佐原・本橋本の近代建築。老舗揃い「油茂製油」「加納屋薬局」など-佐原⑹

今回は上町から小野川へ向かう「本橋本」のエリアを探索。現在の佐原三菱館~小野川までの県道55号沿いの街並みも見応えがあるので、丁寧に記録に残していこうと思います。
佐原・本橋本を探索
千葉県香取市イ。県道55号沿いを東から西へ歩いている。今回は前回紹介した「佐原三菱館」から小野川の忠敬橋までの「本橋本」。本橋本のエリアとしては南側の伊能忠敬旧宅も含まれるが、旧宅については後で紹介します。

平屋の蔵造りの店舗は、雑貨店「シャロームナカトラ」として営業中。昭和5年の鳥瞰図にも「柳原小間物店」、昭和62年の住宅地図では「中寅商店」とある。

明治19年創業の中寅商店。

雑貨店隣の脇道、昭和62年の住宅地図では奥に「エビス旅館」と書いてある。
現在は旅館らしい雰囲気はないが、路地裏にも歴史を感じる稲荷があって見逃せない。
旧加納屋薬局
ウサギの大きな人形が置かれた「癒しの雑貨らぱん」というオシャレなお店。外観は真っ黒な重厚な蔵造りで、ファンシーな雰囲気とのギャップがまた良い。

元々はどんなお店だったと思いますか?

正解は薬局!「加納屋薬局」の旧店舗である。
「ぼくの近代建築コレクション」に2003年の写真が載っているが、かつては土蔵造りが見えない看板建築になっていたようだ。その後、平成20年頃にかつての姿に蘇ったという。
飯岡村(現成田市)出身の澤田嘉兵衛といい人物が、文化元年(1804)に佐原で薬種店を開業。現在復元された土蔵は、弘化2年(1854)に土蔵倉を改造したものだそうだ。
昭和5年の鳥瞰図にも、大きな土蔵造り店舗が描かれている。それほど大きな店舗だったのに閉業してしまったのは残念だが、現在は新しいお店が入り、若い人に人気なお店となっている。
油茂製油
加納屋薬局の隣は、油茂製油(あぶもせいゆ)。出桁造り、店頭のガラス戸に「ラー油」のポスターが貼ってあるが、ごま油とラー油を製造販売している専門店だそうだ。

このお店も新しいお店かと思ってしまい、スルーしてしまったが創業370年以上の老舗であることを後から知った。
ホームページに詳しくまとめられている。
店舗は、明治25年(1892)築
土蔵は明治期築
創業は江戸時代初期
戦国時代、千葉国分氏に仕えた武士、小田原北条氏滅亡後佐原に帰農して製油業を始めた。現在22代目。江戸末期、国学者で歌人の伊能穎則(明治天皇前で「令義解」を講じた)を出生している。明治25年大火後に建築した建物で、2階の格子や外観は明治期の特徴をよく残している。内部も左奥に2階への急な階段や座敷の千本格子障子など商家としての佇まいが窺える。屋敷の奥には大火以前の土蔵がある。古い家相図が残り建物配置を見ることができる。
私が訪れた時は店頭の説明看板が無かったが、「油茂(あぶも)」の説明看板が設置されているという。
寛永年間(1630年頃、家光治世)の時代に創業、日本で現存最古の油屋だそうだ…恐るべし。次回佐原に行った際は絶対に立ち寄りたい。
向かいのお店は茶屋で賑わっていた。横に広い土蔵造りの店舗は、昭和5年の鳥瞰図には左から「久保庄洋品店」「久保庄呉服店」とある。

中村屋乾物店
そして並びにある土蔵造り店舗は「中村屋乾物店」。県指定有形文化財。

千葉県のホームページに詳しい概要がまとめられている。

江戸時代創業以来の乾物店。多古町中村の出身であることから、中村屋と名乗っているそうだ。
店舗は、明治25年(1892)に佐原を襲った大火直後に建築されたもので、当時最高の技術を駆使した防火構造であり、壁の厚さが1尺5寸(約45cm)にもなる。間口は3間で、1階は畳敷と通り抜け土間のある店構え、2階は屋根裏を表した倉庫になっている。1階の正面は揚戸と土間の建て込み、2階は観音開きの土戸としている。
文庫蔵は店舗から1間程離れて建つ3階建ての建物で、1階と2階は明治18年(1885)の建築、3階は店舗とともに明治25年(1892)の大火の前の形で再建されたもので、2室続きの座敷になっている。
限られた敷地の中に蔵造りの建物が建つため、居室に文庫蔵の3階をあてるなど居住空間の配慮に工夫が見られるのが特色である。
また、ストリートビューを見ていて気付いたのだが、2階の観音扉にも「乾物類」などの文字が描かれているのが見える。
また、ガラス戸には「中村屋 電話十八番」の文字も。今度は扉の方もよく見てみよう。
店頭に観音開きの文字の説明が書いてあった。鰹節って「勝男節」って書くんですね~




向かいには、天保3年創業の「佐原のすずめ焼き発祥の店」、「麻生屋」。

1832年に川魚問屋として創業。すずめ焼とは、小鮒など川で採れる小魚を背開きにして串に刺し、醤油ベースの合わせダレをつけて焼いた料理とのこと。一度食べてみたいな~
大高園茶舗
並びの「大高園茶舗」は立体的な看板が残っていて素晴らしい。こういう立て看板、令和の時代でお目にかかれることは少ないんですよね~

明和2年(1765)の創業以来、たばことお茶を商っている老舗。伊能忠敬愛飲のお茶を再現したオリジナル銘茶『忠敬好み』が気になります。

かつては、店舗左側角に昔のたばこ屋のL型湾曲ガラスケースがあったが、現在は木製のものに変わってしまった。
植田荒物店
忠敬橋に一番近いところにある「植田荒物店」。

江戸中期の宝暦9年(1759年)に創業し、250年もの間、ここ佐原の町で人々の暮らしを支えてきた「植田屋荒物店」。
職人の手で作られた日用雑貨が並ぶ、昔懐かしい荒物屋さんです。長年の経験と豊富な知識で良品をお届けします。
テンポは、明治26年(1893)築、土蔵は明治初年築。

大火前の土蔵は一般公開されているらしいのでまた今度見学したい。
角には植田荒物店の貯水槽?も。


小野川を渡った目の前にある「中村屋商店」。町の顔をもいえる建造物、まだまだ佐原の探索は終わらない…

(訪問日:2021年8月)
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以前、佐原の歴史を調べる中で「中村屋」を調査したことがあるのですが、
中村屋乾物店を本家に中村屋商店、並木仲之助商店、油茂製油、中寅商店、中村屋酒店は全て親戚なようです。
酒店にはないようですが、類似したマーク・商標があり、
乾物店の「丸の中に平」を基に、漢数字のニ(商店と並仲)、三(油茂)、四(中寅)を足した商標があると訊きました。
※油茂は、名字が伊能から並木に変わった後も、製法・業歴を引き継いでいることから使用しておらず、中寅も四を嫌って使っていないようです。
江戸末期や明治初期の当時、近所に子供・兄弟姉妹を置いて、
商売させるほど景気良く先が明るい地域だったのだと思います。
詳しい情報ありがとうございます!
え~!ご親戚なのですね。そう考えると横のつながりが見えてきて面白いですね~勉強になりました!