JR成田線「大戸駅」下車。二宮金次郎像、東大戸村道路元標など
JR成田線の「大戸駅」にて初下車。駅の近くにある学校の二宮金次郎像、道路元標、寺社仏閣を探索しました。
JR成田線「大戸駅」下車
千葉県香取市大戸川。JR成田線「大戸駅」に降り立った。佐原の西隣、本日の旅の最終目的地。大正15年開業。
隣の佐原駅とは対極的な… 駅入り口、改札が橋。
ホームの待合室に貼ってあった周辺の名勝旧跡案内図。電車の待ち時間眺めるのにも良い。
今回は次の電車が来る1時間内での探索だったため、遠出はできていない。大戸神社も次は行きたいな。
大戸、地名自体は平安末期から荘園名で見られるらしい。
はじめ、東大戸村だったため、この後訪問する道路元標は東大戸、駅名も開業当初は東大戸駅だったそう。
香取市立東大戸小学校の二宮金次郎像
大戸駅南口をまずは探索。事前に二宮金次郎像がいることを確認済なので学校へ向かう。
途中、分岐の角に火の見櫓。消防信号の看板も残っていた。
駅のすぐ近くにある、香取市立東大戸小学校。
そして進んだ正門の横に二宮金次郎像が残っていた。
香取市立東大戸小学校のホームページに詳しい学校の歴史がまとめられている。
明治9年に大戸地福寺内にて創立、明治23年に現在地に移転している。平成18年に閉校している石納分校も行ってみたい場所。
二宮金次郎像も古そうだが、一体いつから子供たちを見守っているのだろう…
また、一つとして同じものが無いのが二宮金次郎像を記録していて楽しい。こちらの二宮金次郎像は小顔でより勤勉さが伝わるような…
また、香取市立東大戸小学校のホームページにて学校周辺の大戸の特色、歴史について詳細がまとめられていて大変勉強になる。本校・分校ともに教育熱心とあるが、まさにホームページからもその様子が窺える…!
学校及び地域の特色
1)本地域は国定公園日本水郷の表玄関として位置している。江戸時代から昭和の初期にかけては,利根川を中心とする銚子佐原・関宿・江戸に通じる船便の中心地であった。したがって商業が栄えるとともに,酒・醤油・味噌造りが盛んであった。
また,河川・湖沼に囲まれ,水稲の早場地帯と川釣りの名所として知られる。佐原市は,昭和26年3月「佐原町」「香取町」「香西村」「東大戸村」が合併して,県下9番目の市となり,更に昭和30年2月「新島村」「津宮村」「大倉村」「瑞穂村」を編入し120.48平方キロメートルの市域をもつに至った。
平成18年3月「佐原市」「小見川町」「山田町」「栗源町」が合併し香取市となった。本市は,千葉県北部に位置し,北部は横利根川・常陸利根川によって茨城県潮来市・稲敷市と接する水田耕地地帯,南部は関東ローム層の良質な畑作地帯である。北総地域における都市機能の集積拠点として古くから経済・文化等の生活圏の中心的な役割を果たしてきた。また,成田空港を中心とする成田圏と製鉄工業及び石油コンビナートの鹿嶋圏の結接点としての位置的な重要性は高まり,北総生活圏の中心都市にふさわしい発展が見込まれる。
2)本学区は,香取市の西部に位置し,地形的には利根川沿いの水田地帯と大内台を中心とする山・畑地からなっている兼業農家を主とした地帯である。
3)学校は,JR大戸駅のすぐ近くに,設置されている。明治9年に創立され,大戸小学校と称し,地福寺を仮校舎とした。同23年,現在地に校舎を新築移転した。昭和44に鉄筋コンクリート3階建ての新校舎が竣工した。平成25年2月,校舎の耐震・大規模改修工事が完了し,現在の校舎となった。
体育館の開放により,東大戸地区の文化センター的な役割の一部を果たしている。
石納分校は,明治9年石納区観照院に開放された。大正2年に多田島に校舎を新築移転した。昭和26年現在地隣の堤防下に移転し,昭和59年現在地に新築移転となった。平成18年3月,児童数の減少により閉校した。
本校・分校区ともに教育について熱心であり,先人の業績を大切にしようとする気風も残されている。
江戸~昭和初期にかけて船便の中心地。醸造関係が盛んだったとのこと、今は面影が無いのでまた調べたい。
大戸駅北口~神社と道路元標
二宮金次郎像を後にして大戸駅北口へ。
学校近くにあるカワシマは旧酒屋?
