「城下町商店会」かつての中心街・新町通りには映画館が並び… -佐倉⑹
佐倉の城下町として、400年の歴史がある新町通り。今回は、佐倉の観光スポットとしても知られるメインストリート、新町通りの商店街を探索。
かつて、昭和初期には映画館があり、賑わっていた街並み。果たして現在はどのような街になっているのでしょうか?
新町通り
まず、新町通りの歴史について紹介。
「佐倉新町江戸勝り」と呼ばれるほどに、大商店、旅館が軒を連ねていた新道通り。城下町の中心街として機能を果たしていた。明治以降も、佐倉町役場、印旛郡役所、郵便局、銀行などの官公署や金融機関が置かれ、寄席、映画館などもあり、大変賑わっていた。
昭和3年の松井天山が描いた千葉県佐倉町鳥瞰図によると、新町は、横町、上町、二番町、仲町、肴町、間町の六町に分かれている。しかし、明治期に50戸以上焼失した火災が3回も起こっているため、描かれている建物の多くはそれ以降のものとなることを頭に入れておきたい。
京成佐倉駅へと向かう道は、新道と呼ばれ新しくできた道。そして、JR佐倉駅の方面は裏新町と呼ばれていた。
商店街のアーチ
昭和30年代には、「佐倉商店街」と書かれた大きなアーチが、商店街の入り口に架かっていた。
現在の佐倉小学校の入り口から、麻賀多神社の付近。
映画館
映画館は「大量館」と呼ばれる映画館が、新町通りの西端、角にあった。大正期には活動常設館として開設され、戦後に映画館としてオープン。主人の大木量平の名前から、大量館という名前になったらしい。いくつかの写真が残っている。
昭和3年、松井天山が描いた千葉県佐倉町鳥瞰図でも、その様子が確認できる。
昭和42年(1967年)の住宅地図を見ると、新道通りの手前、美術館の近くに「佐倉銀映」とあるので移転したのかもしれない。
佐倉市美術館
それでは、新道通りの現在を探索しよう。私は成田街道で歩いたことがあるので、7年ぶりの探索。当時の写真とも比較しながら紹介する。
京成佐倉駅から、南側に伸びる新道を真っすぐ進むと、突き当たりに見えてくる建物が「佐倉市美術館」。建物が好きな方はきっとすぐに目に留まるであろう外観。元々何の建物だったか、わかるだろうか?
正面のエントランスの部分に残っている建物は、大正7年(1918年)に建てられたもの。「旧川崎銀行佐倉支店」として利用されていた。設計者は矢部又吉。千葉県指定文化財として登録されている。
同様の銀行だった建物が、千葉市にも美術館として残っている。
【美術館】これぞ本物の美術館!鞘堂方式で建物をそのまま保存した千葉市美術館
旧川崎銀行から、第百銀行佐倉支店へと改称。昭和12年(1937年)には佐倉町役場に。その後、佐倉市役所として利用されていたが、昭和51年に移転。改築工事などを経て、現在の市立美術館に平成6年になった。
カムロちゃん
新道通りには、カムロちゃんの自動販売機。カムロちゃんは、佐倉市のマスコットキャラクター。2010年に土井利勝が佐倉藩主となって400年を記念するにあたり、佐倉の魅力を発信する取り組みが2010年~2017年に行われていた。
その一環として、カムロちゃんというキャラクターがつくられた。カムロちゃんは、その昔佐倉城に棲んでいた妖ともいわれる。佐倉の魅力を発信するため、現代に復活?!したらしい。
美容室
新道通りの途中で気になった美容室の建物があった。
店名は消されているが、たばこ屋と美容室を営業していたらしい。
美容室のフォントが可愛い。
かつて、2013年、新道通りで時代まつりというイベントが開催されていた時。奥に見える赤い屋根の下、たばこ屋のシャッターが開いているのが見える。
その並びには、佐倉市立図書館。佐倉の歴史についてここで資料を調べたりした。
ショッピングセンター扇屋
広大な駐車場を持つローソン。茶色のデザインが、城下町の雰囲気に合っている。商店街にコンビニが出来てしまうと…
