「旧佐倉市立志津小学校青菅分校校舎」国登録有形文化財の木造校舎が現存
千葉県佐倉市に残る木造校舎「旧佐倉市立志津小学校青菅分校校舎」へ。
戦後に建造されたものだが、戦前の校舎の意匠を引き継ぎ、現在もひっそりと保存されている。2020年には国登録有形文化財に登録された。
※すみません、青菅の記事の続きで載せるのを失念しておりました!2月2日更新の「「山万ユーカリが丘線」VONA新交通システムに乗車!稲荷神社へ歴史散歩」の続きの記事となります。
「旧佐倉市立志津小学校青菅分校校舎」見学へ
千葉県佐倉市青菅148。ユーカリが丘線「中学校駅」から北へ徒歩35分…
バス停「青菅校」のすぐそばにある、旧佐倉市立志津小学校青菅分校校舎へ。周囲は木々で囲まれている。
小さな門の入り口があったのでそこから敷地内へお邪魔しました。廃校によくある石の門柱は残っていないようです。
こちらが「旧佐倉市立志津小学校青菅分校校舎」。一度訪れたいと思っていたが交通の便が悪く後回しになっていた場所。
千葉県教育委員会のページによると、建造されたのは昭和30年(1955)。
概要
佐倉市の青菅地区に位置し、志津小学校分校として建築された。平屋建て切妻造(きりつまづくり)桟瓦葺(さんがわらぶき)で、玄関脇に職員室を配し、片廊下を通してわずか二室の教室が配される小規模木造校舎である。下見板張(したみいたばり)や木製の建具の使用など、戦後の建築ながら戦前からの木造校舎の意匠を引き継ぐ。
2020年に国登録有形文化財に登録された。佐倉市によって管理されており、校舎内に立ち入ることは禁止だ。
教室はわずか2室。昭和52年(1977)に廃校になってから50年近く。
窓ガラスも割れておらず、綺麗に保存されているのが素晴らしい。
木造校舎は解体されるか朽ちているものが多いが、改修されずに地域の人々によって大事に保存されていたことが分かる。
裏口から校舎内を覗く。薄い黄緑色の扉や窓にクリーム色の壁。廊下の照明も当時のままだろうか。
外観、屋根瓦は赤色のフランス瓦。壁はピンク色のドイツ下見張りで全体的に洋風な可愛らしい雰囲気。
国登録有形文化財に登録!
佐倉市のプレスリリースにて、佐倉市内で5例目の国登録有形文化財となる青菅分校校舎についてまとめられている。→風情ある戦後の木造校舎が千葉県佐倉市で5例目の国登録有形文化財に ~旧佐倉市立志津小学校青菅分校校舎~
青菅分校の入り口は東側に。玄関から入って左手に職員室、右手に下駄箱、トイレがあり玄関正面の廊下左手に2つの教室が並ぶ小規模な分校である。
玄関の柱は緑!ピンク色の壁とよく合う。
平成29年(2017)に佐倉市と日本大学生産工学部との間に協定が結ばれ、創生デザイン学科の学生を中心とする「AOSUGE PROJECT」が立ち上がりました。現在、市、地域住民や民間企業とも協力をしながら、この建物の保存・活用のための活動をおこなっています。
日大生産工学部との「AOSUGE PROJECT」も気になる。「過去を巡り、ミライをデザインする」がコンセプトで活動されているらしい。(大学生だった私も入りたかった…笑)
AOSUGE PROJECT:Twitter @aosugeproject
また、宮武孝吉著『歩いてみよう 志津 史跡いまむかし』でも青菅分校の歴史がまとめられており参考になった。分校以外の神社や石碑など志津エリアの詳しい歴史遺産の調査結果が分かりやすく紹介されていて、普通に読み物としても面白い一冊でおススメです。
現在の分校校舎が落成する以前は300mほど西に位置していたそうだ。分校には3年生までが通い、4年生から本校へ通ったという。
廃校後は地区の集会所として活用されていたが、原型を保ったまま活用されていることに筆者も感動している様子。
現在は、校庭に新しく集会所が建っていた。
春になったら校舎のそばにある桜の木がピンク色に染まるのだろう。旧青菅分校のピンク色の校舎とのコラボレーションをいつか見に行きたい。
旧青菅分校の敷地の右端には、青菅の庚申塔や馬頭観音。
特に気になったのが右下にある「二十三夜塔さくら道道標」。
明治時代の道標。正面には「南小竹臼井道」とある。後から文字を白塗りにしてくださっているのだと思うが、それによって見えづらくなっていた文字が浮き出ている。
帰りは佐倉市コミュニティバスで、志津駅へと向かった。運賃は大人200円。
旧青菅分校の他に、さらに北川に「蕨家住宅長屋門」や佐倉ラベンダーランドがあるのでまた訪問したい。
(訪問日:2022年1月)
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