荻窪「旅館西郊」に宿泊。昭和初期の西洋式・東京唯一の泊まれる文化財
東京都杉並区荻窪にある国登録有形文化財の「西郊ロッヂング」。現在も本館が「旅館西郊」として営業中。今回は念願叶って宿泊した際の写真を記事にまとめてご紹介します!
他の老舗旅館とは一味違う、元西洋式下宿で特別な時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
荻窪「西郊ロッヂング(旅館西郊)」の歴史
東京都杉並区荻窪3丁目38。JR荻窪駅南口から徒歩6分、住宅街に佇む「西郊ロッヂング」へ。
ベージュ色のモルタル仕上げの外観は夕陽に照らされて味わいのある顔を見せていた。
本館は、昭和6年(1931)築。ドーム屋根が印象的!
写真に写っているL字型の新館は、昭和13年(1938)築。現在は集合住宅として使用されている。
平成13年(2001)から賃貸アパートになっているそうだが、空きが出てもすぐに埋まってしまうほど人気があるらしく…館内も意匠が残っているとのことなので気になる。
元々は、大正5年(1916)に東京都文京区本郷で下宿屋として創業したのがはじまりとのこと。本郷といえば、学生街で国登録有形文化財の「鳳鳴館」など数多くの下宿屋が存在していた街。
関東大震災をきっかけに荻窪に移転し、全室洋間の高級下宿として再スタートした。
「西の郊外にある下宿」=「西郊ロッヂング」。
荻窪では、中島飛行機の工場が近かったため、下宿やビジネスとして宿泊する方も多かったそうだ。ジブリの『風立ちぬ』で描かれた世界観が現在も残っていることに感動する。
昭和23年(1948)に旅館に転業。
戦後、内部を洋風から和風に改修。
旅館が掲載されている本
『東京の、すごい旅館』に素敵な写真とともに歴史がまとめられている。
戦前までは日本初の西洋式高級下宿として。戦後内部を洋から和に改修。昭和30年代までは、日本無線等の地元に栄えた各種企業の社交クラブとして。昭和50年代後半までは、前述の学生宿として。そして、現在では、そのレトロな佇まいに惹かれた人々が小旅行感覚で訪れるようになった。
また、2003年発売の『東京ディープな宿』では泉麻人さんが宿泊されている。私が旅館西郊を知ったきっかけでもある。
経営者から伺った話は後半にて。
昔の古写真
館内に展示されていた昔の写真。
戦前の本館エントランス。ブロック塀、門柱は今は無い。
平成11年の本館エントランス。現在とほぼ同じ姿に。
戦前の本館外観。新館が建てられる前の写真?
老舗旅館に泊まる
今回は、2021年の11月に旅館西郊に宿泊。素泊まり6500円。電話で予約して向かった。
宿泊した部屋は、2階の月。
浴衣、タオル、アメニティ等、すべて揃っていて特に心配な点は無かった。テレビも壁についている!
冷蔵庫は扉の前に。電子レンジは廊下で共用。
Wi-Fiもあり。電話がレトロ~
さすがに築100年経過しているので歩くと振動が少し気になったが木造旅館の醍醐味だな~と思った。
客室から見る中庭。コの字型に客室が連なっている。
風呂は青いタイルが印象的な浴室。もう一つはピンク色のタイルの浴室があるらしいが今回は見ていない。追い炊きできないので入浴する時間を伝えて沸かしていただく。
現在はコロナ禍で、日帰り可能な方も旅気分で宿泊することが多いらしい。
東京で泊まれる唯一の文化財の旅館。私も今回宿泊することが出来て嬉しい。
また、スリッパのサイズが大きいのは外国人観光客も多いからだろうか。
古い旅館だが、不便はことはなく快適に過ごすことが出来た。
日帰り圏内の方も気になった方はぜひ宿泊してみてください!
旅館西郊 館内の様子
気になる館内の様子を。階段は全部で3つ。御手洗いは2か所。
2階 廊下~お手洗い
まず2階のご案内。
部屋から廊下を少し行くと角に共同のお手洗い。
さらに奥に進むと紅い絨毯の廊下に。ここからかつての洋風の名残を感じる。
玄関先へと繋がるメインの階段。
火災予防!大事。
指のイラスト入りの非常口の看板。これは味わい深い…
松の間。さすが松と名付けられているだけあって部屋に扉、外観から豪華な雰囲気。
1階 エントランス~廊下
階段を降りて1階へ。
玄関から右手の奥に進むと、私が宿泊した部屋に近い階段がある。
上の写真左手にソファー席があるロビー。
パーフェクションの暖かい光に包まれるストーブ。稼働している物を初めて見た。
また、サンキストのレトロな自動販売機も稼働中!お風呂上りに瓶ジュースを頂ける幸せ…
ファンタの瓶ジュースを購入。瓶で飲むと本当に美味しく感じますよね~
ストーブの前で団欒。
マントルピースの隣にはレトロな電気蓄音機。戦時中に部品を組み立てられた?
歴史がある電蓄を置いて欲しいと頼まれたと話していた気がする。
1階の中庭に面している廊下。
1階の奥は大広間。現在は使用されていない。
廊下の奥にあるお手洗い。大広間の隣だからかここのお手洗いは数寄屋風で趣深かった。
旅館で伺った話
宿泊した夜、色々なお話を伺った。特に印象的だったのは冒頭でも書いたが、中島飛行機の関係者が宿泊していたということ。事前に調べている中では見かけなかった情報であった。
第二次世界大戦の際に空襲の被害は無かったのかが気になったので質問してみた。
荻窪駅北口は工場が多かったため被害が大きかったが、南口は家があまりなく被害は少なかったそう。しかし西郊の建物にも焼夷弾が落ち、近所の人達が水リレーでなんとか火を消し止めたのだとか!地元の方々によって守られてきた建物なのですね。
昔は宴会場は夜遅くまで賑わい、接待する部屋が欲しいと洋風から和風に改装したとのこと。
現在3代目。時代に合わせて旅館のスタイルも変化させているので、後継者はいるが今後どうなるかは分からないと話していた。バブル期にはビジネスホテルへの建て替えの話もあったそうだが、建替えたら面白くないし2,3年でなくなると判断したそう。
ヨーロッパでは何百年もの建物が残っているが日本ではそうではない、という話に。毎年宿泊していたヨーロッパの建築関係の方が話していたという言葉が今も頭に残っている。
「木と石はずっと生き続けている。切ったら終わりではない。
しかし、コンクリートはどうやってもつくった瞬間から劣化がはじまっている。」
木造旅館に宿泊すると何だか落ち着くのは、素材が生きているからなんだと思った。
「若い人に泊まってもらえて、木も喜んでいる」と木造旅館を大事にされている心が素敵だった。
また折を見て、あの温かい旅館に宿泊しに行こう…
(訪問日:2021年11月)
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堪らない旅館ですね❗️
「素材が生きている」名言です❗️
外野の素人が言うのは簡単ですが、いつまでも
残って欲しい旅館です。私も訪れてみたいですね。