「大穴銀座商店街」船橋大穴で一番賑わっていた巨大な商店街の現在… 大穴②
「大穴銀座商店街」。千葉県船橋市の駅から少し離れた、大穴地区に3つの商店街があることを知った。現在は商店街が存在したことを知っている人は少なくなってきており、今、私が記録を残さなければ記憶からも消えてしまうかもしれない。
3つの商店街の中の一つ、「大穴銀座商店街」について紹介する。
以前紹介した大穴北商店街はこちら↓
「大穴北商店街」とマジックアワー。商店街が光り輝く姿 -大穴①
大穴銀座商店街へ
「大穴銀座商店街」は、千葉県船橋市高根台3丁目の辺り。最寄り駅としては新京成電鉄「高根木戸駅」。駅北口を降りて、北にそのまま進むと「高根台第1調整池」と呼ばれる広場が見えてくるが、その周辺に商店街が広がっていた様子。
地味に有名な?「恐竜公園」も近い。
現在は展示品となっているが、昔の写真を見ると団地の子供たちが遊んでいる様子が映っていた。とてもリアルで良い。
「高根台第1調整池」は綺麗に整備されているが、昭和51年の地図を見ると公団44棟、公団38棟と書いてあるので高根台団地が取り壊されて公園になったのだろうか。大穴銀座商店街の詳しい資料については最後の方で紹介するのでひとまず現在の商店街の様子を見てみよう。
石塚商店
調整池の隣にあるのが「石塚商店」。
比較的新しそうな外観と屋根。自動販売機がいくつも並んでいる。
営業しているのかわからないくらい外から見ると暗い店内。
恐る恐る店内へ…絶賛営業中だった!良かった。
銀座商店街で現在も営業しているお店は少ないので、当時の商店街の様子を伺ってみた。当時は肉屋、魚屋、八百屋、寿司屋…なんでも揃っている大穴地区でも最も賑わっている商店街だったようだ。
現在は”銀座”という名称が恥ずかしいくらい、寂れてしまっているが、その原因としては公団が取り壊されたことが大きいという。
石塚商店の目の前にある「高根台第1調整池」はかつて公団44棟、公団38棟があった場所。かなり前に老朽化で取り壊しになり、商店街も次第に寂れていったとか。久しぶりに商店街に戻った人は、その変貌ぶりに驚くと話していた。
そんな石塚商店は、現在駄菓子を扱っているため、子供たちからは駄菓子屋として認識されているという。駄菓子屋が減少している現在、子供たちにとって憩いの場となっているのかもしれない。
そして入り口にはレトロなグリコのアイスクリームの冷凍庫。壊れたらもう変えることはできない。
ちなみに、外から店内が見えにくいのは西日を防ぐためにスモークをかけたため。扉は手動なので、昔ながらの酒屋の雰囲気を楽しむことができる。
交差点周辺のお店
石塚商店のある交差点。昭和51年の情報だと、角右手に「山形屋精肉店」、左角に「丸山食品」。
アーケード屋根らしき屋根の一部に残っている。昔はアーケード屋根があったのだろうか?と思ったが、店舗によりけりだったらしい。
丸山食品の隣は「魚光」。その奥には和菓子の「美しまや」。
新しい建物が並ぶが、現在も営業しているのかはわからない。中華、焼き肉、奥が越後屋豆腐店。
笑顔で交換?シル?ってなんだろう。
「越後屋豆腐店」があった辺り。越後屋豆腐店は確か、大穴北商店街にもあったな~
いずみ電気
電気屋「いずみ電気」の建物がポツンと目立っている。かつて手前には和菓子の「大穴商店」、衣料品店「NON」があったらしいが建物が無くなっている。
いずみ電気の奥には「田中クリーニング店」もあったらしいが、すっかり新しい街並みに。
ヤマザキショップ
ヤマザキショップの看板が遠くからもよく目立つ。昭和51年の資料には載っていないので、その後にできたものとみられる。
しかし、既に閉店した模様。いつ頃閉店したのだろう。
建物や看板が密集していると商店街のかつての様子を想像できる気がする。商店街の向かい側には団地の建物が並んでいたのだろう。
大穴銀座商店街は、どちらかというと高根台に近い。大穴に3つも商店街があったのは、それほど住んでいる人が多かったからだろうか。
翠香園
お茶屋「翠香園」。
昭和51年の資料にも載っている「翠香園」のお店。この日も地元の方で賑わっていた、残っている貴重なお店。
