「三桜ショッピングセンター」幸町団地のレトロな商店街と”幸町小売り市場”の歴史 -稲毛海岸⑸

「三桜ショッピングセンター」。今回は昭和レトロ好きな人の間では有名な商店街!やっと紹介できて嬉しいです。
もっとこの場所を多くの人に知ってほしいし、魅力はそれだけではないことを伝えたい。実は隣にも市場があったんですって。知っている方もいらっしゃるだろうか。

「三桜ショッピングセンター」レトロな外観
千葉県千葉市美浜区幸町2丁目。最寄り駅は京成千葉線「みどり台駅」かな。
徒歩10分くらいで、国道357号線をわたると幸町団地と「三桜ショッピングセンター」が見える。

三桜ショッピングセンターは名前の通り桜をイメージしているようで、ピンク色のデザインが素敵。

看板には、自転車、カラオケ・パブ、ヤキトリ、米、本・文具、酒…色々なお店があることがわかる。

右手にある南入り口から入ってみよう。

サンオーショッピングと呼ばれているのかな。建物を見ると3階建てである。

外観からしてかなり老朽化が進んでいるようだ。おそらく団地とともに歴史を歩んできたのだろう。

そして2階から顔をのぞかせるライトピアの看板。まるで待ち構えているようだ。

入り口の横に、2階へつづく古い階段があったがどこへつづくかわからないのでやめた。

幸町団地について
「幸町団地(さいわいちょう)」は、昭和44年(1969)に入居開始した、千葉市内の団地の中でもかなり古い団地。「公団ウォーカー」の記事に詳しく建物の様子が紹介されている。

今回紹介する三桜ショッピングセンターは、学校や郵便局などの施設が集まる中央部部に位置している。大規模な団地であるため、生活する人々にとって欠かせない商店街だったのだろうと想像する。
ちなみに三桜ショッピングセンターについては「Deep案内」の記事でも私と同じように紹介しているが、住んでいる方への尊敬心がないと感じる辛辣な言葉…
ショッピングセンター1階
とりあえず、三桜ショッピングセンターの1階へ。団地と同時期だとすると、50年は経過している。

手前にある米屋以外は、1階はほぼ営業していない雰囲気だった。

外からだと気づきにくいが、入り口の上部分のオレンジのガラスが綺麗だった。

1階は両サイドに店舗があり、整骨院、クリーニング屋などがみられる。



サッポロのベンチが置いてある。男女スタッフ募集とは何だろうか?

ラーメン屋の看板。丸くかたどられていて独特だな~

出前迅速と扉に書いてあるが、だいぶ前にラーメン屋は移転したらしい。

三桜ショッピングセンターの北側から出ると、広くて交通量も多い湾岸道路に出る。なんだろう、北と南のこの差は…


北から南を振り返る。私はこのレトロな空間が令和の現在も生き残っていることが愛おしい。

2階へ
気になって仕方がない2階へ。階段の手前に営業中の張り紙が。

2階への改題は両サイドあり、ライトピアの青い看板が昼でも光っている。

ふと上を見上げれば、黄色の丸い照明。ぶら下がった照明というのも、昭和の生き残り。

落ちてこないのかと心配になるくらい心細い。

2階へとつづく階段。随所にこだわりを感じ、まさにここがショッピングセンターだということがわかる。

なんとも親切に階段のてっぺんには両サイドを指す矢印。

そして見えてくるのは2階の踊り場に取り付けられた巨大な鏡。三桜ショッピングセンターの名が堂々と。

鏡の両脇にお手洗いが設置されているが、故障しているようだ。

現在、女性トイレは右奥になっている。しかし違和感があるなと思ったら、元美容室の店舗のトイレだとわかった。


平成生まれの私にとって、こういう場所は本当に珍しい。タイルの色や質、ちょっとたばこ臭い匂いまで昭和の魅力が染みついている…

なぜこんなに大きな鏡が必要だったのだろう。なんて考えても、合理的な答えはないか。

2階の踊り場では、吸い殻置きが設置されており、喫煙場所となっているようだ。かすかに匂いが残っている。

避難経路図に昔の店舗が書いてある。これは有難い!

