大多喜町紺屋の街並み中心に。近代建築/レトロたばこ店/文化財の菩薩像 -大多喜⑽

大多喜町紺屋の街並み中心に。近代建築/レトロたばこ店/文化財の菩薩像 -大多喜⑽

今回は大多喜のディープな魅力を深堀り!観光地として有名な城下町通りだけでなく、北側の大多喜町紺屋へ。かつての洋裁学校の木造建築が現存しています。

 

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大多喜・城下町通りの近代建築

千葉県夷隅郡大多喜町。城下町通りのメインの観光スポット・建築については以前訪問した際にまとめたので合わせてご覧ください。

大多喜「城下町通り」を探索。”房総の小江戸”と呼ばれる歴史的町並みがすき -大多喜⑹

大多喜「城下町通り」を探索。”房総の小江戸”と呼ばれる歴史的町並みがすき -大多喜⑹

今回はその時に漏れた建物とさらに北側の地域を歩いてみようというわけです。真夏なのに…

前々から気になっているのが豊乃鶴酒造がある交差点の西側、敷地の奥にある二階建ての洋風な建築。パラペット?一部だけ顔を出している。

奥まった場所にある

横の敷地が空き地なので見やすい。大通りに面した旧商店のような木造建築に併設した蔵のような存在。手前はふとん屋?と看板が出ているのでふとんを保管する蔵?

表通りから観察

近くの豊乃鶴酒造の左手にある建物とも似ている。が記載が無いので戦後の比較的新しい物件だろうか。

豊乃鶴酒造
城下町通り

城下町通りを北へ。桜台丁字路角にある洋風な外観も大多喜の街並みとは異質感漂っていて個人的にすき。新しめではあるが…

桜台丁字路
塩の旧字体?
国指定重要文化財 渡辺家住宅

大多喜駅へ向かう途中にある「房総中央鉄道館」、元は映画館の建物を利用しているんですよね。定休日と重なっていてまだ入ったことはないけど気になっている。

房総中央鉄道館
個人的に好きな商店建築

城下町通りをさらに北上。一般的な観光客としてはここまでだと思うが今回はさらに進みます。右手に見えてくる天然瓦斯の史跡は次回まとめます!

いすみ鉄道の高架下を通り左手に見えてきたのはなんだか立派な…

2階は雀荘?看板が残っている。
黄色のテント屋根は文字が消えているがかつては骨董屋さんだった様子。大多喜の蔵出しなんて気になるよ…

??
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大多喜町・紺屋 タバコ屋さん

大多喜町紺屋のエリアへ。紺屋(こうや)、読み方に注意。

角川書店『日本地名大辞典』によると、地名の由来は染物の職人町だったことから来ている。
旧城下町で、観音寺跡に大多喜町自動車教習所があるとのこと。かつては1月18日の縁日に近郷近在の農馬が集まり草競馬が盛んであったそうな。

大多喜町紺屋 現在

街道沿いに発展した職人町だそうで、現在も一部古い家並みが残る。ストリートビューで過去の画像を見ながら記事を書いていると、左手に1階が一面ガラス戸の木造建築が写っていたが現在は大幅に改装していた。

唯一目を引くのが下の建物。

右手角にタイル張りのたばこ屋を兼ね備えた旧商店?現在は閉まっているがその美しさに見惚れる。

ガラス張りなの!

また、その並びにはダイヤ型の欄間と木製の扉、大正ロマン感じる旧理容室。

車で一部見えないのが残念

ガラスが素晴らしい!屋根部分が覆われる以前の姿も見てみたい。

引き続き北へ。

左右に旧商店のような建物。右側は比較的大きな飲食店だったようだ。

その近くを右折すると千葉県指定史跡の馬頭観世音。後程紹介します~

薬局 営業中

薬局は営業しているが右手は住宅や空き地。隣は元自転車店。商店街のようなお店が並ぶ通りだったことが窺える。

瑞沢屋商店

 

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指定文化財 木造馬頭観世音

県道から細い道へ右折し奥へ進むと大多喜町自動車学校がある。その手前に喫茶店「どんぐりレストハウス」と目的の文化財。

どんぐりレストハウス

千葉県指定有形文化財「木造馬頭観世音菩薩立像」。昭和30年指定。

説明看板

像高約89cm。1本のサクラ材から造った一木造の像。表面は漆箔仕上げ。頭部と体部を1材から彫り出す。両腕の肘から先と足先を別材で造り、つなぎ合わせている。髻の上に馬頭面を取り付けたと思われる痕がある。髻を高く結い地髪との境に紐を結び、紐に二条の天冠台を載せる。両耳の後ろに脇面を表す。額の両側に炎のような髪を表し、髪筋を刻む。眉の根元を寄せ両眼を怒った瞋目とし、額にも一眼を表す。牙を下にむき、への字に口を結び、忿怒形の相貌を表す。条帛を着け、両肩に天衣をかけ、折り返しの裳を着ける。比較的細身だが、量感の表現に優れており、正面に三角形の裳を折り返し表すところなど、定朝様式に則っている。構造が一本造であることを除けば平安時代後期の正統な作品で、院政期の造像と考えられる。この時期の馬頭観音像は全国的にも例が少なく貴重な作品である。造像以来の由来は不明だが、江戸時代には大多喜城主の祈願所として興隆した観音寺の本尊として安置されていた。(千葉県教育委員会より)

観音寺跡に自動車学校があるので本尊として安置されていた「木造馬頭観世音菩薩立像」は、地域で現在も管理しているというわけか。

一般非公開。旧参道沿いには碑と同じく古そうな像が安置されていた。

手前にある碑

追記:コメントありがとうございます。
閻魔大王の像だそうです。廃寺になった後この場所で保管されているのでしょうか。インパクトがありました。

こちらの門柱らしきものは、明治30年の紀元2500年記念で建てられたもののようだ。2600年記念はよく見かけるがそれ以前の2500年記念はあまり見かけたことが無いな。

片方だけ?
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大多喜・旧鍛冶町 商店街?

もう少し県道を北へ。

長楽寺

右手に見えてきた「池田精肉鍛冶支店」。支店とあるので本店を探すと、小谷松駅近く、大多喜町部田にあるらしい。

池田精肉鍛冶支店

お腹が空いたので精肉店のお惣菜を求めて立ち寄った。はんぺんフライ120円を購入。

はんぺんフライ

ふわふわのはんぺん。美味しい。

お店としては50年近く営業しているらしい。肉以外にもお菓子や飲み物が販売されていてこの辺り唯一の商店だった。

郵便ポストと
魚勝

魚屋さんの隣にある門柱。立派な邸宅だったに違いない。

麹町区だったのか

小湊バス・鍛冶町。鍛冶職人が多かったのかなという安直な想像。

鍛冶町 バス停

 

 

(訪問日:2022年8月)

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