千住遊廓(柳新地)と大門商店街。千住遊廓の歴史-北千住⑵

「日光街道からやや奥まった柳新地と呼ばれた里にも色とりどりのカフェーができた」名著『赤線跡を歩く』では千住柳町にかつて存在した遊廓、赤線地帯をそのように表現している。
千住遊廓の成り立ちなど歴史について知りたい方は前回の記事に書いたので読んでいただきたい。
千住遊廓(柳新地)のカフェー建築を探して。千住遊廓の歴史-北千住⑴
今回は、千住遊廓の探索・後編ということで、前回の続きから探索をする。

住宅街で見つけた建物
前回は、氷川神社で終了した。大正通りから、ニコニコ商店街の一本南側にある細い住宅街を通って、遺構がないか探してみる。

住宅街の奥まった場所で「坂田工務店」という建物を見つけた。特にカフェー建築とかではないのだが、建物などあらゆる場所でよく見かける雷紋を発見。雷紋を見ると、ラーメン屋を思い出す人も多いかもしれないが、意外と広範囲で見かける不思議な柄なのだ。

実は、坂田工務店から南に伸びる細い細い路地を通ると、「明治屋質店」という隠れた質屋にたどり着くらしい。その存在を知らなかったため、私は見逃してしまった…
千住柳町で質屋は「明治屋質店」だけが残っているのかも。他には見かけず。
住宅街の路地を東西に探索し、少しづつ大門商店街を目指す。

「カフェー建築、RAA時代の建物の名残」と紹介されている建物。確かに茶色と白のタイルは目立つが、果たしてそうなのだろうか?私が訪れた時は、茶色く塗られていたが、GoogleEarthで確認すると「味の店 一富士」とある。一応、千住遊廓の範囲内ではあるが、住宅地図を手に入れていないので革新が持てず。

文房具屋も閉まっていた。インターネットが普及して、紙の必要性も薄くなってきたからだろう。

謎の彫刻と、娼妓事務所
千住遊廓の少し東側、駐車場になっている場所に違和感を感じた。
まるで建物だけを取り去り、周りはそのまま残しているかのように、門柱と壁が残っている。

また、門柱の上には赤い色をした彫刻の置物が置いてあるのだ。四面しっかりと彫られており、龍や鳥の彫刻が浮きだっている。
これに関しては、他の方も興味を持っており、遊郭の名残?!と様々な仮説が飛び交っているが、後から置いたようにも見える。Twitterで意見を募集したところ、様々な意見を頂いた。彫刻の四面が一枚の欄間だったのでは?との意見や、魔よけ、廃寺の門柱跡などなど…
左右の門柱の高さが違う点も気になるが、以前はどのような場所だったのだろう。
遊廓時代には、「千住貸座敷娼妓事務所」があった場所であり、近くにある「勝楽堂病院」の寮だったり。謎が深まって楽しい。

千住寿幼稚園付近
大正通りの西側にある「千住寿幼稚園」。昭和29年に慈善幼稚善導院(後に慈善学園幼稚舎と変更)として創立されたのがはじまり。その後、昭和46年に「私立 千住寿幼稚園」となり、60年以上の歴史を持つ幼稚園だ。

幼稚園の横に並んでいる平屋の建物が気になった。ちょっと趣向が凝っている三軒ほど並んでおり、どのような建物だったのか…

幼稚園の向かい側には、青い建物の「ブリキヤ」。ブリキヤの左側の住宅街を入っていきます。

住宅街探索
と、道の手前に木製の蓋がしてあるゴミ箱?のようなもの。コンクリート製のゴミ箱を取集しているが、このようなタイプは初めて見た。

下の写真は、もうそろそろ解体されそうなボロボロな建物。建物の中も暗く、すでに無人になっているよう。しかし、2か所の入り口と趣向を凝らしたように見える入り口のデザイン。これはもしや…?と思ってしまう。

入り口の下部にあるコンクリートは、ここまで崩壊するのかというくらい跡形もなくなっている。


商店などだったのだろうか?今となってはわからない。
こちらは1階がお店で、2階はアパートのような建物。2階の扉はどこか異空間へとでも繋がっているのだろうか?

