【島原】2017年の島原遊郭。私の遊廓研究の原点 -島原

【島原】2017年の島原遊郭。私の遊廓研究の原点 -島原

「島原」は京都府下京区にある花街。日本最古とも言われる島原遊郭は、現在「輪違屋」のみが正式に置屋兼お茶屋として営業している。

 

当時は花街としてとても賑わい、倒幕派の志士や、新選組らも通ったという歴史も残っている。実は、私が花街に興味を持つきっかけになったのも島原だった。島原の遊女・明里から名前を頂き(勝手に)、初めて訪れた花街。

そこで今回は、高校2年生の時(2017年)に初めて島原遊郭を訪れた時の写真を振り返る。

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「島原大門」から

なぜ島原に行くことになったのかは覚えていないのだが、母に連れられて島原へと足を運んだ。

嶋原商店街

私は高校2年生で、まだそんなに花街について深い興味は無かった。

が、新選組を舞台にした少女漫画『風光るの影響で、新選組と関りのある島原遊郭について気になってはいた。山南さんの恋人・明里さんを知り、私は遊廓の存在を知った。

なぜ、大学生の私が遊廓研究を行っているのか。開設した時の記事に書いている。↓

Deepランド開設! ~○○ランドよりDeepランドが好き!~

島原遊郭の入り口には「島原大門」が江戸時代からの姿を留めて残っている。

島原大門

大きな柳の木。想像の世界を飛び越え、目の当たりにする花街の姿は、決しておとぎ話ではない現実だということがわかった。

島原大門
説明看板
整備されている
夕方に撮影

島原の地図があった。

島原遊廓の地図
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「輪違屋」と「角屋」

令和になった現在も変わらず、現役のお茶屋である「輪違屋」安政4年(1857年)当時から変わらないその姿は、華やかだった島原遊郭の姿を映し出している。

輪違屋の建物
うっすらとわちがいやの文字が見える

そして木造二階建ての美しい格子が並ぶ「角屋(すみや)」も見逃せない。

現在は「角屋もてなしの美術館」として文化財と揚屋建築の貴重な姿を見ることができる。

角屋
夕陽に照らされている煙突

再訪する日を待ちわびて…

私のペンネームは島原遊女の「明里(あけさと)」から取っている。明里は、新選組総長・山南敬助の恋人。切腹を言い渡された山南との格子戸の別れは胸に来るものがある。

 

敬遠されがちな花街という話題だからこそ、若い人に伝えたい。そして文化として残していきたい。島原遊郭が一つのきっかけになって、現在強く動かされている。

 

私の原点、島原遊郭にまた会える日が楽しみだ。

また行きたい

 

(訪問日:2017年3月)

 

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