「佐倉高等学校記念館」文化財!明治期の木造洋風校舎。唯一現役 -佐倉18

「佐倉高等学校記念館」文化財!明治期の木造洋風校舎。唯一現役 -佐倉18

千葉県立佐倉高等学校記念館は、明治期に建てられた木造の洋風建築校舎!国登録有形文化財にも登録されており、佐倉市を代表する近代建築の一つです。※内部見学は不可

佐倉高等学校記念館(旧本館)

千葉県佐倉市鍋山町18。京成佐倉駅から東へ徒歩15分。

毎日歩いて通学されている高校生には頭が上がらない高低差の激しい立地である。今回は友達と自転車で佐倉高校へ到着。

付近は高低差が激しい

正門から左手奥に佇むのが、千葉県立佐倉高等学校記念館だ。

目の前には池と自然に囲まれた静かな場所で100年の悠々たる歴史を感じる一角。ちなみに前にある池の名は「東郷池」と校舎竣工年と同年に同年に帝国海軍の日本海海戦勝利を記念して、教員・生徒有志が休みを利用して掘ったものらしい。

千葉県立佐倉高等学校記念館

明治43年(1910)に旧佐倉中学校本館として建設。

木造二階建て下見板張りの洋風校舎である。明治期の木造校舎としては千葉県に唯一現在も使用されているものらしい。素晴らしい!

正面より

千葉県教育委員会のページに有形文化財として紹介されている。佐倉学問所として藩校から歴史ある佐倉高等学校。佐倉藩最後の藩主、堀田正倫の援助により建設された。

千葉県立佐倉高等学校の前身は、寛政4年(1792)佐倉藩の藩校として創立された佐倉学問所。日本で初の蘭和辞典「ハルマ和解(わげ)」をはじめとする貴重な古書等を所蔵している。また、これまで西洋画家の浅井忠、建築家の伊東忠太、元プロ野球選手の長嶋茂雄など、多くの著名人を輩出してきた。

記念館は、佐倉藩最後の藩主、堀田正倫(まさとも、1851~1911)の援助により、明治43年(1910)に建設された。設計は、後に鉄道省の初代建築課長となった久野節と後藤政二郎であることが、棟札からも確認されている。県内の高等学校で唯一、現在も使用されている明治期の木造校舎(現管理棟)である。

建築構造は木造2階建、銅板葺で、外観として、桜の花びらを型どった透かし彫りを持つ玄関車寄せを中心に、ほぼ左右対称の構成となっている。玄関上部の大棟には小さな庇をつけた換気塔があり、その手前の軒先には換気を兼ねた丸窓を持つ換気屋根がある。玄関の両脇には、この建物の外観で最も印象的な双塔があり、鉄棒状の棟飾りを持つドーム屋根、上げ下げ窓の上部のペディメントなどが、バランスよくデザインされている。このほかに、覆輪目地(ふくわめじ。通常の目地は凹んでいるが、蒲鉾状に盛り上がっているもの)を持つ煉瓦基礎、連続的に配置された縦長の形状の上げ下げ窓、水平のラインを作り出している外壁のドイツ下見板など、明治後期の洋風学校建築の特徴をよく留めている。(千葉県教育委員会より)

国登録有形文化財

記念館は現在も管理棟(校長室、事務室など)として使用されているため、内部は見学不可。入口に1階と2階の間取り図があるので想像を楽しもう。

記念館についての看板

老朽化のため幾度と改修が行われてきたようだ。

平成50年 老朽化が激しかったため全面改修。鉄筋4階建校舎竣工により「記念館」と改称
平成元年 石版ストレート瓦から銅板屋根に葺き替え
平成22年 大規模改修

現在も使用されているので見学できないのが残念だが、10年近く前に高校の文化祭で訪れた時見学したことがあるような気がする(明里まだ中学生だったのであまり覚えておらず)。

調べていたら、11月24日が年に一度の公開日と紹介されている佐倉高校の記事があった。→校長花ごよみ

2018年。コロナ前は公開日があったのかもしれない。いつか再開されることを願う…

 

