佐倉順天堂記念館(江戸時代の診療所が一部現存)東の佐倉と呼ばれた時代 -佐倉19
千葉県指定史跡の「佐倉順天堂記念館」へ。江戸時代末期に建てられた診療棟の一部が現在も残っており、当時使われていた医学書や医療器具の展示も楽しむことができる。
また、近代建築好きな方にもおススメの博物館です!
「佐倉順天堂記念館」の歴史
千葉県佐倉市本町81。京成佐倉駅からは徒歩20分ほど。今回は駅前の自転車を借りてサイクリングしている。駐車場も併設されているので車での観光の方も◎
成田街道沿いに木の門があり、一歩敷地に足を踏み入れると外の喧騒から離れ、昔日の診療所の雰囲気を感じる。
旧佐倉順天堂は、昭和50年に千葉県指定史跡に。
説明看板には明治27年に発行された『日本博覧図』に掲載された佐倉順天堂の図が描かれている。現存しているのは手前の一部のみで広い敷地であることが分かる。
佐倉順天堂は、天保14年(1843)、長崎で蘭医学を修め、江戸で開業していた佐藤泰然(たいぜん:1804~1872)が、佐倉藩主堀田正睦(まさよし)の招きを受け、佐倉に移り、佐倉本町に蘭医学塾及び診療所として「順天堂」を開設したことに始まる。
泰然は帝王切開などの新しい外科手術を行い、種痘の普及にも努めるなど最先端の診療を行った。また、西洋医学による治療と同時に医学教育が行われ、佐藤尚中をはじめ明治医学界をリードする人々を輩出した。慶応元年(1865)の記録によれば、塾生は北海道から熊本県までの全国から100名にも及び、泰然の弟子は数百名、孫弟子まで含めると3000名を超えるといわれる。
現在、佐倉順天堂記念館として一般公開されている建物は、安政5年(1858)に成田街道の向い側から移転し、その後拡充されたものの一部で、明治27年(1894)に刊行された『日本博覧図 千葉県之部 初編』に収載された銅版画にある診療棟の一部にあたる。この記念館になっている建物を含む範囲を史跡として指定し、保護している。(千葉県教育委員会より)
江戸時代末期、佐倉は医学最先端の場所だった。当時としては最高水準の外科手術を中心とした実践的な医学教育と治療が行われ、その名声により幕末から明治にかけて全国各地から多くの塾生が集まったという。
”西の長崎、東の佐倉”とも呼ばれたそうな。
また、テレビでも大きな話題になった漫画『JIN-仁- 』の仁友堂のモデルとなったのが佐倉順天堂記念館らしい。10年くらい前、私も家族で観ていて今の歴史好きに大きな影響を受けたので感慨深いなあ…
そしてもう一つ。私の名前の由来にもなった”明里”は新選組の漫画『風光る』から影響を受けているのだけど、その漫画に登場する松本良順(将軍家茂の侍医)の父が佐藤泰然、ということで佐倉順天堂の話も登場する。この作品と佐倉を通して、意外と歴史は身近なものであると感じた中学のあの頃…
復元された旧佐倉順天堂を見学
一般100円という良心的な価格で見学が可能!周辺の施設も見学する場合は3館共通券がおススメです。
門の傍には、黒門の礎石。もともとは、現在の門がある場所に位置していたそうだが、平成13年に再建されたとのこと。展示されている礎石は1858年から2001年まで同じものだったという驚異…
佐倉順天堂記念館内の案内図がこちら。
現在の佐倉順天堂記念館の建物は、安政5年(1858)に建てられたものとその後一部拡充された施設の一部。展示されている模型を見ると、左奥が玄関部分で蔵や細長い病室等は現存しないことが分かる。
現在は玄関から和室、奥に洋室が続いているが元々は洋室部分も和室の病棟だったとのこと。昭和30年に老朽化の為解体…
でもよく考えたらそれまでは江戸時代の病棟が残っていたってことか、凄いなあ。
そして見学へ。
左手に現在の受付があるが、右手を見ると展示の間に小さい小窓があることに気づいた。前来た時は気づかなかったが、かつての受付だ…と病院建築マニアとしては感動した。
あまりに綺麗に見えるので復元かな?と思いスタッフの方に伺うと当時の物らしい。
現在は奥の建物は解体されているが、昔は畳に膝をついて薬を拝受していたそうな。
展示品(特に古文書等)は撮影禁止なので今回は建物部分だけ撮影させていただきました。
こちらは玄関から入って左側にある和室。
特別公開時はヒポクラテスの肖像画が描かれた掛け軸が展示されているので皆様もぜひ。気持ちの良い風が抜ける部屋。
和室から見える成田街道側の景色。目に映る緑が美しくて、見ているだけで病が治りそう(言いすぎかな笑)。
そして、玄関から奥に見える元和室の洋室部分2部屋。
大正10年の棟札の解説があったので大正期の改築で洋風な病室になったのかな。照明も天井の意匠も素敵。
また、気になったのが祭壇のようなこちらの一角。今度スタッフさんに質問しよう。
木製の棚のような?下を見ると十字架のような意匠が見られるが…
また、興奮したのは順天堂で使用されていた薬品の瓶!うおおお…
「順天堂病院」と名前入りの薬瓶も。ボトルディギングの趣味もあり薬品瓶を集めているがこうして元の病院で展示されている瓶は幸せ者だなと思った。
廊下の窓は縦長く上げ下げ窓だった。紐が古い気がするのでこちらも大正期のままかな?
全ての窓や扉のガラスが古いものではなかったけど、一部当時のままと思われる柄入りのガラスを発見。決してドアには触れぬように…!
順天堂記念館、佐倉観光の際にはぜひ~
また、隣には「佐倉 順天堂醫院」と書かれた建物。現在も恐らく関係者?の方が営業を続けているようだった。
※追記
お隣の佐倉順天堂医院は佐藤泰全のご子孫が開業しています。
(訪問日:2022年6月)
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旧佐倉順天堂の受付はアーチ型で手の込んだ造りですね。角型で作れば簡単に作れると思うのですが、態々曲げるのですから、手間など考えない時代だったんですね。
小湊鉄道の古い無人駅の切符を購入する窓口が同じ様なアーチ型だったので、当時はこれが普通だったのかな?
順天堂で使用されていた瓶の写真ですが、棚の上はロートですね。ろ紙を乗せて液体を濾過するガラス器具です。
下は吸引瓶と言って、上にロートを乗せて、横に付いてる小さな口から真空ポンプなどで吸引して、強制的に濾過する瓶です。使用目的は固形物の混入してる液体を、個体と液体に分離する為に使います。
恐らく明治時代は真空ポンプなど無かったと思うので、水道水を使用するアスピレーターを使って吸引濾過したと思いますね。
アスピレーターは水を勢い良く流すと減圧が発生するので、真空ポンプと同じ効果を得られます。
それにしても何故病院に吸引濾過器があったのか、不思議ですね。
ネットで吸引濾過器とかアスピレーターと検索すれば、どの様な器具なのか分かりますよ。