大網の商店街に残るレトロな薬舗「石井薬局」と銀行建築 -大網⑶
大網で特に好きだと感じた建物が「石井薬局」でした。ガラス看板にステンドグラス、年代を感じる薬品の瓶が並ぶショーケースは眼福です。その他、周辺の大網の近代建築をまとめています。
レトロな薬局そのままに「石井薬局」
千葉県大網白里市大網。前回のつづきで、本宿から下宿へ歩いていると、カーブ沿いに建つ巨大な2階建ての建物が眼前に…!
みて下さい、この美しいガラス看板…!そして八角形のステンドグラスがタイルの壁で囲まれている。なんてオシャレな外観なのだろう。
ガラス看板、割れやすいのによく今まで綺麗に残っていたな…奇跡だ。
そして1階部分のガラスのショーケースも保存状態が良い。廃業当時の昭和のまま、時が止まっているような雰囲気。このまま放置しておくのが勿体ない。
明治大正の建物は文化財として登録されるが、こういった昭和の建物は軽視されがちだ。どうにか保存できないものか…
たばこも取り扱っていたのか、ホーロー看板が残っていた。2012年時点で既に閉まっている。
ああ…美しい。この建物を見れただけで、大網に訪れた価値があるなと思った。
興奮を抑え、引き続き探索を進めます。一人で探索していたので、あまりに薬局の前で長居していると怪しまれそうだと思った。
石井薬局の北側に位置するのは「行木小間物店」。こちらもなかなか渋い外観。
広々とした交差点。角の右側の建物は、昔スーパーが入っていたと地元の方に教えていただいた。
さらに道沿いに北へ。明らかに最近建てられたと思われる新築物件。ここにはどんな建物があったのか、と昔を思わざるを得ない。
2018年頃まで、古い商家が残っていた。二階の窓ガラスが美しい…
庭もあり広い敷地だったが、すべて更地となり、新築住宅街に。
旧千葉銀行大網支店(熱海輪店)
大網白里市大網686-1。こちらは近代建築好き必見!「旧千葉銀行大網支店」の建物である。国登録有形文化財!
千葉県のホームページに詳しくまとめられている。
熱海輪店は、昭和45年(1970)まで、銀行として使われていた木造2階建、瓦葺の建物。大正10年(1921)に建築された。現在は、自転車、バイク各種の取扱販売店。
外観部分は、当初、表面にモルタルを塗り目地を付けて石造りに見せるという当時の商業建築特有の様式だったが、現在は近年の改装で、このモルタル塗り石目地仕上げからタイル張りに変更してある。
屋根にあるパラペットの中央には、中心に紋章飾りを据えた半円アーチの装飾をつけていて、特徴ある表構えを構成している。また、縦長にデザインされた上げ下げ窓が現在も残っている。玄関の庇を支えている持ち送りも意匠に優れており、あわせて建築当時の雰囲気をうかがうことができる。大正時期銀行建築の骨格を留めている近代建造物のひとつ。
大正10年築の銀行建築。改装前は、タイル張りではなくモルタル塗りだったというので今とは多少雰囲気が違うかもしれない。確かによく見るとタイル張りが浮いているようにも見える。
パラペットの中央の丸い部分、銀行のマークのレリーフでもはめ込まれていたのかな?穴が見える。
県内に残る銀行建築の中でも個人的に好きなパラペットの意匠。千葉県の一覧については以前まとめたのでぜひ↓
隣にあるのは、中田洋品店の建物。
水色のトタン板で覆われているが、柱がタイル張りでおしゃれな洋品店の雰囲気を醸し出している。
大網・新宿の昭和な街並み
バス停は新宿。本宿からは少し離れた北側のエリア、比較的新しく発展したのでしょうか。
電柱の影に隠れている鐘撞を発見!大網ではこういう低い位置にある鐘撞をよく見かける。
隣には古い門柱がある邸宅。表札はかかっていないが、元病院のような佇まい。
向かいにあるのは、藤屋商店。甘酒・麹・味噌を扱っている。
隣に、味噌のホーロー看板が。
”品質本位 最上味噌 大網町 藤屋商店醸”、味噌の醸造会社であることが分かる。
現在は麹の販売を行っているそうで、検索してもあまり情報はなく、隠れ名店といった感じ。以前、八日市場で見かけた「味噌甘酒麹 藤屋」の看板を思い出した。
もしかして、ここの支店かな?→八日市場「西部商店会」。麹藤屋の趣深い建物 -八日市場⑵
並びにあった「田辺房吉商店」は閉店しているようだった。
そして向かいにある個人宅。こちらも元々は塀がなく、商店だったのだと思う。
閉まっているのと街灯の看板も撤去されてしまっていて、元の店名が分からないお店が多い…
クリーム色の外観の「高田はきもの店」は看板が残っていた!最近まで営業していたのかな。