大正通りの交差点
再び大正通り。大正通りの看板はニコニコ商店街などと比べると重厚感があるシックな感じ。

交差点の角にある「銀座 藪蕎麦 千住支店」。


正面から見ると、蕎麦の麦が無くなっている。今は無き「銀座 藪蕎麦」の支店らしい。といっても、この千住支店も2017年に閉店。茶そば専門店ということで、口コミを見ていてもとても美味しそうだ。

藪蕎麦の建物の反対側に伸びる道には、「中村畳店」。まるで宿場町の建物がそのまま残っているかのような立派な木造建築。調べてみたら昭和5年の建築だった。90年近く経ってもなお、状態の良い建物…職人さんの腕が素晴らしかったのだろう。

大正通り、ニコニコ湯の近くにあるバラック家屋のような建物。横から見ると、よくわかるが、これは看板建築の部類に入るらしい。ファザードがブリキで、長年の劣化により赤茶のストライプ柄に…
これは渋い!ネットで検索するとそれなりに注目している人がいる。銭湯や商店街からも近く、昔は賑わっていたのではないか。

レトロな巨大アパート
大正通りから、住宅街へ。くねくねと住宅街を探索していると、自分がどこにいるのかわからなくなる。方向感覚もわからず出会う建物ほど、魅力的なものが多い。
この2階建てのレトロなアパートは、「吉田荘」。大門商店街の南側にある。かなりの世帯が入居できそうな建物は、いつからあるのだろうか。入り口が開いていたので中を少し覗いたら、初めて見る景色が広がっていた。

「気を付けよう!甘い言葉と暗い道」
路地にこういった看板があるのも、千住柳町に赤線があったため、治安が悪かったのかも。


大門商店街
最後は「大門商店街」。千住柳町に遊廓があったことを確実に示している商店街の名称。以前は、入り口に大門商店街のアーチがあったのだけど…またしても無くなっていた。たぶん最近撤去されたらしく、残念。


大門商店街は、他の商店街と比べても活気があり、夕方だったが買いものをしている方が多かった。

千住の赤線時代を知っている方にお話しを伺いたい方は、商店街の入り口近くにある「双子鮨」へ。ランチメニューも安くて最高なのですが、貴重なお話も伺うことができます。
カフェー建築のスーパー?
角にある「ダイハル」と書かれたスーパーマーケット。表からはわかりにくいが、側面を見てみるとカフェー建築の名残ではないかと思う意匠がある。

前面白いペンキで塗られているものの、窓の上部には色のついたスペイン瓦があったのではないか。また、建物の上部のレースのようなデザイン。ドアの横には窓があったのではと思わせる何かの痕跡。


あと、気になったのはこの柱をカットしたかのような中途半端な部分。カフェー建築でよく見られる円柱の名残じゃないかな?こんな中途半端にい柱を切るなんて、斬新なのでついつい疑ってしまう。



真相はわからないが、名残がほとんど残っていない千住遊廓の探索において希望が持てる建物だ。
大門商店街のお店
大門商店街の薬局の前には、色が薄くなったカエルが放置されていた。たまに見かけるこのカエル、名前はなんて言うのかな。


株式会社モトハラと書かれた縦長の看板には、今とはフォントが違うメーカーの名前が。サントリーのフォントはだいぶ変わったんだなあ。

デリカ「ふなちゅう」はとても美味しそうなお惣菜屋さん。

「もつ焼 かねこ」は、勢いのあるフォントが素敵。


千住遊廓は、今となってはそんな歴史も無かったかのように閑静な住宅街になっている。名残を探そうと、住宅街を端から端まで歩いたつもりだったが、意識的に歩かないとたどり着かない路地の先に、質屋があったりと、まだまだ探索不足であることに後から気づいた。商店街も、アーチが撤去され始めている。千住遊廓の名残をこうして記録に残すことができて良かった。
北千住の在りし日の赤線については↓
(訪問日:2020年7月)
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カエルの名前はケロヨンだったと思います。(^^)