佐原「旧ダイボシ醤油」店舗跡と寺宿通り、歴史ある街へ-佐原⑴
佐原の探索、あまり観光客は行かないであろう寺宿通りの方面も気になる場所があったので立ち寄りました。
多木肥料のホーロー看板、良いですね~
旧ダイボシ醤油
千葉県香取市佐原。香取市立佐原小学校の東側にある寺宿通りを探索。
小学校の近くの交差点の角に赤い丸ポストがある建物を発見。歴史のありそうな佇まい…と思っていたらGoogleマップに「旧ダイボシ醤油」と書いてあった。
軒下には、電話番号241番のホーロー看板。
現在は閉業し、建物はそのまま残されている。よほどのマニアでなければ観光客はここまで足を伸ばさないだろうな…
また、店舗の奥には蔵も残っていた。醤油を保管していた蔵だろうか。小学校の門の目の前である。
昭和5年、松井天山が描いた佐原町の鳥瞰図には「菅井賣場」と記載されている。
旧ダイボシ醤油という店名ではなく、店主の菅井さんの名前を取って売場として書いてあるのだろう。昭和62年の住宅地図では閉業し個人宅になっていた。
窪田亜矢 著「水郷の商都・佐原における「記憶の枠組み」についての研究」によると建物は一部現存しているとのこと。
ダイボシ醤油(建物は一部現存):「ダイボシの角」という言い方は今でも通じます。
文化財登録などは受けていないが、佐原の繁栄の面影を残す貴重な建物である。
寺宿通り
ダイボシ醬油から北に伸びる「寺宿通り」。
東側の広大なお寺「浄国寺」が存在したことによるものと考えられている。「浄国寺」境内には「浄行さま」を祀る赤レンガ造りの小さな建造物もあるらしいのでまた今度見に行こう。
旧ダイボシ醤油の向かいは森永牛乳の販売店。旧ダイボシと同じ菅井商店と書いてあるので経営者は同じだったのかな。
よく見たら石積みの建物で古そう。
昭和62年は営業していたが、現在は営業している雰囲気はない。
壁には森永牛乳の文字とキャラクターが残っていた。かわいい~
その隣は森永アイスクリーム!牛乳だけでなくアイスクリームも販売していたのですね。
寺宿通りを北へ。お寺の横には山車蔵があった。
少し進むと古びた看板が印象的な建物。「松下電器連盟店、加藤電業社」と書いてある。
調べて初めて知ったけど、松下電器がパナソニックに社名変更したのは2008年のことなのですね!意外と最近でびっくり。パナソニックで完全に定着していた…
「電業社」の木製の看板もかなり古そうだ…
石橋肥料店
寺宿通りからから東へ細い道を入っていく。右手に表具店の美しいガラス戸があって見惚れた。
交差点の角にある石橋肥料店。ここの建物に残るホーロー看板が見たくて立ち寄ったのだった。
多木肥料のホーロー看板。多木肥料は多木化学株式会社の商品名で、兵庫県加古川市に本社がある。
日本で最初の近代肥料会社としてこの地で創業。加古川の発展に大きく貢献した多木化学本社の建物は大正4年の当時のまま現在も残っているのを以前見たことがある。
また近くには、「あかがね御殿」と呼ばれる多木浜洋館も。木造4階建の豪華絢爛な佇まい。間近でその御殿を見てから、多木肥料のホーロー看板を見る目が変わった。
遠く兵庫県加古川市で創業した多木化学の多木肥料は、千葉県内でもよく見かける。それほど全国に強い影響力を持っていたんだなと実感。
また、石橋肥料店も昭和5年の鳥瞰図に掲載されているお店なので老舗だ。
2012年のストリートビューを見ていたら石橋肥料店の横に石造りの蔵があった。現在は新しい家に。
香取神宮の石碑
そして石橋肥料店の向かいにある細い道の傍らに石碑を発見…
表面に「香取神社道」と書いてある。その道は浄国寺の裏手の道を通って、香取神社へ…?
香取神社=香取神宮なのだろうか?香取神宮は東側に位置するのでこの石碑が示す道とは少し違う気がするが…
「佐原の町並みかわら版」平成23年2月第47号にまとめられていた。
かつては香取神宮へと至る道は、現在の大通りとは随分とはずれていたそうだ。八日市場・前原の石橋肥料店の前にある石碑、これは明治28年に町の有志によって建てられたもので、ここから佐原高校方向へ進む道が香取神宮の道だったことを示しているという。
他にも八坂神社の前、岡沢酒店の前に「香取道」の石碑があったが、これは折れてしまい山車蔵の横に打ち捨てられているという…
なるほど、大通りとは違う道で参詣に向かっていたのか…今度は旧道を通って香取神宮へ行ってみたい。
県道沿いの近江屋、カレーの店と書いてあって気になったが創業天保年間って江戸時代だ…
そしてここから佐原の各地域を探索します~
(訪問日:2021年8月)
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