元々何の土地だったのか気になり、調べてみた。
昭和48年(1973年)の住宅地図では、「プリマート扇屋」。昭和49年には「佐倉ショッピングセンター プリマート佐倉店 扇屋 細谷畜産」とある。広大な敷地はショッピングセンターだったのか。厳密には、ローソンの西側の土地。
扇屋は、1933年~1976年まで千葉県千葉市にあった日本の百貨店、総合スーパーチェーンを展開していた企業。現在、イオンやジャスコに転換している店舗も多い。
佐倉の新道通りでも、ジャスコのようなショッピングセンターがあったというのは驚いた。本当にこの通りが、中心街だったのだな。
佐倉新町おはやし館
残念ながら本日は閉館。後日訪問したら、佐倉の歴史について詳しい方が受付にいらっしゃったので色々と伺った。
佐倉の文化や伝統行事などを知ることができる展示室や多目的室がある。休館日は月曜日。今度詳しくお話を伺いたいので、開館時間に合わせていこう。
シャッターが閉まっているお店ばかり。2013年の時と比べると、静かな町になってしまった。
駿河屋
またしても休館日だった駿河屋という古民家。2013年の際の写真を使う。
追記:2015年頃に閉業、現在は営業していないようだ。
佐倉市が買い取ったものの、維持費が捻出できなかったのか、放置されているのが残念である…
開業日:水木土日祝
時間:13時~15時
幕末、桂小五郎なども宿泊したとされる旅籠「油屋」の跡地。その後は、呉服商の今井商店(屋号駿河屋)として営業。
現在、「町並み情報館」として保存、一般公開されている。
主屋だけでなく、純和風庭園には東屋も。
明治25年につくられた土蔵の内部も見学した思い出が。
歴史生活資料館
もう一つ、新道通りにある「歴史生活資料館」を紹介。
追記:こちらも5年ほど前に閉館。現在はゲストハウスになっている。なお、文化財は市が保存しているらしい。
現在は看板が残るのみ。
おもてなしラボというゲストハウスになっており、案内人の会の方とも連絡が取れなかった。
しばらく訪れない間に、様子が変わってしまった。
2013年の写真から。
江戸時代、明治、大正、昭和と貴重な展示物が並んでいる。
下のは昔の写真の機械ではないだろうか。よく時代劇などで見かけることがある。
戦勝記念の皿や盃など貴重な品がたくさん並んでいた。
かつて佐倉の中心部だった新町通りは、その役目を終えたかのようにひっそりと静まり返っていた。映画館が二軒、そしてショッピングセンターなど、誰がこの地に存在したと思うだろうか。これからも城下町としての誇りを忘れずに、記録を伝えて欲しいと感じた。
追記:映画館について
新町通りにあった映画館について追記。
肴町の角にあったという大量館。その始まりは大正2年10月だという。千葉市の吾妻町の映画館「羽衣館」の館主がここに常設館をつくったらしい。千葉の吾妻町というと、一大花街であった蓮池のあたり。以前調査したことがこの場所でつながるのは嬉しい。
【蓮池通り】かつての一大花街「蓮池」の過去と現在、そして不思議な料亭 -千葉⑵
休日には外出している兵隊や若者たちで満員。大正7年に仲町の大木量透けさんが買い取り、大量館に改められた。映画館としてだけでなく、政談演説、芝居、浪曲名人会、催物など広く使われていた。羽衣館の影響によって、新町通りの中心にあり、昔から人気のあった「開花亭」という寄席は閉鎖となった。
戦後は衣類などの即売会場として使われることもあったそうだが、特に何にも使われず放置され、昭和30年頃に銀映の姉妹館として改築され、第二銀映として再スタートした。二階席がありかなり盛況だったようだ。
二番町で銀映が映画の上映を始めたのは昭和27年。
(訪問日:2020年7月)
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