エレガンスショップと残る文字は、元洋品店。

ライトピア レストラン
ライトピアはレストラン。昼間からカラオケの歌が聞こえてくる~

2階で唯一営業を続けているお店。アジフライ定食は595円で、比較的リーズナブルだ。

宴会などができるほどの広い店内。団地の人々の集まりとしても大いに役立ちそうだ。


ライトピアにおいても新型コロナウイルスの影響は受けているようで、営業時間変更をするなど工夫していた。

テナントが並ぶ2階
レストランの反対側は、細い廊下がつづく。右手前から、クリーニング屋、自治会事務所、麻雀屋、左手前から洋品店、三桜事務所、倉庫、理容店だった。

反対側から見た写真。シャッターが閉まり、人気がない。

元麻雀店は窓もなく、密室空間だったことがよくわかる。

左手前の元洋品店は大きな店舗だったのかな、シャッターが大きい。

廊下の突き当たりにある謎の鏡のスペース。斜めになっていてなんか変。

廊下のタイルもレトロ。おばあちゃんの家とかにある懐かしさ。

3階へ
3階への階段もかなり老朽化が進んでいるが登ってみた。

3階は住居となっているようで、見晴らしが良い。

正面にマルエツもあるので買い物には困らなそう。

しかし刻一刻と老朽化が…この三桜ショッピングセンターもいつまで現存するかわからないなあ…危ない。

2階から降りる階段。昭和のショッピングセンターは、現代と違って明るすぎなくて落ち着く。

見てほしい、この天井の照明。土管が逆さになっているような面白いデザインだ。

光っていないみたいだけど、役目を終えたのだろうか。
米屋「鈴正米穀」
最後に、営業していた「鈴木米穀」に立ち寄ることにした。


タバコを販売しているので地元の方がふらっと立ち寄っていた。古そうなお店なので歴史に詳しそうだと思った。

現在は、高齢のおばあちゃんとその息子さんが切り盛りしている。米屋としては50年は営業していると話していたので、団地と同時期だろう。

駄菓子屋としても
そして米以外にも駄菓子やお菓子の販売も。

駄菓子屋が少なくなっているので、こうして駄菓子を販売しているのは子供にとってどれだけ有難いか…

そして!飲み物の販売まで充実していた。

駄菓子とセットで買おう!と思ったら一番下に瓶ジュースが!ファンタ、コーラ、スプライトが並んでいた。

ファンタやスプライトが販売されているのは珍しいので購入。さっきは暗かったけど、光に当てると映えるな~

瓶ジュースってなぜこんなに美味しいのだろう?炭酸や風味が瓶の中に閉じ込められるから、という意見もある。瓶の方が口当たりも良い。

生産が終了している瓶ジュースもあるので、気になったら飲むようにしている。ファンタグレープは、グレープの味が濃くてびっくりした。

今はなんでも便利になったけど、なんか違うんだよな~
隣には冷蔵庫もあって、パッキンアイス1本20円というのがまた良い…


遊んだ帰りに駄菓子を買いに…子供の頃の思い出が蘇る場所だった。

各地のお米の販売
今の若い人は、お米をどう選んでいるだろう?店主によると、どれも同じだと思っている人が多く、値段の安さで決定する人も多いとのこと。

だから、昔のように米屋にわざわざ通う人も少なくなっており店舗も減っている。また、高齢者になるとご飯の量が減ってしまうため、お米を買わないでお弁当などで済ませてしまう人が多いのだとか。

