御菓子司津知家(つちや)| 大正8年創業老舗和菓子店で‟十万石最中” -大多喜⒁

城下町・大多喜の和菓子屋「御菓子司津知家」さんへ。
大多喜のお土産にぴったりな十万国最中は、あんこ好きな方には特におすすめ?!ぜひ立ち寄ってみてください~
大多喜町の老舗和菓子店/東京銀座天賞堂発祥の地
千葉県夷隅郡大多喜町新丁83。大多喜町探索編で、城下町通りの交差点角に建つ和菓子屋「御菓子司津知家」でお土産を買うことにした。

大多喜町、城下町らしい純和風な構えの店舗に惹かれる。周辺にはもう一軒和菓子屋「ふくだや」がある。明治時代創業。生クリーム大福を購入したのが懐かしい。
和菓子屋「ふくだや」城下町・大多喜にある老舗和菓子屋 -大多喜⑵
今回ご紹介する「津知家」、大正8年創業の舗和菓子店!
店舗から脇を見ると白い塀と古い屋根付きの門が残っている。

どこで見たのか分からないという失態を犯したのだけれど訪問時はこの門が古いという情報を見て撮影したのだった… また分かり次第追記します。

また、店舗のショーケースには古い看板?
「東京銀座天賞堂発祥の地」とある。

東京銀座天賞堂は、明治12年に銀座尾張町に印房店として開店したとホームページに記載されている。
大正時代に創業したこの和菓子店とどんな関係が…?
東京銀座天賞堂の創始者は「江沢金五郎」。彼の出身地が大多喜町で、現在もその墓所が南方面にある良玄寺にあるという。呉服雑貨商の生まれとネットには記載があるので和菓子屋とはどういう関係かあるのか?
また、大多喜町立図書館には「天賞文庫」が現在も受け継がれている。また今度伺いたい。
大多喜町立大多喜図書館天賞文庫は明治30年(1897年)10月、東京銀座天賞堂店主、初代江沢金五郎の遺志「我若し幸に成功せば郷里は勿論国家教育上に 対し公益事業を起こさん」に基づき、弟江沢富吉及び2代目江沢金五郎により、郷里大多喜町に図書館を寄贈、天賞文庫と命名された。
千葉県最初の公立図書館であり、当初は2階建てレンガ造りのモダンな建物で あったが関東大震災で崩壊寸前となり、使用不能となった。その後幾多の変遷を経て、平成元年(1989年)8月、大多喜町により鉄筋コンクリート造りで新 築オープンし、文化の殿堂として現在に至る。
明治30年に建てられた赤煉瓦二階建てのモダンな図書館も見てみたかったな~
追記;地元の方より
地元の方から情報提供いただきました!
現在は閉店してしまったそうですが近くにあった本屋「えびす屋書店」に東京銀座天賞堂発祥の地の看板は存在し、初代の生家だったそう。本屋さんへ移転後に移されたのですかね。以前は説明看板も設置されていたようです。
大多喜銘菓 十万石最中の「津知家」
「津知家」さん、観光バスやメディア出演も多いので私が改めて詳しく語る必要もないかもしれないが…

手作りのお菓子と他の地域の既製品のお菓子が販売されていて種類豊富!迷う!

早速その日の宿(大屋旅館)の晩酌のお供に!
巨峰と梅のゼリー、十万石最中、あんこ玉です。
名物の「最中十万石」は必須かなと思い購入。
1個145円。こちらのお菓子は添加物等不使用だそうです!
そして驚いたのはあんこの量!
手に取るとずっしりとあんこが詰まっている重さを実感する。最中の皮よりもあんこの方が多い印象で身体に優しい甘さが口いっぱいに。

正面には大多喜城を築城した本多家の家紋が描かれているが、そのほかにもグッズが販売されていました~
余談。そして、大多喜駅前の観光案内所で地域クーポンと引き換えに大多喜の写真集とラスク、アイスクリームを購入し大多喜スイーツを堪能しました!

(訪問日:2022年8月)
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