「馬場本店酒造」を見学!”関東の灘”佐原の醸造業の歴史について -佐原⒃

「馬場本店酒造」を見学!”関東の灘”佐原の醸造業の歴史について -佐原⒃

佐原の「馬場本店酒造」へ!江戸時代から300年近く続く馬場本店の建物を一部見学することができるので立ち寄ってきました。合わせて、佐原の醸造業の歴史についても少しまとめます。

馬場本店酒造の歴史

千葉県香取市イ614番地1。伊能忠敬記念館西入口のT字路近くにある「馬場本店酒造」へ。”糀”のマークが目印!

馬場本店へ

右手には広い駐車場も完備されている。

駐車場

「馬場本店酒造」のホームページに「当店のあらまし」として馬場本店の歴史がまとめられている。

当家の初代は、天和年間(1681~1683)に大和国(奈良県)より佐原の地に渡り、糀屋を起したとあります。酒造を始めたのは五代目、時代は天保十三年(1842年)のことです。
以来、三百余年にわたり佐原の歴史と共に、伝統の製法を守り、日本酒・味醂の醸造を家業として現在に至っております。

元々「糀屋」として創業したことから、屋号は「糀屋善兵衛」。だから糀のマークが現在も使われているんですね!納得。

馬場本店入り口

酒造としてのはじまりは、1842年。「まるごとeちば」の情報によると、清酒を始め江戸末期にはみりん、戦前までは銚子で醤油醸造も行い手広く商いをしていたそうだ。

かつての馬場本店

さらに、明治15年(1882年)に勝海舟が1か月ほど馬場本店に滞在した歴史も?!

歴史を感じる石畳

あまりに有名な歴史上の人物なのでびっくり。現在も勝海舟の掛け軸が残っているという。その掛け軸の号が海舟散人だったので、清酒「海舟散人」と名付けたそうだ。

木製の看板の展示

蔵併設の販売所が左手にある他、インターネット販売も行っているので気になる方はぜひ。

店舗横

160年以上の歴史があるベストセラー、「最上白味醂」。

最上白味醂のラベル

昔から極めて高い評価を受けており、明治36年7月には皇族載仁(ことひと)親王から第5回内国勧業博覧会において「褒状」、大正4年のサンフランシスコ万博においては「ゴールドメダル」を受賞しているそうだ。関東近隣だけでなく全国の一流料理店で愛用されている。

最上みりんの看板

看板にも「名物 みやげ」とある。今も変わらず名物ではあるが、値段が「金一円」という所に時代を感じます。

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馬場本店の建物を見学

営業時間内であれば自由に一部見学ができるそうなので、門を入った奥にある蔵を見学させて頂きました。

蔵を見学

説明看板によると、慶応2年(1866)築の米蔵と機関蔵。

東日本大震災で屋根の破損があったためその後修復したそうだ。

説明看板

機関蔵の建物内は自由に見学ができる。仕込み風景の写真などが展示されている。

機関蔵内部

また、昔のラベルや看板など貴重な資料が展示されており、食い入るように見入ってしまう。

昔のラベルなど

最近、廃業した醸造所のラベルなども集めているので馬場本店のラベルも一つ一つゆっくり見学したいくらいだった。今回は時間が無かったのでまた今度来よう…

蔵内にある馬場本店酒造の歴史についての看板。右側は航空写真が載っており、蔵人達の休憩所や母屋の紹介がされている。

説明看板

敷地内にある煉瓦造りの煙突は、高さ13m。明治31年(1898)の建築だそうだ。青空に良く映えて美しい。

煉瓦造りの煙突
煙突遠景

さらに、酒造りに使われている道具の展示も。

道具類の展示

 

また、2020年3月に訪れた際には、敷地内の建物内でひな人形が展示されていた。

入って左側の建物へ
江戸時代と明治時代のひな人形
敷地内を流れる水

また、店舗脇の石造りの門には電話番号のホーロー看板も!馬場本店の電話番号が、271番だったことが分かる。

電話番号のホーロー看板

見学自由。皆さんもぜひ立ち寄ってみて下さいね~

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佐原の醸造業について

佐原は「関東灘(かんとうなだ)」と呼ばれるほど、江戸時代には醸造業が盛んだったそうです。

その背景には、水郷といわれるほどの豊富な水と、その水を利用した米作りが盛んだったため。また、米よりも酒などに加工することで保存・持ち運びに便利だったという話も聞いたことがある。

利根川高瀬舟の写真

江戸中期には35軒もの酒造家が存在、現在も残っているのは今回紹介した「馬場本店酒造」と「東薫酒造」の2軒のみである。

島田七夫著『佐原の歴史散歩』に佐原の醸造業について次のようにまとめられている。

当時最も大きな造酒屋は、永沢治郎右衛門の千六百七十五石、次いで伊能三郎右衛門の千四百八十石であった。「千石造り酒屋」が二軒あった。両家とも文政九年(1839)のには酒屋株を他へゆずり姿を消している。醤油造りも行われ、天保十年(1839)の記録には十四人が名を連ね、株高二一五石、六九四〇石の醤油を生産していた。

江戸時代末期の1839年には「千石造り酒屋」と呼ばれた二軒とも姿を消しているとのことで、意外と早い段階から徐々に衰退していったことが分かる。

現在、醸造業を営んでいた建物はほとんど残っていないが、小野川沿いの「東海酒造」は明治期の建物が現在も残っている。

また、醤油醸造業を昭和初期まで営んでいた、与倉屋さんの醤油蔵は現在も残っている(たまに見学会などイベントで蔵内を見学することができるらしい)。

 

佐原だけで、35軒もの酒造家がいたとは正直信じられないくらいの多さ。でも今みたいに大手メーカーが浸透しているのではなく、各地の醸造業が発展していた頃のほうが地域の楽しみ方もまた違ったのかもしれない。他の場所では醸造業が壊滅的な地域もあるので、佐原には2軒残っていて嬉しい。

森田屋

(訪問日:2021年8月)