佐原の隠れ近代建築「松信食物研究所」、旧病院など -佐原28
佐原の街歩き。今回は、諏訪神社を後にして裏道にある近代建築を巡ります。
佐原 修道記念碑と旧病院
千葉県香取市イ。前回の諏訪神社から南東方向へ。ますます観光客は歩かないであろう閑静な住宅街に来た。
丁字路の角に建つ修道記念碑が目に留まった。修道記念碑を囲うように白線が引かれていて、大事にされているのが分かるなあ。以前は碑を覆うように高い木が佇んでいたよう。
大正15年建立。
15,400円程かけて地元の方々の寄附によって道路が修繕されたという。
また、修道記念碑の左手にひっそりと近代建築あり。手前にあった木造平屋の旧店舗?と思われる小屋が無くなり見やすくなった。
入口にも古い門柱があったが取り壊されていた。しかし、塀の奥に見えるのは…
和洋折衷な元病院のような建物。入り口の柱と桃のような形のレリーフにときめく…
常照寺周辺 旧飲み屋と洋館
先ほどの修道碑から右折して常照寺のある神明町、裏通りも歩いてみる。
見えてきた二階建ての建物。窓が少ない外観から、元飲み屋かなと。
現在は閉まっている。
奥にも小さな扉があった。なんだか大人な雰囲気。
その入口には「佐原料理・バー組合」の看板が!こんな裏通りに大人なお店があったとは~ よく見ると建物脇には数台の駐車場があり大人数収容できそう。
同じ敷地内には洋館のような建物。
奥にある主屋と隣接しているように見えるので、戦前流行った洋館付住宅だろうか。
手前にある木も昔はやっていたものだと思うので、この一角だけ切り取ると昭和初期の佐原を見ているよう。
そして南進すると常照寺。占い?看板が表に。
一通り見たので、先ほどの修道碑を左折して並行する通りを歩いた。本郷書店は教科書の販売等を行っていた。
「松信食物研究所」近代建築
そして、次の近代建築はチャンカ通りのすぐ近く。
現在は、うなぎの長谷川の駐車場となっている場所の背後に近代建築が佇んでいる。和館と洋館。
洋館の入り口。水色の扉にクリーム色の壁。単なる洋館ではなく、この洋館自体が役目を持っていた様子。洋館までの石畳もあるので以前は庭だった場所が駐車場になっているのでは?
その建物の名は「松信食物研究所」。食品の研究所?現在は使われていない様子でネット検索しても出てこない。
向かいには鰻屋。右手の駐車場には文化財の木内旅館が存在したが今は跡形もない。
辺りを見渡せば老舗揃い。
いずれも個人宅なので見学する際はお静かに… 裏通りにも近代建築が多数残っているのは、流石佐原だなと思います。
(訪問日:2022年3月)
-
前の記事
佐原駅~諏訪神社。歴史深い伊能忠敬銅像・柳翠史料館 -佐原27 2023.08.10
-
次の記事
佐原にかつて存在した映画館「坂本座」。香取市最後の映画館 -佐原29 2023.08.13
初めまして。
私は佐原界隈で仕事をしているものです。(地元のものではありませんが)
明里さまの調査記録を大変興味深く拝読致しております。
松信食物研究所の記事に関して、面白い資料を見つけたのでご報告いたします。
https://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/da/download?id=0000000014-CHB600258&type=imagepdf&file=CHB600258_0014.pdf
↑のサイトにある古い紳士録の写しに、松信食物研究所様の関係者と思しき人物の紹介があります。
pdfファイルの2ページ目(原本の436ページ)です。
松信譲齋
医師にして佐原町格致病院長たり。内外科を好くす、嘉永三年五月茨城県行方郡に生まれ、旧麻生藩に仕えたることあり。従て剣、槍、馬術の武技に長じ書画を愛す、本県に来りて現在の格致病院を設置したるは明治二十年十月にして専心仁術を業とし、傍ら私立格致産婆学校を付設してこれに教鞭を執る。又本県検疫医、香取郡医師会長、同幹事等を為して功労あり、其他赤十字支部役員、衛生委員、所得税調査委員等をも為せり。書道及び歌道は其最も嗜む所にして、又多年人種改良論を提唱し自ら宇宙の師、人種改良の祖を以て任ず。翁即ち咏じて曰く「太陽を笠に着かぶり地球をばまるのみにして水をやとにす」と、以て其の抱負の大なるを知る可きなり。
この人物が開いた格致病院の姿を描いた版画を、↓のサイトで見ることができます。
https://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/hakuranzu/shohen/1091.html
残念ながら、格致病院が現在の松信食物研究所の所在地と同じ場所にあったのかどうかわかりません。
ご参考まで。
こらからの明里さまの調査レポートを楽しみにしております。