佐原駅周辺の歴史。繭市場・金田屋旅館・清見屋・丸越百貨店 -佐原⒂
今回の記事では、佐原駅周辺について。現在は解体されてしまっているが、駅前通りには百貨店などの大型商業施設も最近まで存在しました。
さらに戦前を辿ると駅前には「金田屋」という豪華な旅館やカフェーも?変化が激しい駅前について歴史を追ってみようと思います。
成田線「佐原駅」
千葉県香取市佐原イ。成田線「佐原駅」の開業は、明治31年(1898)。2011年から2代目駅舎となっており、2015年に完成した駅前広場と合わせて佐原の町並みをイメージした和の雰囲気。
2021年8月の探索では駅前まで足を伸ばせず、2020年3月に撮影した写真を載せようと思ったら駅舎全体を撮っていなかったのでストリートビューを引用…
ロータリーが整備する前は、駅舎のすぐ近くまで商店が並んでいたようだ。
駅の一番手前には「ドムドムハンバーガー」の店舗も昭和62年の住宅地図では見られる。
(ドムドム跡地?2012年)
平成10年発行の『佐原の歴史散歩』という本には、待合室には木製の長いベンチや、昭和13年(1938)に小野賢一郎が書いた「名勝水郷の由来」の額が掲げられているとある。今度行ったら確認しよう~
旧繭市場の煙突
また、先ほど引用した『佐原の歴史散歩』にはもう一つ興味深い記述がある。
姿を消した旧繭市場の煙突
佐原駅のターミナル越しに左前方に、長い間、コンクリート製の高い煙突が見えていた。それは佐原繭市場の発展したものともいえる。「下総乾繭販売購買利用組合連合会」(昭和13年<1938>設立)の乾繭工場の煙突である。この工場の建物の一部が数軒の商店に利用されていたが、その建物の老朽化と利便などから再開発することとなり、平成8年5月、建物と煙突は昔を知っている人々に惜しまれながらついに取り壊された。この煙突は長い間、佐原のシンボル的存在であった。
また、高さ37mの煙突の西側にはおよそ100発もの弾痕があったそうだ。昭和20年7月4日12時30分頃、佐原を空襲したアメリカ軍戦闘機P51の機銃掃射によるもの。
多古町の旧繭市場の記事も書いたが、戦前の香取郡は養蚕が盛んな地域だったそうで、各養蚕農家でつくられた繭は佐原駅前の乾繭工場に集められていた。弾痕が残った煙突は現在、伊能忠敬記念館の裏手に一部保存されているらしい。機会があったら見てみたいな。
再開発後、ショッピングセンターは「まゆ」へ。
繭市場の歴史を知っている人は少ないかもしれないが、現在もショッピングセンターとして名前が残っているのは感慨深い。
金田屋旅館
佐原駅前には旅禍や商店が軒を連ねていたが、その中でも特に目立つのが「金田」。佐原駅南にあるセブンイレブン香取市佐原駅前店がある一帯には、「金田ホテル」という老舗旅館が存在した。
セブンイレブンの広い敷地すべて旅館だったと思われるが、かなりの広さ…!
また、向かいの角、現在観光案内所がある辺りには「カフェー金田」も存在した。
調べても情報があまり見つからず、その後金田ホテル跡地は「十字屋ショッピングビルポポ」になっている。昭和62年の住宅地図では十字屋ポポが健在だったが、2009年には解体され跡形も無くなっている。金田ホテル、カフェーについて資料が手に入り次第またまとめたい。
佐原ショッピングプラザ清見屋
現在セブンイレブンの場所が「十字屋ポポ」。さらに他にも大型商業施設、百貨店が存在した。
駅前通りを東へ、踏切の南側には百貨店の「佐原ショッピングプラザ清見屋(せいみや)」。
2012年のストリートビューには閉業した建物が映っている。4階建て、屋上には遊園地もあったとか。
2015年頃には解体され現在は更地に。歴史は古く、江戸時代から佐原市内で呉服と寝具の専門店として営業。1970年頃に駅前商店街に移転し、百貨店としてオープンしたそうだ。その2年後には十字屋がオープンするなど、佐原駅前はかなりの賑わいに。
しかしその後、近隣に郊外型ショッピングセンターがオープンするなど厳しい状況になり、2004年に自己破産による閉店。十字屋も1997年に閉店している。跡地には、香取市のまちおこしセンターが建設される予定。
丸越百貨店・富士デパート
また、向かいの角には「丸越百貨店」。
2018年頃に解体されており、現在は更地。
また、Twitterのフォロワーのh.r.m2017さんに昔の写真を提供して頂きました。ありがとうございます!!
また、その裏手には「富士デパート」。同時期に解体されている。
また、清見屋の裏手には昭和62年の住宅地図によると「佐原演芸館」「ショッピングプラザ大使館」などが営業していた。
下堀通りに面したショッピングプラザ大使館の建物は現在も健在?
私が昔佐原を訪れた時はこれらの廃墟も存在していたのに、撮影していなかったのが悔やまれる…
佐原の百貨店は悉く姿を消した。
PLAZA DE ARCOS
百貨店などは解体されてしまったが、駅前降りには小さなデパートが健在。
「PLAZA DE ARCOS(アルコス)」である。
1階と2階、最盛期には14店舗ほどが入っていたと思われる。現在も衣料品店が営業中。
今回、2021年8月の探索では駅前を歩くことができなかったので駅前商店街の撮影はまた別の日に行う予定。
繭市場、百貨店など今は無き歴史を深堀できて楽しかったです。
(訪問日:2021年8月)
-
前の記事
佐原「横宿通り」に残る看板建築と「旧山野医院」 -佐原⒁ 2022.05.01
-
次の記事
「馬場本店酒造」を見学!”関東の灘”佐原の醸造業の歴史について -佐原⒃ 2022.05.03
昔は8月16日に花火大会があり、昼は商店街対抗の仮装行列をやっていた記憶があり、駅前商店街はいつも1番人気でした。
富士デパートは屋上に観覧車やローラースケート場、店内にはアイドルグッズの店がありました。
繁栄当時はポポや清見屋にもたくさんの芸能人やヒーローショーがやってきました。