「張替酒店」明治創業、軍隊御用達の老舗に残る昭和初期の洋館付住宅 -京成大久保⑿
習志野市大久保に佇む「張替酒店」は創業115年を超える老舗酒店。
そして、「騎兵の街」として知られた大久保の歴史とも深い関わりのあるお店です。意外と知られていない張替酒店の魅力を伝えられたらなと思います。
習志野「張替酒店」
千葉県習志野市大久保1丁目9−8。京成本線「京成大久保駅」から北へ、御成街道沿いに面した木造二階建ての建物。こちらが「張替(はりかえ)酒店」。
明治38年(1905)創業。現在の建物は昭和6年(1931)に建てられたもので、文化財に登録されてもおかしくないレベルの建物!
駐車場は向かい側にある。
2階の窓も当時のまま。
2020年12月に地域新聞で取材した記事「【習志野市】老舗酒屋「張替酒店」で軍の街・大久保の面影を見る。貴重な昭和初期の建築も見学!」に詳しく歴史などを書いているので、今回はその時に載せられなかった写真を中心にまとめます。
ちなみに、店舗の奥にある住居部分は普段は公開していません。周辺は住宅街で外から建物を見ることは出来ないので、不法侵入などはしないようにお願いします。
張替酒店の現店舗
張替酒店と深い関わりがあった騎兵旅団は明治34年(1901)に大久保の町に設置された。現在の東邦大学周辺。以前記事を書いたので割愛→京成大久保駅周辺の歴史。軍隊の街と商店街の「カフェ」の関係性 -京成大久保⑴
習志野騎兵隊の軍人の方々が良く利用していたという話が残っており、貴重な掛け軸などが残っています。
現在4代目の店主が張替酒店を営んでいますが、普通の酒屋さんとは違ったオシャレな店内にテンションが上がります!
30年ほど前まで普通の酒屋さんだったとは思えない…
日本酒から焼酎、ワインまで豊富にそろっており、お酒が好きな方にとてもおススメ!
しかも店主がとても優しく説明してくださるので初見でもすぐに仲良くなってしまいます。
棚の下には、かつて樽から直接お酒を量り売りしていた斜めの床が残っている。
販売はされていないけど、昔の瓶などが密かに展示されているのも見所。
棚の上にある陶器の樽には、「千葉県津田沼町 張替酒店 電話十八番」と書いてある。貴重な資料だ~
また、木製の看板。岩井町の醸造店から送られたものだろうか。現在は旭市の辺り?
訪れた時が冬だったので暖かい火鉢に癒された。
火鉢ってじんわり温まるな~普段火鉢を体験する機会が無いのでとても感動した。
「あらごしみかん」購入品
普段全くお酒を飲まないので酒屋にもほぼ行ったことが無く、張替酒店に入るのも勇気が必要だった…でも素敵な店主さんがいるので初めてお酒を買うのも安心ですね。
以前の記事でも紹介されたけど、おススメされたのが「あらごし みかん」(梅乃宿/720ml 1,540円)。右は純米大吟醸スパークリング45「獺祭」。
シュワシュワのスパークリング日本酒。日本酒に慣れていない私からすると飲みやすかったな。
張替酒店、存在は知っているけど入りづらいという声もあり、地元の方でも入ったことがある方は少ないのでは?と思います。建物は渋いけど店内はとても買い物がしやすいです!
皆さんもぜひ立ち寄ってみて下さい~!
洋館付住宅(応接間)
そして、特別に見学させていただいた建物の紹介を。
住居と店舗の間にあるのが応接間。洋館付住宅は昭和初期にかけて流行していた建築である。
この部屋は応接間として、さらに大人たちが麻雀をする部屋だったといいます。
今までいくつか見て来た洋室の中でもかなり狭い空間。麻雀をするには良さそう。外には当時のままの可愛い照明が残っていた。素敵すぎる…
外観を広角レンズで撮影。
赤と青の塗装。当時の色も同じような感じだったのかな。保存状態もとても良い。
現在は物置になっているようだったけど、洋館付住宅は県内でもそんなに多く残っていないので見ることが出来て嬉しい。
住居部分(和室)
店舗の奥にある平屋の住居へ。
廊下を歩いていると令和とは思えない歴史を感じる佇まいにびっくり。この建物に昔の軍人の方々も足を踏み入れたのかな…
廊下の突き当たりにあるのは洗面所。当時の雰囲気のまま残っている。
窓のところにあるのは、雨水を利用した手洗い。
下の突起の部分から水が流れてくる仕組みですよね!