せっかくなので。母は各地のお米の中から気になる商品を購入していた。お店の方にアドバイスをいただきながらお米を購入する、昔の買い物スタイル。

迷ってしまうほど各地のお米が並べられているが、丁寧に教えてくださるので安心。

1㎏から購入できるので誰かのプレゼントにも。

水曜日が定休日なので注意。このお店の情報を書いている人がほぼいないため、定休日に当たったことがありショックだった。

三桜ショッピングセンター、いかがだったでしょうか?スポーツ用品店、自転車屋とかは見当たらなかったが、かつてはショッピングセンターの賑わいがあったのだろう。

幸町団地を支えてきたショッピングセンターの現在。瓶ジュースを販売している場所が少ないので定期的に通いたい。

そして、三桜ショッピングセンターだけで終わらないのが私。
ユニディ幸町1号店
現在、三桜ショッピングセンターの隣にはマルエツ千葉幸町店がある。

米屋の店主に伺うと、昔はホームセンター「ユニディ」だったそうだ。昭和49年(19749に1号店のユニディ幸町店としてオープン。
その後は、「ユニマート幸町店」、現在の「マルエツ千葉幸町店」へ。

幸町小売り市場
そして、マルエツの隣にあるマンション。ここには「幸町小売り市場」があったという。

幸町小売市場の情報は本当に少ない。1997年の写真はこちら。湾岸道路からも赤い看板が良く見える。
「稲毛新聞 2000年12月号」に幸町小売り市場問題について決着したとの見出しがあったので引用する。
家主とテナントが対立し裁判になっていた美浜区の幸町総合小売市場問題はやっと決着がついた。
先月二十九日に千葉地裁で開かれた調停で、家主の千葉幸興業・側が提示した和解案、総額一億五千万円の補償金と、残っている十六店舗は年内に全員退去することで双方弁護士立会のもとで合意に達したため和解が成立した。
幸町総合小売市場は、昭和四十五年に建設されたマンモス幸町団地住民の暮らしを支える食料品や日用品を扱う小売り店舗が入居、オープン当初は七十八店もあり全盛を誇っていた。
しかし、周辺に相次ぐ大型店舗ができ、売上が落ち込み店舗の老朽化も進み、店子がつぎづぎと撤退、家主側の負担が重くなったので家賃値上げ等の問題で残っている店子相手に、昨年四月に提訴、今日に至った。
跡地は、大型のマンションが建設される予定だ。
昭和45年(1970)にオープン、当初は78店舗ありなんでも揃う市場だった。しかし、次第に廃れ、17軒ほどになってからは立ち退き問題でもめていたことがわかる。2000年に取り壊し、2002年頃にマンションに。
調べていると、1984年頃から稲毛海岸周辺に大型店やディスカウントショップが出来たこともあり、幸町団地の住民を足を運ばなくなったため、閉店するお店が続々。
京葉線開業当時、幸町にも駅がという話があったそうだが、「駅が設置されれば、駅前に商店街が新設され、客離れは必至」と商店街が中心に反対したという経緯もあったほどだったのに。
当時の話を伺うと、三桜ショッピングセンターよりもディープで巨大なマーケットだったことがわかる。一度見てみたかったな。
ネットの情報、近隣の人の情報をもとにまとめてみた。
・喫茶店
・おでんの屋台
・衣料品店
・サンリオショップ?
・100円バーガー?
・牛乳販売店「ミルクセンター」
もし何か知っている方がいたら教えてください~
追記:幸町小売り市場内の写真
Twitterで知り合った方から、なんと2001年頃の幸町小売り市場で撮影した写真を提供していただきました!感謝です…



気軽に撮影できる今とは違って、厳選された写真。2001年頃というと、解体直前だと思われる。どのお店も高齢化していたらしく、閉業前の様子だったのだろう。
市場内の写真は見たことが無かったので、雰囲気を知ることができて嬉しい。個性的なお店や看板が連なっていたんだろうな~
他にも当時住んでいた方から、
魚屋さんのポリバケツにドジョウが泳いでいたのが印象的。確か「一心堂」という駄菓子屋玩具屋があった。35年前ですでに三桜ショッピングセンターはレトロな存在だった。
また、当時お茶屋さんでアルバイトをしていたという方からもコメントを頂いた。「煎茶の計り売りの個人商店でした。ひっきりなしにお客さんが来ていました。年末は魚屋もスーパーも正月用品を求める客ですごい賑わいでした。」
市場は一足先に時代の流れとともに消え、記録もあまり残っていません。三桜ショッピングセンターが残っているのは奇跡ですが、米屋の主人によるといつまで残っているか…
気になるお店や建物は記録が必須です。
宮野木ボウル幸町センター
あと最後に湾岸道路を南に進んだ、幸町団地の角にあるボーリング場が気になった。明らかに昭和なビル。

宮野木ボウル幸町センター。宮野木だからMなのかな?

