているという。しかし、最近旅館の建物は取り壊しになったという情報もある。
次回早いうちに青葉旅館も含めて、裏手にあるアパートも探索しなければ…
怪しい飲み屋の路地
同じ通りを右折すると、飲食店が並ぶ細い路地があった。ここも赤線遺構として紹介している記事が多い。
下の写真と他の方が書いた記事など過去の写真を見比べると、奥に紫苑の文字がある白い建物と、右の2軒目にいかにも赤線遺構と思い浮かべるスナック夕子、木造建築が並んでいたが現在は右手の青いアパートに。
以前はこんなに道幅も広くなく、人が一人通れるほどの狭さだったのに。この場所に密集していた建物があったんだな~
紫苑の奥にも細く細く道が続き、まるで玉ノ井の迷路のようだったというがその名残はない。奥の建物も現在は工事中。
かろうじて路地に飲食店が密集しており、名残なのかな思う雰囲気はあるが…
青いスペイン瓦の屋根が目立つ2軒。もしかしたらカフェーの名残かも、なんて淡い期待を抱くが…
路地は進むとルミエール商店街の道に合流する。夕方に訪れたが、賑わっている様子だった。
スナッククイーンや寿花など、個性的な店名が多い。
この路地だけ赤線の名残を感じれるような気がする。が、東京オリンピックの影響か新小岩の赤線はほぼ残っていない。
シンデレラTIME
あと一つ気になったのがシンデレラTIME。東京生活.comさんの記事に載っている。新小岩駅南口から東側のスバル飲食街のある新小岩2丁目、商交会と看板のある通り。学習塾、市進学院のある通りに異様なアーチがかかっている。
GoogleEarthでは確認できる限り2か所のアーチが住宅街の中に。一見すると何もない住宅街の中に現れるお城?のような昭和ホテル。
こんな場所でお客さんが果たしの来るのかと思っていたら、シンデレラタイムのホームページがあった。
もしかしたらこのあたりもホテル街だったのかも。まだまだ調べる余地がありそうだな~!
(訪問日:2020年9月)
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