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旧佐倉中学校本館 建築的魅力について

千葉県立佐倉高等学校記念館は、旧千葉県立佐倉中学校本館として建築。その近代建築としての魅力は語り尽きない。

佐倉高校同窓会の「鹿山会(ろくざんかい)」の記事に、落成式当日の明治43年の写真が掲載されている。→https://rokuzan.gozaru.jp/sakurakinenkan.html
これを見ると当時はこの記念館前に煉瓦造りの正門があり「佐倉中学校」の木製看板が掲げられていることが分かる。

物の特徴は、正面中央を強調するため、玄関ポーチの欄間に桜の透かし彫りを飾り、2階屋根中央に丸窓付きの屋根窓、左右に小型ドームの双塔、最上部の大棟に換気塔を配し、スティック・スタイル(注1)でまとめています。また、建物両端部の切妻にはハンマー・ビーム(注2)の妻飾りが付き、外壁はドイツ下見板張り(注3)です。
(注1) スティック・スタイル … 柱を外面に出して強調する様式
(注2) ハンマー・ビーム  … 壁面の上端などで水平に梁をはね出し、アーチで支える手法
(注3) ドイツ下見板張り … 板を横張りにし、重なる部分を加工して表面に段差が出ないように張る。

ドームが左右に
欄間に桜の透かし彫り
校章のレリーフ

千葉県教育委員会の開設には、明治期の学校建築の変遷について記載されている。従来のシンボル性重視からの変化を知ることができる。

この建物は旧佐倉藩主堀田家からの援助を受け,明治43年に建設された。外観はほぼ左右対称の構成で,中央の玄関部分を強調している。細い角柱で支えられた車寄せには花びらを型どった透かし彫りがなされ,繊細な印象を受ける。上部を見上げると,ブロークンペジメントの小さな破風と,棟の上の庇の付いた塔が眼にはいる。明治の中期までの学校建築は,中央部の玄関やバルコニーを強調するほか,その上に大きな太鼓楼などを載せ,シンボル性を高めようとする傾向にあったが,明治も終わりになると屋根の上の塔は小さくなり,控えめな形態として残るにとどまった。ここでは玄関両脇の小さな丸屋根の双塔や,両端の切妻破風を見せる部分に,デザインの力点が置かれているように思える。双塔に設けられた上げ下げ窓上には,彫りの深いペジメントが付き,両端の破風部は持ち送りで張り出され,1階扉上に装飾性の強い庇が付けられ,更に2階窓廻りもバロック的手法で飾られている。

この建物はドイツ下見張りの豊かな意匠の外観に対して,内部は比較的装飾性を抑えたデザインでまとめられた落ち着いたものとなっている。県内でも重要な近代建築のひとつとして価値は高い。[江口](近代建造物調査一覧及び個別解説より)

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今回は遠慮して中央部分のみの見学。1階扉等サイドからも見学してみたいな。

中央入口。扉は閉まっているが右手に受付があり、左手にも小窓。土日だからか受付は終了とのこと。

また、設計者の久野 節は、近鉄宇治山田駅や南海ビルディング、東武浅草駅等の設計で知られる建築家。

明治、大正期に佐倉市に住んでいたのではというレファレンス事例詳細の情報があったが、今は現存しない明治45年築の旧千葉県庁にも関わっているとのことで千葉県の在住について調査したものの分からず、という結果になっている。佐倉との関わり、可能なら調べてみたいな。

また、藩校時代の資料を中心とした「鹿山文庫」や佐倉高校出身の長嶋茂雄選手のユニフォーム等保存展示する地域交流施設も敷地内にある。こちらは開館中。

県立佐倉高等学校地域交流施設は、平成11年(1999)に開館しました。藩校として創立した佐倉高校が、明治32年(1899)に県立に移管されて100周年の記念事業の一環として校内に建築されました。1階には展示室と研修室があり、2階は収蔵庫となっています。
展示室には鹿山文庫関係資料(県指定文化財)など多数の古書籍、順天堂関係書籍、旧制佐倉中学校時代の教材、教具などが展示されているほか、佐倉高校出身の長島茂雄読売巨人軍監督の写真などの展示コーナーがあります。(佐倉市ホームページより)

地域交流施設は開館日は土日祝。入館料無料。合わせてご覧ください。

 

 

(訪問日:2022年6月)

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