ボーリング場も次第に姿を消しつつあるので、記録しておかないとな~

幸町団地、三桜ショッピングセンター。
有名な場所になっているけど、いつまであるかはわからない。隣にあった幸町小売り市場も含めて歴史をこの場で記録しておこう。
(訪問日:2020年12月)
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記事拝見しました。遠く金沢市でこれを読み、懐かしさに浸っています。
約25年ほど前に小学生だった者です。
「鈴正米穀」さんで、お米には目もくれず駄菓子やアイスを買ったこと。店頭にはカードダスゲームもありました。
「さち書房」さんで流れていたBAY-FMの交通情報のBGMは、今もそのまま。
奥の「エルドンスポーツ」さんで、少年野球のユニフォームを調達。かんラーメンも何度か行きました。
2階は、“大人の空間”というイメージでほとんど足を踏み入れたことがなかったので、こんな風になっていたんだと新鮮です。
小売市場も懐かしいです。写真の乗り物で遊んだ記憶も、謎の10円玉を入れるパチンコゲームもよく覚えています。
「一心堂」のほかにも、「バーバー丹頂」で髪を切られすぎたこと、毎週土曜日のお昼ごはんは「ほかほか弁当つかさちゃん」の巨大唐揚げ弁当だったこと、「キッチンハヤノ」は憧れのお店だったこと、屋台のおでんをよく買ってもらったことなど芋づる式に記憶がよみがえります。
幸町団地をご紹介いただき、本当にありがとうございました!
記事を書いて本当に良かったなと心から思います!コメントとても嬉しいです!
2階は大人の空間だったのですね…今はほとんど閉店していますが、たばこの煙が充満していて名残を感じます。ほとんど情報が無かったので、詳しい店名を記してくださり感謝です!ありがとうございます!
幸町団地が誕生した頃、歩道橋を渡って10分ぐらい、現在のみどり台駅の近くに住んでいたものです。
古くなると覚えている人が少なくなるのは仕方がないです。ちょうど、小学校の高学年の頃です。「小売り市場」と「ユニマート」はほぼ同時期にできました。市場は多数の店舗があり、とても賑わっていました。
その頃は、牛乳は瓶で配達してくれました。うちは、明治牛乳でした。両親の方針wで毎日一リットルは飲めと言われていたのもその頃でしたね。ガラス瓶で一リットル入があったのです。
その配達をしてくれた人が、小売市場の「ミルクセンター」で大忙しだったのを記憶しています。あと、
今では珍しくないですが、「鶏の唐揚げ」が目玉の精肉店があって、いつも行列でした。
本屋もあり、みどり台や西千葉の書店よりも早く新刊が入っていた気がします。中学生になり、当時の
思春期の真っ只中にいた私は、中学生が同棲するという映画「フレンズ」のノベライゼーションを小売市場の書店へわざわざ買いに行ったものです。(現在も所有してます。)
「ユニマート」は未経験の「スーパーマーケット」でレジに並ぶのが不思議で、そのためだけに行った
ような記憶もあります。「ユニディ」は「ユニマート」がなくなってから、開業したはずです。
同時期に西千葉の「西友」もできました。こちらは今も健在です。
高校生になり、足も遠のきましたが、「小売市場」の最末期に行ったことがあります。あまりの閑散に
あの、たくさんの店やお客はどこに消えたのか、時の流れは、時に残酷ですね。
幸町ではありませんが、近くに住んでおりまして、この三桜ショッピングセンターも、隣の小売市場も、昔は大変な人出でした。お正月の買い出しでは、大人たちに潰されそうになり、たまに日曜日に行くと、広場で人だかりが出来ていて小鳥の販売なんかしてました。さち書房では、随分と立ち読みで時間を潰したものです。 なんでも揃う場所でした。
コメントありがとうございます。小売市場にミルクセンターがあったのですね!他の方も唐揚げが印象的だったと話していたので人気店だったのですね…!