また、踏切近くにある朝比奈酒食料品店。こちらは営業中!
CVS…コンビニエンスストアの略かな?
そして大戸駅北口。西側の市営団地、住宅街も広がっているが駅前は商店などお店は見当たらない。
駅前と思われる県道208号。大須賀川に架かる新宿橋沿いに蔵がある立派な邸宅があったが、これらは船便時代の名残だろうか。
橋の両側にお寺、川沿いには桜の木。
国道356号に出た。
大戸の丁字路正面に東大戸村道路元標が建っている。
セブンイレブンが建っているが向かいに古い商店の面影があった。
2018年のストリートビューでは営業中だったが向かいの広い邸宅がセブンイレブンになってから役目を終えたのかもしれない。
セブンイレブンの東側すぐ近くにある大戸村稲荷神社。路地裏にひっそりと赤い鳥居が見えた。
奥に社殿があったが鳥居と同じような赤。塗装が… 期待していなかったが彫刻が美しい。どういうストーリーがあるのかな。
また、あまりにも寒くなってきたので体を温めようと蒙古タンメンのお菓子を購入…
大戸駅は電車が車でホームにて待機!
さらに、大戸駅から北西方面に3㎞ほど、田園地帯に現れる谷中鉱泉…今は閉業しているが当時の絵葉書を入手したのでいつか訪問したい、な。
(訪問日:2022年3月)
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出ました…、二宮金次郎像~♪
この金次郎像って…キワメテあやしげですよね…。
たとえば、都内にも「新聞配達少年」像みたいなのはありますが(例:港区の有栖川公園)、でも、これだけの数の金次郎像が、公的教育機関(⇒小学校)に設置されているって、ドウイウコトナンダ…って思いますよね?
あくまでも、ウェブ上の情報ですが、
あるサイトによると…
(1)昭和3年に昭和天皇の即位式(御大典)にともなう記念行事が各地で開かれた。
(2)神戸証券取引所理事長の中村直吉夫人が御大典記念事業として、全国83カ所へ二宮金次郎像を寄付。
(3)以後、銅器生産日本一の富山県高岡市の鋳造業者が商機とみて、二宮金次郎像を全国の小学校市場のための産業に発展させる。
(4)昭和3・4年から約10年間、全国の小学校で二宮金次郎像を設置することが一種の流行の様相を呈した
…そうなのです(そう書いてありますが、それが正しいかどうかはわかりません)。
出典: https://10mtv.jp/pc/column/article.php?column_article_id=1679
なお、上記サイトによると、上の4つが書かれた『二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか?』(文春文庫)の著書は、東京都知事を務めたこともある…猪瀬直樹さん(笑)。
いま、呉服業界では、【小学校の卒業式に、レンタル袴を売り込もう】と躍起になっているようにわたしには映るのですが、たしかに「商機(=ビジネスチャンス)」と見て、業者が何かをする…というのは、理解は出来ます。
疑問なのは、「銅器生産日本一の富山県高岡市の鋳造業者が商機とみて、二宮金次郎像を全国の小学校市場のための産業に発展させる」のところ…。つまり「商機(=ビジネスチャンス)」ということは、企業(例:鋳造業者)としては、金次郎像を書く学校に“寄贈”して、それで何らかの“見返り”があったということですよね…???
と言うことは、ある種の「官民癒着」ってこと…???
あるいは、「官製談合」…???
いまも場所によっては、校庭脇に静かにたたずむ金次郎少年ですが、その少年の背中には、何かとてつもない…(闇の)歴史が背負わされているように、わたしには思えます。←ちょっと言い過ぎ?