「独特の味と香りの店」が気になる。意外とお値段もお手頃価格なので立ち寄ってみてください。
理容「おかむら」は新しそうな店舗。
翠香園の先には「窪田精肉店」があったらしい。
ほていや
きそば「ほていや」も昭和51年の資料に載っている貴重なお店だ。
ザ・昭和なお蕎麦屋。現在も営業しているのが凄い…この方なら商店街のことを知っているはず。今回は時間が無く断念したがまた訪れよう。
斎藤針灸
商店街の西端にあるのは、「斎藤針灸治療院」。
昭和51年の資料には「斎藤薬局」とある。最近転業したのだろうか。
また、この場所が駄菓子屋で通っていたという方の話もある。近くには「大穴市民プール」もあったため、子供が多く集まっていたと思われる。
西端から大穴銀座商店街を眺める。
銀座商店街と呼ばれた商店街の建物は、老朽化、高齢化によりその姿を消しつつある。
1回目の訪問で気づかなかったのだが、実はまだまだ大穴銀座商店街の範囲は続いていた。
大穴銀座商店街つづき
石塚商店のある交差点を東に、住宅街かと思ったが、こちらにも公団131棟、134棟があったため、大規模な商店街があったそうだ。
ちなみに、角の喫茶店「ホットバター」は1980年に創業したのかも。
とんかつ「勝味」というお店も営業していたみたい。駐車場の看板だけ残っている。
右に進むと、高根台第3調整池が見えてくる。
公園の前には先ほどと同じような商店街が続いていた。
昭和51年の資料にも載っている「ササキ」。
昔は写真屋、美容須知、岡部ガラス店とお店が続いていた。
何も残っていないかなと思ったら、大穴銀座町会の文字!!確かにここが大穴銀座商店街だったことがわかる。
ビリヤードがあった場所は駐車場に。奥まで続いているが、営業しているお店はほとんどない。
高根台団地があったことなんて嘘のようにきれいな公園になっている。
商店街は、住宅街の裏にも続いていた。知らなかったら、素通りしてしまいそうだ。
商店街からは離れるが、東側にも古そうな「金子酒店」の建物があった。
住宅街の中に眠る大穴銀座商店街の姿。両側にあったという。
焼き肉屋「みはし」は新しい住宅に。
しかし看板は残っていた。
角にあるのは中華料理屋「長楽」。
菓子店、おでん、園芸屋…とお店があったが住宅になった。
昭和51年の資料にも載っているアベカメラトラスト。
大穴市民プールのあたり
ちなみに、大穴銀座商店街の西端の坂を北に登っていくと「大穴市民プール」というプールが存在したらしい。市制40周年記念事業として昭和54年頃につくられたプールは、老朽化のために2011年頃に閉鎖、解体された。
プールのあった坂にもお店があり、「ロイヤルスポーツ」は古いお店だ。
お好み焼き「大将」は口コミの評価が高い、地元では人気店?一度入ってみたいな~
大穴市民プールの跡地は、「大穴多目的運動広場」として整備され、人口の芝生の上で遊ぶことができる。
老朽化で閉鎖と言われているが、実際は赤字だったとも。プールは各地で取り壊しになっているので少なくなってしまった。
地元の方の話によると、商店街の桜の木があったらしい。だいぶ前に切られてしまったそうだが、桜もあった商店街の雰囲気は最高だろう。
昭和51年3月「大穴地区町会自治会連合会 会員名簿」より
地元の方から、貴重な昭和51年の「大穴地区町会自治会連合会 会員名簿」の資料を提供して頂きました。本当にありがとうございます…
大穴銀座商店街の全体のマップが掲載されていることで、当時の様子がよくわかる。公団の傍に商店街が広がっていた。
平成12年11月「大穴地区町会自治会連合会 会員名簿」より
平成12年11月の「大穴地区町会自治会連合会 会員名簿」の資料。
「大穴銀座商店街」
その名を知っている人はどれくらいいるのだろう。商店街として栄えていたことをここに記録しておきたい。現在も営業しているお店が何軒かあるので、時間がある方はぜひ訪れてみてほしい。
(訪問日:2020年12月)
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こちらもまた懐かしいですね…!