現在も書店で購入した本を所有しているとは凄いです!記事を書いて良かったなと思えました。
コメントありがとうございます。お正月はそんなに賑わいのある場所だったのですね…全体が分かる写真を見たことが無いのですが、皆さんからのコメントで想像できて嬉しいです
千葉市幸町を記事にしてもらいありがとうございます。子供の頃住んでいたので懐かしいです。仰る通りなんか小売市場の情報って少ないですよね。私はあの小売市場の某店で親が働いていたので子供の頃の遊び場でした。なので想い出だらけです。
うちの父も店終わった後にライトピア行ってました。私も父に連れて行かれましたが、タバコと酒の匂いが嫌で一回で嫌になりその後は近寄ろうとも思いませんでした。
このショッピングセンターの1階奥に駄菓子屋さんがあって子供たちの溜まり場でした。小学校の遠足で1人300円か500円の縛りがあり、駄菓子さんで何種類も買えるので助かりました。
コメント嬉しいです!!貴重な情報もありがとうございます!
ああ、懐かしい!昭和53年生まれで62年まで幸町にいました。
マルエツ(ユニマート)や保育園の前のロータリーのところ、今の美容室が入っているところに自転車屋がありました、よくパンク修理してもらいました。
小売り市場はホントにいろんな店舗が入ってました。
月曜日は休業になるんですが床屋さんなどは営業しているので市場の中には入れました、そこで人がほとんどいない市場内を自転車でかっ飛ばすって事をやってました…当時の近隣の小学生はみんなやってたと思いますw
市場の前に広場があって当時の流行していたローラースケートやスケボーはみんなここでやってました、そこには屋台?のおでん屋がいてイイにおいさせてました。
この記事によって当時のことがどんどん思い出されてきました、ありがとうございました!
地元の方から愛がこもったコメントを頂けて嬉しいです。ぜひまた思い出したことがありましたら、コメントお待ちしております!
一心堂懐かしいです。当日毎日入り浸って10円入れたら5分ファミコンができるやつをやってました!30円のブタメン食べながらスト2やマリオ3をやってました~♪
一心堂に行く度に会う「オヤジ」ってあだ名の主が居ましたねw知らない人は居ないんじゃないかと思うくらい毎日居ましたよ!
一心堂のおばちゃん優しくて好きだったなぁ・・・
昔、幸町に住んでて一心堂に通ってました。
「オヤジ」っていう一心堂に行く度に会う奴が居ましたね。多分知らない人は居ないんじゃないかと思うくらい毎日居ましたね。
10円入れたら5分ファミコンで遊べるやつでブタメン食べながらストIIばかりやってたなぁ
一心堂のおばちゃん優しくて好きだったなぁ 元気だったらいいなぁ
懐かしい!
市場内に「一心堂」という駄菓子屋があり、そこが子どものたまり場でした。格ゲーとメダルゲームがそれなりに置いてありメダルは1枚10円として利用出来るようになってました。大量に当てた奴は勇者として賛えられ…るわけでもなく集られてましたね。おやじと呼ばれる主は、知らない人は居ないのではないでしょうか。
また、市場内は麻雀ゲーム付きのテーブルがある喫茶店や牛乳屋さん、幸町内では大きかった書店などありました。
市場が無くなってからは、三桜ショッピングセンター内の米屋とエルドンが一心堂の後釜となりました。米屋=駄菓子、エルドン=ゲームを担うようになりました。
三桜ショッピングセンターで忘れちゃいけないのが、焼き鳥すずきです。リーズナブルで美味しい焼き鳥があったお店です。記事で紹介されてないということは無くなってしまったのですかね。
今のマルエツのところは、ユニマートというスーパーで三桜ショッピングセンターと直接行き来できるようになってました。
ユニマートは、一度店舗改装があり改装期間は目の前の広場に仮設店舗を作り営業してました。
ホームセンターのユニディは、もうちょっと東京寄りで今のファミリーマートから百萬石までのところにありました。