弁天山古墳「竪穴式石室」(国指定史跡)見学&富津市大貫の街並み -大貫⑷
大貫中央海水浴場の目の前にある「さざ波館」に宿泊し、周辺を探索。今回は神社と国指定史跡「弁天山古墳」へ。
神明神社(富津市小久保)
千葉県富津市小久保。「さざ波館」に宿泊しました。そのレポートは前回の記事にて。旅館の目の前が海ということで朝からお散歩~
隣は大貫漁港。旅館からも近く釣りで訪れる人も多いのでしょうか。
すぐ近くには釣り具店も。
海からは、かの有名な東京湾観音が背を向けて… まだ行ったことがないのでいつか行きたい。
そして旅館近くを散策。
大貫漁港前に白い鳥居があるのが気になった。
鳥居から170m程先にある神明神社の、一の鳥居。
昭和15年(1940)竣工。後程ある看板によると「皇紀二千六百年記念」でつくられた大鳥居とのこと。各地に残っているがここでも見かけるとは。この日は天気が悪いが白い鳥居で綺麗。
また、鳥居横には「神橋」と小さな橋がある。実際には川は流れていないが暗渠かな?
一の鳥居から神明神社まで真っすぐの参道。参道沿いは現在閑静な住宅街だが、蔵や古い門柱のある邸宅も。
そのまま進むと同じく白い二の鳥居が見えてきた。
神明神社についての説明看板。社殿は大正12年の関東大震災により倒壊後、大正15年に復興されたもの。
境内の石碑、一部は海が近いからか風化が激しい…
また、神社に隣接する古民家。空き家かな…お金があったら買い取って住みたいくらい雰囲気が良かった。
富津市小久保 街中の探索
そのまま神明神社から街中を探索。
空き地の入口に残る古い門柱。戦前の造り?こういうの好きだああ。どんな邸宅だったんだろうか。
こちらは裏通りにある野村呉服店。
道に屋根がついていて、雨がぱらついている日だったので助かった。現在も営業しており、呉服、世品、寝具、肌着、学生服を扱っている様子。
そして、店頭の案内を見て気づいたがこの通りが「みえく寺(和光保育園)通り」と呼ばれていることを知る。みえく寺?どの寺の事を指すのだろうか。
この時気づかなかったが今地図を見ると、呉服店の南には寺が3つも。
調べると「みえく=御影供」という真福寺で毎年4月21日に開催されるお祭りのことらしい。→富津市小久保・真福寺の「御影供(みえく)」の現在
農具市からはじまったお祭りで、今は規模が縮小されつつも新しい取り組みもあり、屋台が並ぶ様子はまた雰囲気があって良いなあ。4月21日狙って訪れたい。
お寺への分岐の角に可愛らしいバス停。
そして国道465号へ出た。この通りは商店跡も多くかつては商店街として賑わったのだと思う。
ゲストハウスの大貫館、2014年のストリートビューを見ると向かいに旅館のような建物が解体中…またわかったら追記しよう。
弁天山古墳(国指定史跡)
国道から富津市中央公民館へ。ここに国指定史跡がある!
半信半疑で向かうと…公民館の東側に堂々と古墳が!
そして古墳以外の史跡でもあるようだ。1つずつ見て行こう。
昭和4年に国指定史跡に指定されたという長い歴史を持つ「弁天山古墳」の説明看板もなかなか年季を感じる。こういう字体好きだな。
富津岬の南、東京湾を望む台地上に立地する弁天山古墳は、内裏塚古墳群の最南端に位置する全長86mの前方後円墳である。明治元年(1868)に小久保藩の藩校を建設するために墳麓を削って以来、墳丘は度々改変を受けていたが、昭和2年(1927)4月に小学校を建設するため後円部の墳頂にあった厳島神社の一部を崩した際に石室の一部が見つかり、内務省に報告された。そして、同年の9月には内務省の柴田常恵らによって発掘調査が行われ、昭和4年(1929)には国の史跡に指定された。
その後、昭和46年(1971)、昭和50・51年(1975・1976)度に保存整備のための調査が行われ、埴輪、石室の形態、石室内に残存していた遺物などが明らかになった。埴輪は、円筒埴輪のタガの断面が細身で高さのある台形であり、5世紀後半代の特徴をもつものであった。石室は、砂岩の転石を小口積みにして、天井を大型の板状の切石で覆った竪穴式石室である。天井の真ん中に置かれた石には、縄かけ突起が造り出されており、長持形石棺の蓋石の要素を取り込んだ極めて特殊な形式として注目されている。遺物は、剣、大刀、鉄鏃、錨留短甲、衝角付冑、鎌が出土した。(千葉県教育委員会より)
高さ5m~8mほど、墳丘は1970年代に復元工事が行われ、中央の階段からのぼることができるようだ。大貫漁港が見える。眺望も素晴らしい。
そして、上った頂上からさらに階段が下にあり「竪穴式石室」を見学可能。
柵越しに見学ができる。石室は本来地中に埋まっているものだが、史跡としての整備に伴い見学できるように覆屋を設けて保存しているそう。こんなに間近で見学できるとは思っていなかったので意外と来てよかったなと。
また、この場所は明治時代に設置された「小久保藩邸・藩校跡」とのこと。明治3年に開校した58坪ほどの建物の「盈進館(えいしんかん)」、洋学を取り入れ、英語に加え算術、地理、歴史も教え土遮共学だったと。土遮共学…
それに伴い「大貫小学校発祥の地碑」も。
盈進館の写真等は残っていないのだろうか。校舎の雰囲気が気になるな~
そして電車の時間が迫っていたので急いでJR大貫駅へ。次は木更津駅へ向かいました。
(訪問日:2022年6月)
-
前の記事
さざ波館(富津市大貫の老舗旅館)レトロな木造・鉱泉旅館に宿泊してきました! -大貫⑶ 2023.11.17
-
次の記事
千葉県の老舗旅館まとめ(Googleマイマップ)作成しました!レトロな宿・ゲストハウスetc 2023.11.19
コメントを書く