私は大穴北出身なので、大穴北商店街ほどは馴染みがないのですが、市民プールはよく来ていました。
利用料は50円だったので、往復のバス代(当時は確か片道で大人120円、小学生以下60円。今は大人180円くらいになってると思います)を含めても、数百円で長時間遊べる貴重なスポットでした。
決まった時間になると、全員プールサイドに上がって安全確認をするのですが、その際の全体放送の中で必ず「ロッカーの鍵をなくしたら1500円の罰金」と流れ、姉と一緒の時は絶対なくすなと毎回きつく言われたものです。所持金数百円の小学生からしたら、1500円の罰金は極刑に等しいですからね(笑)。
紹介されている斎藤治療院からバス通りを挟んだ所に、プールがやっている時期限定でお菓子やカップ麺等の軽食を食べられるお店がありました。お店の方が改築されたのか、第三者の方がお住まいなのかは分かりませんが、今は戸建住宅になってますね。買い食いはダメだと学校から言われているのを真に受けた私は、友人がおいしそうにカップ麺をすする傍らで、うらやましいなと思いながら、見ていた記憶があります。代わりに店の前にあった、当時としてもレトロな自販機で、ビンのオレンジジュースを買って飲むのが楽しみでした(当時は80円だったはず…物価上がったなあ)。
こちらのブログはこうした実家の付近や、今の自宅の近く、そして何となく気になるスポットを多く、かつ深く取り扱ってくれているので、過去と現在を往き来してるような不思議な感覚にさせてくれますね。
市民プールの詳細な情報、ありがとうございます!凄く良く覚えていますね!とても助かります。
それにしても1500円の罰金って高いですね~驚きました。
バス通りを挟んだ反対側に軽食を食べれるお店があったのですね。よく想像できました。ブログもほめてくださり、感謝です。これからも地域の情報発信していくのでもしよかったら覗いてください!
大穴銀座商店街近くに住んでいました。大穴小学校に通ったので、中央商店街や北商店街も懐かしいです。
銀座商店街のお店はほとんど知り合いで、友達の家も多かったです。
毎日犬の散歩も兼ねて母と買い物に行っていました。
ママショップ安藤に行ったり、肉のカンショクでとんかつ揚げてもらったり。
クリーニングは岡村さんに出していたし、散髪はアオキさんにお願いしていた。
もう当時いらっしゃった方はかなり亡くなってしまったんでしょうね。
久しぶりに昔を思いました。ありがとうございました。
もう一つ。
笑顔で交換 シル の看板ですが、銀座商店街にはシルバーチップという独自のスタンプがありました。
専用の台紙もあって、一冊分はると500円分の買い物ができたと記憶しています。
コメント嬉しいです!ありがとうございます!!
シルバーチップというスタンプがあったのですね…今は想像つかないくらい賑わっていた様子を感じます。記録できて良かったです。
恐竜公園じゃなくて怪獣公園でしたね、と書こうと思ったら、今の子は恐竜公園と呼んでいるようで。
商店街の向かいが綺麗な公園になっているのもびっくりでしたし、その上の方(バス通側)が団地じゃなくて戸建てエリアになっているのもびっくりしました。
そういえばスポーツ店も減ってしまいましたね。今の子は体操服とかどこで買ってるんですか??