商店街の街並みはこの辺りまで。次は歴史的価値が高いと個人的には思う病院建築が待っていました。
(訪問日:2021年9月)
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もっこり公爵でございます。
いよいよ、旧市街地中心部のリポートですね。本日も長文のコメントになりそうですが、何卒ご容赦願います。
さて、今回のハイライト・石井薬局ですが、残念ながら当方は入店したことがありません。既に新市街地の店舗に移転していたのかもしれません。
しかし、行木小間物店は、なかなかの物件です。よくぞ取り上げてくださいました。建物の状況はリポートのとおりですが、店舗の現役当時(おそらく平成初期頃迄)、なぜか店頭に「東金まで○km、白里海岸まで○km・・・」などと、明らかに歩行者向けの手書きのボードがありました(他にも目的地が何か所か。○には具体的な距離が記されていました。歩行者向けのベンチも併設)。また、このお店のご主人(あるいはご隠居?)は、当方の小学校在籍当時(昭和56年度~61年度)、毎朝交差点で交通安全の旗振り・児童の誘導ををしていらっしゃいました。
続いて、「広い交差点」の写真について、コメント申し上げます。リポートでは、「右側の建物にスーパーがあった」と地元の方の証言が掲載されていますが、これは逆になります。スーパーがあったのは、左側の更地?です。「小宮フードセンター」という屋号で、昭和末期ごろまで営業していたと記憶しています。この交差点に、各方面へ向かうバスの停留所がありましたので、バスを使っての来客者で、大いに賑わっていました。コメント中の右側の建物は洋品店(シマヤ?だったか)でした。外壁は白く塗られていて、店内はかなりの広さでした。当方の記憶が鮮明なのは、自身が利用した記憶があるのと、平成6~8年度、この建物の3階にありました個別指導塾(M光義塾)でアルバイト講師をしていたからです。ただ、この頃洋品店は既に閉めていました。
なお、平成7年頃までは交差点正面の青信号裏手に理髪店があり、三島薬局も現役、その隣におそらく大網で最初の持帰り寿司店「市松すし」が営業(平成初期迄?)していたなど、先述のバス乗り場とも相まって、旧市街地の中心地でした(後述の旧役場の存在もあるかと思います)。
熱海輪業では何度も自転車のパンクを直してもらいました。信じられないかもしれませんが、昭和末期頃迄、店内の一画で天婦羅を揚げて売っていたのです。大網幼稚園に通園する園児を迎えにきた母親たちが立ち寄って、揚げ物を買って帰るのです。確か暖簾も出ていたような?残念ながら味は忘れてしまいました。リポートにありますとおり、以前はモルタル風の仕上げで、一般的な大谷石のような色合いでした。いつの間にか、煉瓦造ふうになりました。
医院風の建物は、ご明察のとおり「順應堂」という医院でした。母が鎌で脚を怪我したときに診察・治療して頂きました。処方薬の包み紙が、如何にも古風な桃色のなものであったのを記憶しています。先生の自家用車も建物に似つかわしい、クラッシックなものでした(当方、車関係は詳しくないので、車種は分かりません)。医院左手の道を進んだ突き当りが旧大網小学校、その手前右手に旧大網町(昭和の大合併以降大網白里町)役場の建物が平成3年頃まで残っていました。木造2階建てで、以前のリポートでご紹介いただいている千葉市内の旧役場よりも大きな建物でした。末期は近隣商店の倉庫代わりに使われていたようです。小学生当時、写生の題材になりました。尤もその絵は残しておくような出来栄えではなかったので何処かにやってしまいました。
田辺商店は、米・卵を扱っていました(店頭に鶏卵の自動販売機が置かれていました)。コンビニ風の建物は、「なかしか」という食料品などを扱う商店でした。外観はコンビニですが、チェーン店ではなく、早朝・深夜は営業していませんでした。同類のコンビニ風個人商店は、かつてはそう珍しいものではなかったのですが、いつの間にか姿を消してしまいましたね。近頃、当方の住む都内某所でも閉店してしまいました。実に多くの個人商店が軒を連ねていたのですが、ほとんどが営業を継続できなかったのが、厳しい現実ですね。長くなりましたので本日はここまでとします。
コメントありがとうございます!本当に本当に嬉しいです。ありがとうございます。
「東金まで○km、白里海岸まで○km・・・」などと、明らかに歩行者向けの手書きのボード
→これは見てみたかったですね。ここから歩く方が多かったのでしょうかね。気になります!
「順應堂」、知る事が出来て良かったです!今も風格が残っていますね~