芝山仁王尊の門前旅館「笹喜旅館」明治時代の旅籠、商店の廃墟が並ぶ -芝山⑹

芝山仁王尊の門前旅館「笹喜旅館」明治時代の旅籠、商店の廃墟が並ぶ -芝山⑹

芝山仁王尊の門前について。その歴史と現在を辿ります。

文化財に登録されてもおかしくないほどの価値がある門前の旅館群ですが、今はひっそりと時が過ぎるのを待つのみ。検索してもほとんど情報が無く、この場でしっかりと記録に残していきたい場所です。

芝山仁王尊の門前の歴史

千葉県山武郡芝山町芝山291。前回の続きで芝山仁王尊へ。成田山新勝寺と並ぶ人気を誇る芝山仁王尊でしたが、実際に訪れてみると交通の便が悪いなと実感します。

また、成田空港の騒音移転の対象になっているため、かつての門前の面影は一切なく、現在は営業している売店すらない状況。

唯一、当時の建物が一部だけ残っている境内の東側の参道を今回紹介します。

東側に残る門前町

芝山町立芝山古墳・はにわ博物館で令和2年2月15~7月26日に開催された「門前町 芝山のあゆみ」に詳しくまとめられているので参考にさせて頂きます。

昔は、境内の東側と仁王門前の参道に旅館や商店が並んでいた。

今回紹介する東側には黒門(現在も門跡らしき木の柱がある)があり、江戸末期には12軒、明治中期には7軒の旅籠が存在したという。

現在の様子
設置されている看板

さらに、明治43年に再販された『芝山霊場志』から細かく見ていくと境内にも休息所が4か所存在したようだ。

門前には藤屋・西村・笹喜・小藤屋の4軒の旅籠、菓子屋・力せんべい・飴屋・醤油屋・味噌屋・米屋・酒屋など12軒の商店、境内の休息所4ヶ所などが掲載されている。

門前の旅籠は、芝山仁王尊へ参拝する講社による利用が多く、東京の下町や神奈川、群馬といった遠方からも訪れていたようだ。旅行者だけでなく、芝山町の人々による宴会や集会所としても使用されることも。

明治26年「千葉県上総国武射群芝山村天鷹山観音寺境内全図」

現在残っているのは、3軒の旅籠だった建物。

現在残っている配置図

だが、明治40年(1907)12月の火災によって焼失したため、明治42~43年頃に再建されたものだという。昭和30年代まで営業していたものの、成田空港の騒音移転の対象となり、一部が保存されている。

力せんべい

参道入ってすぐのところにある、力せんべいの看板がある建物。力せんべいを製造している「藤田せんべい店」自体は、別の場所に移転して営業を続けている。

Advertisement

旧笹喜(佐々木)旅館

まず、黒門に一番近い場所に位置する、旧笹喜(佐々木)旅館。

旧笹喜(佐々木)旅館

なんて風情があるのでしょう…ここだけ見ていると、時代錯誤を感じる。ここは明治時代?

時の流れが

軒先には椅子が置かれている。作り物ではなく、本物の旅籠を間近で見ることが出来るのはこの上なく嬉しい。

先ほどの展覧会の資料から引用。

木造二階建て(寄棟・桟瓦葺)。一階は間口七間、奥行四間。ガラス戸九枚の店構えで、内部は土間の奥に板敷き大広間と料理場がある。二階の間取りは、襖仕切りの6畳・8畳・6畳の3部屋である。一階の離れは現存していない。

一般公開はされておらず、外観のみ見学可能。

建物内の様子を覗いた
レトロな照明

ブルーシートが屋根にかかっている。昭和30年代以降、保存とはいえそのまま放置されている状態。大丈夫なのだろうか。

ブルーシート

右手にある出っ張ったスペースが調理場だったのかな。

調理場のような場所

大きな柱時計には「横浜 金港連」と文字入り。横浜からはるばる、芝山町まで参詣に…

横浜 金港連
ガラス戸の旅館の文字
屋根

軒下の講中札は取り払われており、札がかつて存在したであろう影だけが消えていない。

講中札の跡
残っている札 若松源

これだけ立派な旅籠、文化財登録などされずにひっそりと残っているのが勿体ない…何か活用できないものなのだろうか。

笹喜旅館の裏側は、建物が切り離された跡が見える。裏手に離れの建物が存在したのだろうか。

建物の裏
Advertisement

名も無き木造の民家

そして、笹喜旅館の向かいには木造平屋建ての古民家が残っている。

参道沿いの古民家

2014年のストリートビューを見ていると住んでいる方がいらっしゃるようだったので、最近まで民家として使われていたのだろう。

 

住所表記
瓦で段差をつけている

特にこちらの建物についての説明書きは無い。

柿と古民家

Advertisement

旧藤屋旅館(離れ)

笹喜旅館の並びに残っているのが、藤屋旅館。現在は離れのみ、現存している。

藤屋旅館跡地

藤屋旅館の母屋は、引用している展示会の資料に写真が載っていることを考えると、最近まで存在したのだろうか?現在は奥にある小さな離れだけ…

藤屋の離れ

木造二階建て(切妻・トタン平葺)で、間口七間、奥行四間の母屋は現存していないが、一階は土間、帳場、料理場、納戸、居室、二階には10畳2部屋、6畳2部屋があった。大正6年(1917)に増築された離れ座敷とその玄関、庭の一部が残されている。

今は更地に

現在残っているのは大正時代に増築された離れと庭。

Advertisement

旧西村旅館

そして最後が、旧西村旅館。参道の一番東側に位置する。

旧西村旅館

木造二階建て(入母屋・桟瓦風新建材葺)。一階は間口五間半、奥行四間半。北側と西側にそれぞれガラス戸4枚(各二間)の店構えである。

二階

建物内を覗くと、講中札がまだ残っていた。机などが置かれている様子を見ると、現在も使われている?

建物内を覗く

向かいには普通に今どきの民家も建っている。

現在

明治時代の資料を見ると、藤屋と西村屋旅館の建物の規模が大きかったようだが、火災に遭って規模が縮小したのだろうか。今残っている建物だけ見ると雰囲気が違う。

建物の裏

芝山仁王尊の門前の現在。

このまま放置されているのは勿体ない気がする。どうにか保存できないものでしょうか。まずは多くの方にこの場所の良さを知って頂けたら幸いです。

 

 

(訪問日:2021年10月)

error: このコンテンツのコピーは禁止されています。