旧永島郷土資料館|大多喜町筒森に残る茅葺屋根の名主屋敷の現在

養老渓谷の探索つづき。今回は奥養老温泉郷を抜けて、味噌販売店の芝崎商店、そのさらに奥の筒森地区にある永島郷土資料館の現在を調べに歩きました。
大多喜町小田代「芝崎商店」
千葉県夷隅郡大多喜町小田代562−6「芝崎商店」。
前回の続きで養老渓谷の探索。旧老川村の中心部、小田代から南西へ県道を進むと出会ったのは芝崎商店。

手造り味噌と麹。たばこ、塩、雑貨。思わず足を止めてしまう外観。前回の記事の裏通りにも閉業した芝崎商店があったけど複数店舗があったのかな。

せっかくならと思い味噌を購入しようと思ったが、現在品切れらしく。残念。
田舎の味噌美味しいんだよな~また立ち寄ろう。
サクラカラーの広告が時代を写しています。
帰りは老川のバス停から養老渓谷駅に乗るので、それまでに引き返さねばならない。老川バス停から筒森の目的地までは片道徒歩25分ほど。歩道なんて整備されていない県道なので歩いている人はいない。

筒森「永島郷土資料館」
今回の目的地は、養老渓谷で設置されていた案内図に載っていた「永島郷土資料館」。
大多喜町筒森。中心からはだいぶ離れている、茅葺屋根の建物は今どうなっているのか気になって足を伸ばすことにした。

筒森は、『角川日本地名大辞典』によると、「木炭の生産地であったが、近年は植木栽培、特にキャラなどを栽培する農家が多い」とのこと。
トンネルを抜けると筒森の集落に辿り着いた。左側の坂の上には旧商店?正木屋。その奥に古民家ゲストハウス わとやが営業中。
右側に立派な門。こちらが目的地。
2014年のストリートビューを見ると石の門柱だったので最近建てられた門のようです。
そして2022年秋、茅葺屋根は養生シートで覆われていました。
永島郷土資料館としては閉館したものの、建物が現存していて良かった~!

ずっと気になっていた永島郷土資料館。敷地も広い上に鬱蒼と茂っていて全体を外から見学するのは難しい。
永島郷土資料館についての現役の写真が「出世観音」のHPに載っている。木製の看板、門柱も雰囲気がある。

また、こちらの建物がなぜ凄いのかというと名主屋敷だからである。
「永島四郎家は、江戸期の名主・大惣代などを勤め、幕末には碩学嶺田楓江が1年余滞在して著作をした家で、近年、長島郷土館として開放されている。
『角川日本地名大辞典』より
藩主の代わりに大多喜を支配していた代官家の永島家のお屋敷です。
江戸期の屋敷は明治初めに焼失したため明治時代に再建されました。
お金持ちだったため日本全国から最高の部材を集めて建てたらしい。
本当に素晴らしい部材がふんだんに使われています。しかも大きい。
残念なのは茅葺き屋根が劣化したため養生シートで覆われてること。
田舎暮らし!千葉房総ねっとさんでこちらの物件が販売されていたのを見たけど、2024年現在は載っていないのでどなたか購入されたのかな?
昭和期の千葉県内の博物館を紹介する本でも取り上げられているが、実際に訪問された方の紹介がとてもわかりやすいので引用します。
永島屋敷(大多喜町筒森堀之内)
永島屋敷は、筒森のトンネルを西に抜けて道路が湾曲しているところの北側にあった。平地の居館で土塁や堀の跡らしきものが見られる。トンネルの辺りの切通も、空堀の名残なのかもしれない。ここには現在永島郷土館が建っている。
永島氏の先祖は平忠常である。乱で敗れた忠常の子孫は市原市佐是に土着していたが、天正年間に、戦乱を避け、ここ筒森の地に移り住み、大名主となったという。筒森神社には、壬申の乱で敗れた大友皇子と十市姫が逃れてきたが、姫は難産の末に亡くなり、彼女を祭ったという伝説がある。しかしこれはあくまでも伝説であろう。
永島郷土館は写真のような貴重な藁葺きの名主館である。これだけのものは千葉県でもここだけであろう。さらに中に入ると、その展示物に圧倒されてしまう。貴重な骨董品が所狭しと並べられているのである。その中には「桜田門外の変」を伝える古文書など、貴重な資料もたくさんある。一度訪れてみて損はない。

私にお金があったら買い取って古民家ゲストハウス運営でもしたい!

今後の行く末が気になりますがバスの時刻も近づいているので引き返しました。

近くにあった角屋商店は、映画「夏美のホタル」の撮影現場らしい。見逃したな。
余談で、昔の小湊鐵道沿線の地図。
鶴舞が想像以上に賑わっているのが気になっている。動物園もあったのですね・・
(訪問日:2022年11月)
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