「伊能忠敬旧宅」を見学!歴史と佐原に現存する最古の蔵 -佐原21
佐原の有名人といえば、伊能忠敬!日本中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を作成した人物として教科書にも載っているのでご存知の方も多いと思います。
佐原では、伊能忠敬の旧宅が現在も保存されています。佐原の観光では欠かせないスポットですね~
伊能忠敬について
まずは簡単に伊能忠敬についてまとめておきます。
延喜2年(1745)、現在の千葉県九十九里町で生まれ、横芝光町で青年時代を過ごす。17歳で伊能家当主となり、佐原で家業だけでなく村方後見として活躍。その後家督を譲り隠居してから50歳の時に江戸に出て、55歳から71歳までに10回にわたり日本全国を測量してまわった。
九十九里町で生まれ、横芝光町で育ったとは知らなかったな~
調べたら九十九里町には「伊能忠敬出生地」、横芝光町には「伊能忠敬成長の処碑」が設置されているらしい。横芝光町といっても駅近くではなく、旧大総村の道路元標がある辺り。
忠敬は17歳にして伊能家に婿に入ることになるが、その頃、伊能家は少し傾きかけていたという。しかし、教養に長けていた忠敬によって持ち直したという話からも、いかに優れた人物であったかが分かります。
私が中学生の頃、10年近く前に読んだ冲方丁著『天地明察』の話の中に、伊能忠敬が江戸で測量を学んだ話が出てくる。当時、60歳が平均寿命だった中で、50歳になってから江戸に出て勉強する熱意、本当に尊敬しますね…
私自身も日々街歩きをしていますが、いくつになっても各地を巡って魅力を発信していきたいなと思います。
そういえば、伊能忠敬を大河ドラマに!と以前地元の方が活動されていたけど、その活動が実って?今年5月に伊能忠敬の映画が公開されるらしい。
映画『大河への道』中井貴一×松山ケンイチ×北川景子、日本地図を作ったのは本当は誰?!歴史発見エンタメ
主演は中井貴一。なかなか面白そうなので公開されたら見てみたい!
伊能忠敬旧宅の見学
千葉県香取市イ1900−1。国指定史跡の「伊能忠敬旧宅」へ。
伊能家は代々名主を務める佐原でも最も有力な商人だったそうだ。当時、家業は主に酒造業、米殻販売、それに舟運業なども営んでいた。敷地内には酒蔵や米蔵が並んでいたという。
この旧宅は、伊能忠敬が17歳~50歳までの間暮らした家である。
入ってすぐの道路に面した建物は、商売をしていた時の店舗で忠敬以前のもの。
江戸時代から比べると敷地と家屋の規模が縮小しているが、昭和20年代まで伊能家の住居として使われていたという。旧宅一帯が伊能家の敷地だったという広さ。
店舗の建物と繋がっている炊事場。
奥につづく母屋と書斎は、寛政5年(1793)に忠敬自身が設計して建てたという。
また、敷地の奥にある土蔵は、文政4年(1821年)の修理銘が残っており、佐原でも現存する土蔵では、最も古い時期の建物だそうだ。扉は観音開きが普及する以前の土の引戸。
閉館時間が16時半と早かったので、隅々まで見学できず…
私は気づかなかったが、明治25年大火のときの焦げ跡が正門の左上部にあるらしい。
農業用水&伊能忠敬記念館
また、敷地内には江戸時代につくられた農業用水路の一部が残っている。かつてここを流れた水が小野川に流れ落ちジャージャーと音がしたことから、樋橋のことを通称ジャージャー橋と呼ばれているそうだ。
市内に残る狭い路地のいくつかは、使われなくなった用水路を埋め立てて道路としたもの。
また、向かいに、「伊能忠敬記念館」がある。大人一人500円。
私は以前見学をしたことがあるので今回は入らなかったが、元々は旧宅の奥に「伊能忠敬記念館」があったそうだ。その頃は入場無料だったというので驚き。
現在の記念館は平成10年に開館、『佐原の歴史散歩』が発売されたときは、対岸に新しい記念館を建設中とある。旧宅敷地内の奥にあった建物は旧記念館の建物のようだ。
(訪問日:2021年8月)
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