佐倉市馬渡。旧佐倉街道沿いの宿場町の面影「下総まわたし宿百観音」など -馬渡⑴

佐倉市馬渡。旧佐倉街道沿いの宿場町の面影「下総まわたし宿百観音」など -馬渡⑴

佐倉市馬渡。国道51号と並行して裏道に伸びる旧佐倉街道沿いの宿場町として栄えた馬渡(まわたし)地区には、変化の多い現代において貴重な昔日の面影が残っている。

「下総まわたし宿百観音」、老舗酒蔵「旭鶴」、馬渡郵便局等、街並みも合わせて探索します。

佐倉市馬渡の歴史

千葉県佐倉市馬渡。国道51号、佐倉街道から一本北側に並行している旧佐倉街道へ。

かつて宿場町だった馬渡(まわたし)の集落が往来の激しい国道沿いの一本裏道に入ると静かに佇んでいる。

旧佐倉街道

物井駅からバスがあるが、今回は車で訪問。東関東佐倉ICの近くでもあり、知らずにいつも通り過ぎてしまっていると思う。

現在は宿場町時代の名残は残っていないものの、後ほど紹介する石造物群や酒蔵など、歴史的な史跡が残っていた。

 

角川書店『日本地名大辞典』より馬渡の歴史をまとめます。

佐倉新町より千葉登戸への経由地で、早くより交通の要地であった。文政10年寄場組合結成の際、当村が寄場となり、名主が詰めて人馬の采配を行った。街道沿いに旅籠屋が並び活況を呈したが、明治に入ってからは不振となる。

明治22年旭村の大字となる。

佐倉~千葉を結ぶ旧佐倉街道の交通の要衝として、旅篭が並んでいた様子。

寄場組合結成(よせばくみあい)は、『山川 詳説日本史図録』によると次の通り。
「1827年、幕府は関東のすべての農村に対し、寄場組合(改革組合村)を結成させた。近隣3~6カ村で小組合(10前後の小組合を大組合とした)をつくり、世話役の名主を小組合は小惣代、大組合は大惣代とよんだ。」
詳しく調べていないが、馬渡の地名の由来はここから来ていそうだな。

明治に入ってからの衰退は、鉄道が開通したため旧道を利用する人が少なくなったのだろうか。

2010年に執筆された「ぴぃ散歩「佐倉市馬渡編」」に正岡子規が立ち寄ったという話が紹介されている。

明治24年3月には、正岡子規が成田山へ参拝した帰り道、この地の上総屋という宿屋に宿泊したという記録が残っているそうですが、その後上総屋は消失してしまったそうで、現在は残っていません (^^;

子規が馬渡地区を通った祭に詠んだのが、「山路に日くれて月寒し 宿とり外す独り旅」という句だそうです。
独り旅で、なかなか泊まる宿が決まらなく、心細い様子が読みこまれています。

「月寒し宿とり外す独り旅」の碑は、現在、次の項で紹介する佐倉市馬渡下総まわたし宿百観音公園内の八坂神社の裏手に残っている。

月寒し宿とり外す独り旅

以前は説明看板もあったそうだが…?

一人旅で心寂しい様子、時代は違えど共感します!上総屋は焼失したが、その後にできたのが現在の酒蔵「田中酒造」だそうで。
どんな旅籠だったのかなと想像するだけでも楽しい。

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下総まわたし宿百観音

馬渡の史跡を西から東へ歩きながら紹介していきます。まずは、馬渡の西側に位置する「下総まわたし宿百観音」から。

下総まわたし宿百観音

旧佐倉街道に面して、下総まわたし宿百観音公園参道入り口の碑があるので目印に階段を登って行く。

下総まわたし宿百観音公園参道入り口

少し急な階段を登り、高台へ。この日は両親を含む3人での歴史探索をお送りいたします。父がこういう史跡好きそうだなと思いぜひ立ち寄りたかった場所。

下総まわたし宿百観音 入り口

保存会があるのですね!

佐倉市市民文化遺産

まずはこの場所の歴史について、佐倉市ホームページ「下総まわたし宿百観音 【馬渡】」より。

下総まわたし宿百観音は、馬渡宿を東西に貫く旧街道の南に位置し、百観音入口には元治元年(1864年)の銘のある百躰観音道の石碑と庚申塔があります。坂東三十三観音、秩父三十四観音が向かいあって並んでおり、西国三十三観音が並列しています。観音像の銘によって寄進者の周辺地域の広がりを知ることができ、江戸時代から庶民の信仰のあり方を示すとともに、現在も保存会によって大切に保全活用が行われています。

〔平成17年(2005年)9月20日選定〕

現地の看板より

また、「さくらの景観まちづくり賞 活動部門 ’13 No,6」にノミネートされている。

旧宿場町の歴史的資源を
地域の思いが守り、伝える

《特に優れているポイントなど》
・印旛地方一帯の集落において、出羽三山や三峰信仰などにより石碑や石仏などが建立されたとされるが、当該地のような規模で保全に力を注いでいる所は見当たらない。行政に依存する部分が大きい地域の歴史的資源の保全・管理について、地元主体による継続的な取り組みが行われており、地区のシンボルとなっている。

佐倉市ではこうした歴史的な史跡について、その歴史的背景だけでなく再生の視点からピックアップしているのが凄い。同じ馬渡では旭鶴もノミネートされていた。

江戸時代に流行したお遍路さん。
誰でもお参りできるようにと「坂東三十三観音」「秩父三十四観音」「西国三十三観音」の百観音と同じ観音像をこの地にお祀りしたのが始まりだそうです。

参道に沿って並ぶ観音像

国道の裏手にこんなに荘厳な参道が広がっているとは想像ができない。割と山道なので歩きやすい服装がおススメです。

説明看板…
倒れている
庚申塔について

関東七県に点在している「坂東三十三ヶ所巡り」についての看板。道程約1300kmの札所、巡られたことがある方いらっしゃいますか?

坂東三十三か所巡り

下総まわたし宿百観音は、一時荒れていた時期もあるそうで現在も保存会の方々によって整備が進められているという。

階段の寄進

看板の設置状況を見るに復旧作業は大変な作業であることがうかがえる。

明治時代の手水鉢
出羽三山神社

さらに参道は奥に続いている。軽いハイキングコース、空気も新鮮で気持ち良い!!

西国霊場三十三ヶ所巡り

こちらは、修復復元保存会による碑。地域の人、旅人の心の拠り所であったが長年もの間手つかずに…平成15年に現在の公園の形として整備されたことが分かる。

修復復元によせて

山頂には大日如来が祀られている。

大日如来について

山王神社

時代を積み重ねた時間の重み、神聖な空気が心地良い場所でした。

竹林に囲まれて
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八坂神社(馬渡)

下総まわたし宿百観音公園から隣接している八坂神社へ。

公園と隣接

社殿は東側を向いており、東西を貫く旧佐倉街道を見下ろす丘の上に建つ。旧村社。

八坂神社 社殿
東側に建つ鳥居

東側の参道、石階段が気持ち良いほど真っすぐ積まれている。こういう石段は眺めるのも昇降するのも楽しい。

八坂神社の石段
参拝記念碑

鳥居の向かいには、老舗酒蔵の旭鶴。かつてはここに正岡子規が宿泊した宿が存在したのか…

旭鶴

下総まわたし宿百観音だけでもボリュームのある記事になってしまったので、馬渡の街並みについては次の記事にて!

 

(訪問日:2022年2月)

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