内浜公園(佐藤尚中誕生の地)&鶴嶋製作所がある裏道 -小見川⑽

小見川の町を隅々まで探索している途中、地図上には特に載っていないが裏道も歩いてみると新たな発見がある。今回は、小見川の著名人、佐藤尚中氏生誕の地を中心に紹介する。
須賀神社の周辺
千葉県香取市小見川389。前回の割烹春本の裏手にある、須賀神社の通りを歩いている。

静かな住宅街だが、蔵がある昔ながらの大きな邸宅がまだ残っており、在りし日の小見川の繁栄を見ることができる。

須賀神社は近くにもう二つあり、こちらは北側の須賀神社。この時あまり気にしていなかったけど、門柱が古そうだ…

裏通りなので車も人もあまりいない…のんびりと散歩することができる。

同じ通りにある、もう一つの須賀神社の近くに、下部だけ古い街灯が残っていた。「小見川町商店街(協)」とある。

2012年の時には既に折られているが、かつてはこの通りも商店街だったのだろうか…神社の向かいで、千葉屋酒店が営業していたが商店街の雰囲気はあまり感じられないなあ。
以前、小見川の花街について記事でまとめたが、須賀神社を中心に花街が形成されていたということを知った。「堂の前」という名称もあったが、たぶん今回歩いている辺りのことを指していると思う。だが、今はそんな面影も全くなく、静かな道が残るだけである。
またわかったら追記したい。
内浜公園(佐藤尚中誕生の地)
公園にしては門柱が古く気になるなと思ったら、この公園の場所は県指定史跡として登録されているようだ。昭和12年に登録された。

入り口に「佐藤尚中誕生の地」と記念碑が建っている。そういえば、駅前ロータリーの整備に伴って、小見川駅の北口にも佐藤尚中の石像が設置されている。合わせて見学したい。

詳しい説明看板もあり助かる。この内浜公園は、小見川藩主内田候の侍医であった山口甫僊(ほせん)の邸宅跡であるという。佐藤尚中について、私はほとんど情報を知らなかったので千葉県のホームページから引用させていただく。

山口舜海(しゅんかい:佐藤尚中)(1827~1882)は、文政10年(1827)下総国小見川で小見川藩の医師山口甫僊(ほせん)の次男として生まれ、江戸に出て西洋医学を学んだ。師の佐藤泰然(たいぜん)が、佐倉藩主堀田正睦(まさよし)に招かれたのに従って佐倉に移り、「順天堂」(本書188頁)の外科医として多くの患者を救い、また、多くの塾生に、蘭学の指導を行った。
江戸時代末期に小見川で生まれ、順天堂の2代目堂主として佐藤泰然と共に活躍。

そして、嘉永6年(1853)、泰然の養子となって佐藤姓に改めた。万延元年(1860)頃には、「尚中」という名前を使うようになります。明治2年(1869)に、尚中は政府に招かれて大学東校(現在の東京大学医学部)の中心となり、その基礎を築いた。その後、東京に私立の「順天堂医院」を開いたが、それが発展して今の順天堂大学となった。
そして、明治になってから「順天堂医院」を開設。現在の「順天堂大学」の礎を築いた人物が、小見川出身だったとは知らなかった。それほど、小見川は城下町としても発展を遂げていたことが分かる。

「尚中先生産湯の井戸」も残されている。地域の方々に大切に保存されているのが素敵だなと思った。

鶴嶋製作所
内浜公園の向かいにあるカフェ「弘鈴庵」が気になる。雑貨小物などがびっしり並んだオシャレな店内の写真をネットで見て入ってみたいなと思いつつも、営業している様子が無かったので断念。

そのカフェの向かいにある蔵。台形のような幅広い形!今まで見たことが無いタイプだな~

100年以上前の蔵らしい。隣の建物と繋がっている様子。

同じ並びに商家建築。期待を裏切らない、素敵な建物です。でも営業していない様子…?と気になった。

門に「株式会社鶴嶋製作所」とある。
かつては、造り酒屋で現在は電子部品のメーカーだという。なるほど、造り酒屋だからこんなに大きな蔵があったのですね~
後で知ったが、門が開いていれば、中に入ってお庭の見学をすることもできるらしい。門には何も書いてないし、人もいないので分からなかった…

鶴嶋製作所のホームページに、歴史がまとめられている。
江戸末期より蔵元として清酒造りを開始、昭和37年10月に蔵元を廃業したらしい。

時代の変化に合わせて事業形態を変えつつも、老舗の佇まいを残しているのは良いなあ…
小見川町商店街の通り
鶴嶋製作所から南へ伸びる通り、川沿いの銀座通りの一本西側の通りで、特に名称などはないが街灯が並んでいるので商店街だろう。

このまま進むと、本町通り。街灯が同じなのでここから一帯が同じ商店街であることが分かる。

右手には「株式会社八木善本社」とある建物。現在は使われていない様子?

軒下に、電話番号219。小見川は電話番号のホーロー看板が随所に残っているので嬉しい!!

丁字路の角にある建物も2012年から貸店舗のまま。

その向かいには、お惣菜店の「マルスン」というお店があったが閉店。

地図にも載っている文具店の「西の宮商店」が右手に。

明治26年に建てられたという120年を超す建物らしい。店内には、古い什器や、ドリフターズのステッカーなどが残っているというが、またしても事前に知らなかったので店内には入らなかった私。

2012年の時は、コクヨの大きな看板が掲げられていた様子。

毎日新聞の店舗の壁には、ホーロー看板がずらり!これは嬉しい~

小さな鳥居と古民家の佇まいが素敵な一枚。地図には載っていないので、自分で歩いて発見するのが楽しい。
2012年のストリートビューを見ると、「紳士服・婦人服修理致します 吉高屋」とある。

左端には、たばこのショーケースも。修理店でもたばこが販売されていたんですね~
記事を書いているときに気づいたが、たばこのホーロー看板を見逃した。一人だと見逃しが多いな~…

「珈琲の店 わぁんふぁいぶ」
手前はコインランドリーで、店舗は奥にあるようだが閉店した雰囲気だった。


衣料品店「明治堂」、向かいには書店「山忠屋」があったが更地になっていた。

裏通りを中心に歩いたが、人目につかずひっそりと残っている建物に出会えて楽しかった。もし昔の様子などをご存知の方がいたらコメントください~
※今日の記事、予約投稿するのを忘れてしまい、更新時間が遅くなりました。すみません!
(訪問日:2021年7月)
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小見川について検索していたらこちらにたどり着きました!
この近所で幼少期〜高校時代を過ごした者です。
小見川商店街の「マルスン」という店舗は「マルブン」と読みます。祖父に連れられてお寿司やおにぎりを買いましたね。
またその向かいの貸店舗は確か食器屋さんでした。「かどまさ」もしくは「かどまつ(?)」というひらがなの店舗名だったと記憶しています。
お茶屋、果物屋、食器屋、金物屋、呉服屋、定食屋など、とにかくあらゆる老舗が並んでいましたが、2002年ごろから軒並み閉店、廃業になってしまいましたね。
こちらの記事を拝見し、とても懐かしくまた地元に来ていただけることが大変嬉しく思います。
これからも読ませていただきます!
めぐこさん、コメントありがとうございます!
地元の方からの情報は大変貴重なものですので、助かります。小見川は個人的にも思い出があり、年末に丸山旅館にも宿泊しました。また記事にまとめますのでお楽しみください!