”成田闘争の町・芝山町”成田空港からバスで山武郡芝山町へ向かう -芝山⑴

”成田闘争の町・芝山町”成田空港からバスで山武郡芝山町へ向かう -芝山⑴

成田空港からバスに乗って、芝山町へ。この町は、成田空港建設のために町の移転を余儀なくされ、かつての面影が時が止まったまま残っています。芝山仁王尊に隣接して昔の旅籠も…

今回は、バスで芝山町へ初めて行く様子と周辺の商店街を探索します。

 

※昨日の分のブログ記事が投稿できておらずすみません!今日からは、芝山町シリーズになります。

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空港シャトルバスで芝山町へ

千葉県山武郡芝山町小池。まず、芝山町へ行く手段として、私の家には車が無いので公共交通機関を考えると、成田空港からシャトルバスで行く手段が効率的だった。

成田空港第二旅客ターミナルから、芝山文化センターで下車。

バス時刻表

2時間に1本ほどしか無いので、10時15分のバスに乗り、帰りも16時台のバスに乗って帰宅。短い時間だったけど、1日芝山町を探索することができた。

片道300円。20分くらいバスに揺れる。途中、バスが芝山鉄道「芝山千代田駅」で停まった。日本一短い鉄道として知られる。

芝山千代田駅

芝山千代田駅周辺は成田空港の関連施設があり、日本最初の航空専門の博物館「航空博物館」は必見。私も小学生の頃に訪れたことがあるが、2019年にリニューアルしたらしいのでまた訪れたいな。

また、隣接して「成田空港 空と大地の歴史館」も。成田空港建設や反対闘争について、私も含めてよく知らない世代にとって、こうして博物館として学ぶ場所があるのは有難い。

緑の大地と空がふれあう町

20分後、バスは芝山文化センター前に到着。今回はここから歩いて、芝山仁王尊を目指します。徒歩30分くらいかな。

芝山仁王尊は、成田山新勝寺と人気を二分するほど多くの参拝者が訪れていたそうだけど、昔の人はどうやってここまでたどり着いたのだろう?以前調べた「成田鉄道多古線」も芝山仁王尊からは遠い。

埴輪がお出迎え

数多くの古墳が発見され、千葉県内有数の古墳密集地として知られる芝山町。至る所に埴輪や古墳推しが…!

なんと、道路両脇に埴輪が並んでいる「芝山はにわ道」なる道まで存在する。

看板にも埴輪だ

古代史が好きな方にはぜひ訪れてほしいですね。

芝山文化センター前の看板

芝山町についての観光案内図。現在いる場所は、芝山町の南側である。左下に距離が書いてあるが、これから向かう「はにわ博物館」までは2.7㎞。たどり着くまでに商店街を歩くので、今回もたくさん歩くことになりそうだ。

なお、今回歩いた道には飲食店が「更生食堂」しか営業していなかったが、日曜日が定休日だったので芝山文化センター隣のセブンイレブンで事前にお昼ご飯を購入していたのが救われた。皆さんもお気を付け下さい~

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成田闘争の町・芝山町

探索の前に、芝山町と成田空港についての歴史を少し。

昭和30年に、二川・千代田の二つの村が合併し、芝山町になった。その後、昭和41年に隣接する成田市に新東京国際空港の設置が決定し、芝山町も敷地の一部を占めることになった。その際に、三里塚と芝山の農民を中心に建設に反対する運動を展開したことを「三里塚闘争」と呼ぶ。

子どもから女性まで、結束を強めて激しい闘争を展開し、国家の強権的な対応に戦った人々がいた。闘争は激しさを増し、多数の逮捕者、負傷者を出し、1978年には成田空港開港直前に過激派によって空港管制塔が占拠、破壊される事件も起こった。

私が物心ついた時には既に成田空港があって、それが普通だったので、激しい闘争が行われていた歴史を今回改めて知ることになった。

崙書房の『「ナリタ」の物語』が詳しい。

 

千葉県で生まれ育ったが、今まで学校では三里塚闘争について教わったことが無かった。今当たり前にあるものが、どれほどの人達の犠牲の裏に成り立っているのかを考えるのも大事な時間だと思った。

 

そして、2022年6月1日に芝山町公式チャンネルから公開された動画。芝山町には第三滑走路が建設されることになり、町内4地区が移転することが決定したのだという。動画をぜひご覧ください。

※こちらはダイジェスト版です。同じチャンネル内に30分の本動画があり。

日本の空の表玄関として国内外の都市と結ばれている成田空港。今後予想される首都圏の航空需要増加に対応するため、国・千葉県・空港周辺自治体・成田国際空港株式会社によって、平成30年に成田空港の機能強化に合意しました。これにより、芝山町には第3滑走路が建設されることになり、町内4地区が空港用地となるため移転することに決まりました。
機能強化が進めば現在の風景は一変し、集落の家並みや田畑は滑走路に変わってしまいます。また、地区で連綿と伝えられてきた祭事や各家庭での行事も伝承の危機にあるといえます。そのため、地区の風景や、オビシャや奉納相撲などの祭礼の様子、各家で行われるお盆などの行事を映像で記録しました。
※本映像は一般財団法人地域創造の助成を受けて作成しました。

移転となるのは、加茂、菱田東、中郷、中谷津。

自然の風景が数年後には滑走路に。

なぜこうした歴史は千葉県内ですら今はあまり話題にならないのか…私もたぶん記事を書いていなかったら知らなかったと思う。

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結婚式場?たねや

芝山文化センターからこの日の探索はスタート。

セブンイレブンにあった地図

セブンイレブンの北側の道を歩いて、東側にある商店街らしき通りを目指す。

遠くから見て気になった建物

県道45号沿いに建つ4階建てのビル。2009年のストリートビューの時点で閉業している。

4階建ての大きな施設跡

「たねや」と名前が残っていた。

たねや

横から見るろ、一部ガラス張りになった壁が。入り口は完全に封鎖されていて廃墟状態だが、結婚式場のような規模だなと思った。

横から

後で住民の方に伺うと、やはり結婚式場だったみたいで、一度に300人は入れるほど広かったそうだ。最盛期の売上は凄まじかったとも。閑散としている周りの風景からは考えられないな…

周辺には民家

近くにあった「伊藤花環店」は閉業。

伊藤花環店
石碑?

「芝山町商工会」の街灯。県道45号沿いは特に商店街といった雰囲気は無し。

芝山町商工会

下の写真は、ヤンマーディーゼルの看板が見える小川農機。既に廃業しているようだ。

小川農機

その隣はどんなお店だったのだろう?

閉業している

そして小池丁字路へ。ここから右折すると芝山不動尊方面、今回は左折して街並みをもう少し探索します。

小池丁字路

 

 

(訪問日:2021年10月)

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