小野川沿い「中村屋商店・楫取魚彦生家跡・旧成家歯科医院」 -佐原⒇
文化財の「中村屋商店」から小野川沿いを南へ。洋風な外観の建物は元病院建築?また、伊能忠敬記念がある場所も昔は歴史ある邸宅があったのをご存知でしょうか?
中村屋商店
千葉県香取市佐原1720。忠敬橋の西側、角にある建物は「中村屋商店」。
千葉県指定有形文化財の一つ。千葉県のホームページに概要がまとめられているので引用する。
店舗兼住宅は、江戸時代末期の安政2年(1855)に建築されたと伝えられる。1階は内側に揚戸を建て込み、外側の土庇を格子戸と壁で囲う構えとしている。また、2階正面には繊細な格子窓を組み、軒下をはりだした「せがい」とするなど、格式のある形式である。
3階建ての土蔵は、明治25年(1892)の大火後に建築されたもので、正面の交差点が直角に交わっていないために、変形の切妻屋根をしており、間取りも変形平面の部屋を設けるなど工夫を凝らしている。
明治7年(1874)頃より代々荒物・雑貨・畳を商ってきた。私が10年ほど前、2011年頃に訪れた時は角の建物も中村屋商店として営業していたが、現在は「佐原商家町ホテルNIPPONIA」として利用されているようだ。
和雑貨などが多数並んでいて、私もお土産を買うのに店内にお邪魔した覚えがある。その時の記憶が鮮明なので現在はホテルとなっている姿を見て驚いた。
和雑貨のお店自体は、左側の土蔵の方で続いているようだ。貴重なコレクションも展示されているみたいなので今度は入ってみたい。
中村屋商店の並びに入り口があるのは懐石料理の「佐原千与福」。店舗自体は奥にある。
楫取魚彦生家跡(伊能忠敬記念館)
小野川の向かいにあるのは、伊能忠敬旧宅。現在は反対側に「伊能忠敬記念館」が存在するが、元々は旧宅の方に記念館が存在したことは以前の記事でも述べた。
それでは、伊能忠敬記念館が出来る前は、その場所には何があったのだろう?
島田七夫著『佐原の歴史散歩』に詳しく載っている。
江戸中期から後期にかけて活躍した国学者・歌人の楫取魚彦(かとりなひこ)の「楫取魚彦生家跡」が存在したという。
楫取魚彦は、本性を伊能、名を景良という。伊能忠敬より22歳年上で二人の交友関係もあっただろうと推測されている。
しかし、平成7年に同家の事情によって生家があった宅地は佐原市に売却され、「伊能忠敬記念館」が新しく建つこととなった。同家に残っていた古文書類は佐倉市の国立歴史民俗博物館に寄贈されたという。
私が物心ついたときには記念館は現在の形になっていたので、生家があったのは知らなかった。
昭和43年に発行された『郷土資料観光辞典』にも「楫取魚彦旧宅」として紹介されていることからも、観光地として知られた場所だったに違いない。しかし、写真が載っていないのでどのような邸宅だったのか…
現在は裏通りに石碑が残るのみである。
小野川沿いの旧成家歯科医院
そして、佐原にはもう一軒病院建築が存在する。伊能忠敬記念館入り口の手前にある洋風な建物。
佐原は古い建物風に新しくつくられた新築の建物も混じっているので、この建物も新築かと思っていたが、横から見ると木造平屋の建物が奥に続いている。
新築と間違えてしまうほど綺麗に維持されているのが分かる。
昭和5年の鳥瞰図では「成家歯科医院」として現在と同じような姿が描かれている。
昭和62年の住宅地図では既に廃業しており個人宅に。病院時代の看板などは残っていないようだ。
調べると、東洋学園大学の「東洋学園史料室」の2015年6月5日の記事に、この成家歯科医院についての詳しいレポートがあった。建物内の写真も載っているので有難い。
大正15年(1926)に旧制東洋女子歯科医学専門学校を卒業した1回生である、成家玉先生について調査した内容だそうだ。
現在残っている洋館は、昭和2年(1927)築の診療所兼住宅であると判明。当時の佐原に洋館を手掛ける大工がおらず、東京の荻窪から職人を呼んだというエピソードが興味深い。また、ご一家が小石川(東京)に住まわれた時に鳩山家と行き来があり、鳩山邸(現 鳩山会館)をモチーフにしたとも伝えられているそうだ。
その後、修繕を重ねた旧成家歯科医院は、平成11年(1999)に竣工当時の現状に復元されたという。
1階の右側が診療室、左が待合室。先ほどのレポートに載っている、診療所だった応接室の写真もとても素敵!
樋橋(ジャージャー橋)
旧成家歯科医院の並びの街並み。左は「金清」という屋号で、昭和32年頃まで和服の仕立て屋として営業していたそうだ。
向かいにはうなぎ料理店「宮定」。建物は、テレビ東京の「和風総本家」のオープニングにも使われているのだとか!
旧成家歯科医院の前にある木橋は、「樋橋」。元々は佐原村用水の大樋(水道橋)で、安心して人が通れるような橋ではなかったそうだ。
昭和初期にコンクリート橋になるまで、落水の音がする樋橋を「ジャージャー橋」と呼び親しんでいたそうだ。その後、平成4年に千葉県の「ふるさと川づくり事業」の一環として木橋にかけ替えられたが、観光用に30分間隔で落水させたことで、名前の由来が蘇り、「手作り郷土賞」を受賞。
佐原は多くの方が知っているように、古い建物がたくさん残っている。そして現在も地元の方々など多くの方の協力によって守られている。
今回、雨の中、数時間しか探索が出来なかったが、それだけでも記事数が25記事を超えてしまった。それでもまだまだ行けてない場所、入れていないお店があり、これからも何度でも足を運びたい。
最近は、着物のレンタルも行っているようなので、同年代の友達を誘って着物散歩をするのも楽しそうだ。(意外と同世代は、川越は行ったことがあるけど、佐原に行ったことが無い人が多いみたいなので…)
佐原、皆さんもぜひ足を運んでみて下さいね~!
(訪問日:2021年8月)
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