大きな鏡はエビスビールの文字入り。
下には、リボンシトロンと書いてあるが右読みなので古そうだな。
普段は公開していない和室の空間。
栗林忠道の掛け軸が展示されている。この和室で様々な人がお酒を飲み、店舗へのお礼として一筆残した人が多かったという。
昭和6年初冬に書かれたものらしい。
和室からは庭園を眺めることができる。庭園は後で説明する予定。
取材をしながら、昔の写真などを見せていただいた。この写真は昔存在した炊事場?の古写真だという。土間の炊事場…凄いなあ。
和室を後にし、店舗の方へ戻る。天井をよく見ると一本の木の柱が廊下を並行している。
壁には古いフックなど。帽子などを掛けていたのかな~
電気のボタンも昔のまま。一部改装されているものの、古さと便利さが共存していて素敵だなと感じた。
店舗の建物
店舗は昭和初期に建替えられたもの。といっても100年以上経っているので貴重な建物である。
店内から奥へ、普段は公開していないスペース。2階へ続く急な階段があった。
また、その近くの扉の裏には昭和6年1月に新調されたと書いてある。
日本庭園と蔵
建物の奥にある庭園へ。先ほどの和室を外から眺めるのも乙である。
日本庭園は、かつては池があり水が流れていたそうだが、戦争の時に防空壕を掘ったため、現在は水は無い。
でも、色づく紅葉と灯篭が並ぶ姿はかつての隆盛を感じさせるものだった。
奥にある二階建ての蔵は、船橋市薬円台、成田街道沿いの古民家から移築したものだそうだ。
薬円台の街道沿いは古民家も多いので、そこから移築したと聞いて意外なつながりに驚いた。現在は蔵の中は特に使われていない。
数年前に整理をしたため、古いものは捨てたそうだ。
蔵の2階はかつて住居として使っていたことがあるようで棚や電球などに名残が見られる。
何も使われていないのが勿体ないくらい保存状態が良かったなあ…
ヤマニ味噌と張替酒店
張替酒店さん、いかがだったでしょうか?
京成大久保の商店街からは少し離れているけど、個人的に大好きなお店です!
後日、訪問したらまたまた貴重な看板を見せていただいた。
藤川商店の特約店の看板。
藤川商店は、佐倉市の「ヤマニ味噌」の醸造元である。
鏡製の特約店の看板は今まで見たことが無いので珍しいのかなと思い、ヤマニ味噌さんの方にも連絡してみると、「私の会社でも見たことが無い」と回答があったので、両店舗の歴史を知る上で欠かせない資料だなと思った。そういえば、ヤマニ味噌さんの建物にも洋館が付いていたな~こちらもぜひ!
ヤマニ味噌「佐倉はお味噌の産地です」成田街道沿いの佐倉の洋館付老舗 -佐倉⑾
(訪問日:2020年12月)
-
前の記事
習志野”陸軍御用達商店”京成大久保の老舗時計店、精肉店を探る -京成大久保⑾ 2021.12.17
-
次の記事
【遊園地】千葉県にかつて存在した、今は無き遊園地一覧 2021.12.18
わくわく建築で、明里さんにガイドをして頂きました。
入念にイベントの準備をしてこられたこと、張替酒店さんに何度も通って良好な関係を築いてこられたことが伝わってくる、興味深い説明でした。
ありがとうございました。
お庭の、天保年間に奉納されたことが記されていた灯籠、「神社よく見る印がある」と言った者ですが、あの5つの丸からなる印は、天満宮の梅紋ではないかと思えてきました。
灯籠のもともとの場所のヒントにつながれば…。
先日は忙しい中での見学会,有難うございました。
1時間でも充分楽しめましたよ。出来れば後30分欲しかったですけどね。
気になって点が二点あるので書かせて貰います。
下総国猿島郡岩井町の木の看板は旭市でなく、現在の茨城県坂東市岩井町ですよ。
この時代の下総国は現在の茨城県南部まで広がり、広範囲だったのです。
りんたん・のんたんさんも石灯篭に興味があった様で、私も時代が分かる石造物なので気になりました。
何しろ張替酒店より古いのですから、どーしてここにあるのか疑問に思いました。
時代は天保十二年(1841)の物で、六曜紋(妙見信仰)の模様なので千葉氏一族の印と直ぐ分かりました。
近くに妙見信仰の神社があるか探してみたら習志野市屋敷3丁目に天津神社があり、この神社は千葉氏一族の馬加氏創建の神社で、妙見菩薩を祀ってたそうです。
しかし明治初年の神仏分離令により天津神社に改称されたので、この石灯篭は無くても良い物になってしまったのかな?
天津神社が何らかの理由でこの石灯篭を手放して、それを張替酒店が手に入れたのかも知れませんね。
あと考えられるのは、石材屋が持っていた中古の石灯篭を売った可能性もありますね。
石材屋は中古の石造物を持っていて、新品の石造物を庭に置くよりも中古の方が箔が付くので、中古を欲しがる人も居ます。
事実、家の父は中古の石仏を買ってきて庭に置いてました。
新品は貫禄が無いですからね、骨とう品と同じで古い石造物の方が時代の重みを感じます。
以上が私の推論でした。