元々の風景を知っている方からすると公園になっていて驚きですよね…私も昔を見たことが無いので建物があったとは信じられません。体操服は学校の近くにあるお店で買ってましたね~
はじめまして。
約30年振りにこちらのBlogに登場するホットバターを思い出すような場所に出張で行き、今はどうなっているかな?と検索していたところ、こちらにたどりつきました。
私は1980年代後半〜1990年中頃、ホットバターの常連でした。このカフェは私たちのグループの溜まり場で、携帯電話がなかった当時、週末、ここに行けば必ず誰かがいる…あるいは、誰かがマスターに行き先を言い残している…そんな場所でした。
友人達が自然発生的に車で集まり、土曜日の夜は船橋港で行われていたゼロヨンレース(非合法なのであまり大きな声では言えませんが…笑)や筑波山に出掛けたり、冬場はスキーに行ったりしていました。
年末が近づくとマスターが中心になって、我々常連や近所の若者達を観光バス一台分集めて、白馬八方尾根スキー場で年を越すのが恒例の行事になっていました。(先日出張で八方に行き、色々思い出していました。笑)
「私をスキーに連れて行って」でスキーブームが巻き起こった頃のお話しです。
調整池やら、建売住宅(?)やら…周りの風景の変わり具合にビックリです。(当時どうなっていたか思い出せないくらいの変貌振りですね…調整池の辺りは確か、長屋のような作りの公団が立ち並んでいて、先輩が住んでいたと記憶しています)
ちなみに「勝味」はホットバターのマスターのお母様が切り盛りしていたトンカツ中心の定食屋さん(夜は居酒屋かな?)でした。一時期ダンススタジオのような事もやっていた気がします。
それにしても、本当にDeepなBlogですね。他のコンテンツも馴染みのある地名(大久保や津田沼など)がちらほら見えるので、楽しませて頂いてコメントしようかと思っています。
…って、このBlogを書いている明里さんは女子大生…と、いうのに驚愕しました。もうプロ並み…イヤそれ以上の取材力ですね。
方向性は違いますが、私も以前、フリーのトラベルマガジンを企画・取材・編集・デザインしたりしていこともあったので…
(今はWordPressを使ったWebサイト構築やら、DSRL撮影によるPV作成などを生業にしながらトラベルマガジン復活のためのスポンサーを探しています。笑)
まだ全部拝見し切れていませんが、このBlogの今後を楽しみにしております。がんばってくださいね。
素晴らしいブログ!
石塚商店は未だ頑張ってますね!その隣にはかつて堀川整骨院もありました。
丸山食品が跡形もないのは寂しい…その近くにぶんごやも出来たけど、すぐ閉店したかな。
昭和の時代の話だと
>また、この場所が駄菓子屋で通っていたという方の話もある。
「かたおか」という、ひらがなのお店ですね。ここは40-50年代生まれの子供たちの溜まり場でした!
10円で遊べる(当たればそれ以上のリターンがある)パチンコやコインゲームも人気でした。
>プールがやっている時期限定でお菓子やカップ麺等の軽食を食べられるお店
佐久間商店だったかな?「さくま」と皆呼んでました。私もカップ麺食べましたね^^
コメントありがとうございます!大穴の商店街、力を入れて書いたので情報を頂けて嬉しいです^^
昔高根公団に住んでいた者です。大穴のプールが懐かしく検索していたら辿り着きました。
先日久々に高根公団付近を通ったら、まるで違う景色になり驚きました。
もしかしたら石塚商店は同級生のお店かしら?などと昔を懐かしむ機会をくれてありがとうございます。
またゆっくり散策出来たらいいなぁと思います。
令子さん、コメントありがとうございます!
地元の方に読んで頂けて嬉しいです。地元の方に話を伺うとプールの話良く出てきたので、記事に書いて良かったなと思いました。
また機会がありましたら散策してみてください!
大穴は懐かしいですね。
昭和44年から46年まで、「新しい建物」のシャッターが閉まっているところ(1階)で両親が食料品店を営んでいました。右側の細長いシャッターは2階店舗への階段で、昭和45年ごろに若いお兄さんたち数人でイタリアンレストランを開いていましたよ。当時10歳の私は、開店祝い(?)にナポリタンをごちそうになった記憶があります。そして店の前には、お兄さんの愛車であるゴールドのポンティアックが停められていました。つまり「新しい建物」ではなく「外装をきれいにした」というのが正解で、当時の雰囲気も十分に残っています。ただし、色はグレーではなくベージュのモルタルだったかな。
石塚商店へは、父のたばこ「ハイライト」2つをよく買いに行かされました。父が脱サラして習志野台から越してきて、最初はイシイの佃煮とハンバーグを売り、その後食料品一般を扱い、そのうちに母が仕事のからわら店の前でおでんや焼きそばを作って売るようになりました。テーブルとイスも2~3脚用意していたと思います。店はなんと言ったかな。さつきが丘団地に移ってから「美鈴商店」を名乗っていましたが、大穴の末期にも使っていた記憶があります。そうでなければ「鈴木商店」ですね。兄や私は、友だちや近所の人たちから「おでん屋さんの子」とか「焼きそば屋さんの子」と呼ばれていました。
数年前に行きましたが、まさにビックリですね。目の前の団地が地盤ごと消滅してしまっているのですから。異次元に飛ばされてしまったかのような見事なものです。