神田の「栄屋ミルクホール」再開発で10月で閉店・看板建築は取り壊しに

神田の「栄屋ミルクホール」の名で親しまれたラーメン店が、2021年10月で閉店。創業から76年、再開発の計画によって美しい銅板の看板建築が取り壊しに。
お店自体は、2022年2月21日に移転復活されましたが、最後の看板建築の様子を記録に残したいと思い足を運びました。
神田の看板建築が取り壊しに
東京都千代田区神田多町2丁目2。多町大通りの交差点の角に、一つだけ時代を逸している看板建築が存在した。

2021年10月8日が閉店。平日、オープン直後であるにもかかわらず、多くの人が並び行列になっていた。私もブログを始めた頃からこの建物の存在を知っており、いつか訪れようと思っていたところ、最後というギリギリになってしまった自分を責めたくなる。

近代建築の写真集『看板建築・モダンビル・レトロアパート』の表紙も飾っている有名な看板建築。
再開発ということで、2022年6月現在、建物は無くなり更地になっている。外観は正面が緑、側面が赤色に染まっているが錆びている色なのだろうか。

栄屋は左のスペースに、右側にもお店が営業していたと思われるスペースがあるが、2009年時点で壁で覆われている。

2009年のストリートビュー
軽食・喫茶サカエヤの大きな看板は、区の博物館で保存されると伺った。嬉しい。

ミルクホールの暖簾については、移転先の店舗でも使用されている。

ミルクホール…皆さんはご存知でしょうか?
牛乳やコーヒー、軽食などを提供する甘味喫茶店で、ラーメンや丼物などお食事も提供していたそうです。千葉県だと船橋駅近くに存在していたのが有名です。→船橋「仲通り商店街」。闇市からスタートした昭和の面影が残る商店街
戦後、蕎麦の材料が入手困難だったため、ミルクホールを始めたと「ニッポン放送NEWSONLINE」にて紹介されている。
現在は牛乳などの提供はしていないが、ミルクホールという名前を大切に残している点に惚れます。
栄屋ミルクホールでラーメンを
昭和20年創業、76年の歴史に一旦幕を閉じる。

この日はテレビ局の取材も来ていて、私は友達といたので若い女性が珍しく取材に応じてくれないかと頼まれた。お断りしましたが、その日の夕方のニュースで放送されていたみたいです。

この日、到着したのが10時半だったが、50分並んでようやく店内へ。お店の方も対応に忙しいと思うが、優しく接客してくださって素晴らしいなと思った。

場所柄、サラリーマンの方が多く並んでいた。

店内には店舗を描いたイラストなどが展示されており、栄屋ミルクホールが愛されてきたか分かる。
メニューは、ラーメン・チャーシューメン・支那筍メン・カレーラーメン・カレーライス・冷やし中華など。


友達はカレーライスを注文。この日はこのカレーでご飯が終了し、ラストとなった。
甘口で誰が食べても美味しいカレーだと友達が話していた。

ラーメンは透き通るような輝きに満ちたスープ。私が求めているラーメンってこれだなあと。

移転後も同じく美味しいラーメンを頂けるのだろうか。閉店のときは再開が未定だったので、近くに移転オープンされていて嬉しい。
いつか行きたいと思っているお店は後悔がないように行動に移したいですね…

近くにあった東京蒟蒻会館
余談ですが、栄屋の裏にあるビルは「東京蒟蒻会館」と書いてあり気になる。

蒟蒻を牛耳っている組織なのか…と思っていたら、エキサイトニュースの記事「全こん連の本部「東京こんにゃく会館」」に、全国蒟蒻協同組合連合会の支部であると書いてある。
周辺の警備員さんと少し話したが、「神田は下町だから古い建物たくさんあるよね~」「栄屋は以前からビル化の計画の話が出ていた」ことなどを聞いた。

今回の閉店は以前から決まっていたことなのだろう。
また、近くの和菓子屋「庄之助神田須田町店」も目に留まった。

昭和初期に大相撲の名行事として活躍した行司、第22代木村庄之助の子息が開いた店で老舗菓子店。最中を購入。
栄屋の後は、神田の近代建築めぐりをしたが、ボリュームがある内容なのでその話はまたいつか…
(訪問日:2021年10月)
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ここ、ついに無くなっちゃったのですか…。私もいつか見たい…と思っていただけに残念です。コロナ以降、毎年行っていた東京旅行も全く無くなり、このまま行きたい、見たい、という場所がどんどん減って行く気がします。
こちらのブログでそういった物件のアップを楽しみにさせて頂きます。
看板建築の代表的存在でしたよね…今は更地です。。