佐原・川岸通り西側の近代建築、老舗。「東海酒造」「徳島屋呉服店」 -佐原⑾

今度は小野川沿い、川岸通りの西側を歩きます。開運橋から南の共栄橋へ。鳥瞰図や住宅地図と照らし合わせて記録に残しておこうと思います。
佐原・川岸通り西側
千葉県香取市佐原イ3844。小野川の北側にかかる「開運橋」から南側を探索。

開運橋近くにある木造建築は、調べたら2015年頃に建てられた比較的新しい建物。景観に合わせて古い建物風な新築も佐原にはあるんですね~

こちらは、隣に店舗があるクボタ農業機器の倉庫。

一般の民家の生垣の上に猿?の人形が設置されていて可愛い。2019年頃に設置されたようだ。

以前紹介した小野川東側の街並みを反対から。近くで見ていると気付かないことも多いので、必ず両方の道から写真を撮るようにしている。今回、佐原は範囲が広いので1日では到底周り切れず。

綿佐・東海酒造
建物内に説明看板が設置されているので撮影。「綿佐・東海酒造」とある。

明治5年(1871)頃築。創業は江戸時代末期とのこと。

初期は綿佐の屋号で、綿・陶器等の販売を業としていた。
その後、明治24年から昭和46年まで醸造業(銘柄「東海」)を営んだ。昭和初期に清酒738石、焼酎30石の記録が残る。佐原は、交通が発達して歓声の酒が江戸に入るまで「関東灘」と呼ばれ、36戸、2万5千石の醸造があった。大きな総二階造り、道路側に葺き下ろす瓦屋根、門、中庭は、醸造家としての屋敷構え。門をくぐると中庭があり奥の現在駐車場となっている所に酒蔵があった。
昭和46年まで銘柄「東海」として醸造業を営んでいた。酒蔵があった場所は現在「東海パーキング」に。時代の移り変わりを感じる。

”東海”で検索してもネット上にはほとんど情報が無い…
大野酒店のレトロ看板
東海酒造の隣にある木造平屋の建物は、昭和46年の住宅地図では個人宅となっている。

たぶんショーケースがあったと思われる土台は紫色のタイルが目印。説明看板などが無かったが、元々はどのようなお店だったのだろう?

そして並びの元大野酒店に残るレトロな看板たち…ファンタの瓶が描かれた大きな看板も渋い!

明治牛乳の箱も残っていた。「佐原大野販売所」で販売されていたようだ。


大野酒店自体は閉業しているが、看板などがそのまま残されていて嬉しい。一番左は「酒は長久 ビールはキリン」と書いてある。

長久(ちょうきゅう)は和歌山県の地酒のようだ。佐原でも東海のように多数のお酒が造られていたと思うが、遠い和歌山県のお酒を大々的にアピールしているのに驚いた。

徳島屋呉服店
中橋の西側にある大きな木造2階建ての建物に目を奪われる!
昭和46年の住宅地図では「徳島屋呉服店」と書いてあるが現在は閉まっている。

最近改装されたのか、外観はとても綺麗。呉服店にしては大きいような…と思い鳥瞰図を見てみると、この辺りには「旅館魚松」が描かれている。

ということは、元々は旅館だったのかな?旅館魚松についても情報があまり無いが、部屋数も多そうだし旅館として多くの旅人が集っていたのかもしれない。風情ある建物だなと感じた。

並びは、小林陶器店、寺島商店、柏京商店、小林材木店など。現在は営業していないが建物は残っている。

一番左の角は「ワーズワース佐原」として営業中。古民家を改装したイタリアンレストランとして新たな物語が生まれている。

共栄橋近くの「木の下旅館」は飲食店に。

木の下旅館以外にも、かつて「宮川旅館」「近久旅館」が小野川沿いに並んでいたようだ。

↓の写真、一番右のグレーの建物がかつての近久旅館?その左は現在、佐原商家町ホテルNIPPONIAとして活用されている。

門の上の鉄壁…
小野川沿いの建物紹介はこれにて終わり。次は佐原駅方面へ向かって探索を進めます!
(訪問日:2021年8月)
-
前の記事
佐原・旅館の歴史「木の下旅館」をはじめ文化財「木内旅館」など -佐原⑽ 2022.04.27
-
次の記事
佐原「銀座商店会」、老舗銭湯「柳湯」が裏道に&「東通り商店会」 -佐原⒀ 2022.04.30
昭和42年ごろ、小野川ぞいを通って当時の佐原小学校に通っていました。まだ、今ほど観光地色は濃くなくて、川沿いには今のような柵はなく、うっかりすると川に落ちる、そんな感じだったと思います。