「メーヤー館」大正2年築、ヴォーリズの設計が新宿から移築-大網⑺

「メーヤー館」大正2年築、ヴォーリズの設計が新宿から移築-大網⑺

大網、今回は大正時代の教会建築を一目見ようと商店街から少し歩いて東側へ。大網にこんな素敵な洋館があるとは、びっくりですね~

JA山武郡市大網山辺支所

千葉県大網白里市大網277−1。前回まで歩いていた商店街から離れて東側へ。まず見えてきたのが、JA山武郡市大網山辺支所の建物。

JA山武郡市大網山辺支所と民家

表通りから一本裏へ入ったところ、裏に隣接して石造りの蔵が建っていた。倉庫かな?

JAの倉庫?
奥行がある

蔵がある裏通りを少し歩くと、元病院のような建物と遭遇。2014年のストリートビューを見たら「橋本医院」の看板が街灯についていたので病院だったことは間違いない。

橋本医院

現在は入り口の門柱にあったプレート、街灯の看板は無くなって閉業しているようだった。裏通りも見逃さないように、1本1本の道を探索することを心がけています。9月だったので残暑が厳しかったです…

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メーヤー館(大正時代の教会)

千葉県大網白里市仏島184−6。黙々と歩いて東側の教会建築を目指して歩いていた。大網白里市役所を超えた東側にある。

商店街から遠ざかっているので、こんなところに古い建物が存在するのか不安になってくる風景。

大網白里市役所の東へ

しかし、そのような不安は一瞬にして消えた。周りに建物が無いおかげで、目的の建物の全体像が遠くからでもよくわかる。これが、メーヤー館か!

目的地のメーヤー館

あまり知名度が高くないのか、この建物についてネットに載せている方は少なそう。確かに大網駅から歩くと20分以上はかかるし、車で訪れる人が大半なのかなと思う。駐車場もある。

美しい洋館だな…

行政書士八角浩史事務所のブログ「大網白里の新SPOT、メーヤー館!!貴重なヴォーリズの建築物で洋食を堪能しよう!!」に詳しくまとめられている。

大正2年(1913)にW.M.ヴォーリズの設計によって、福音協会宣教師P.S.メーヤー邸として建造されたものだそうだ。また、かつては新宿区下落合の二本聖書神学校内にあったが、平成18年から平成24年、6年かけて移築作業が行われ現在の地に。

元々は東京にあったものを、大網白里へどうして移築したのだろう。このような大規模な建物を移築するのはかなりの費用がかかりそうだが…

煉瓦積みの煙突も!

現在はレストランが営業中。しかし、土日祝が休みらしく、私が行った日もお休みだった。社会人だと行くタイミングが難しいな…

メーヤー館
メーヤー館入り口

もし平日のランチで行くことが可能な方はぜひ…そして私に情報をください!

本日は終了

貴重なヴォーリズ建築。千葉県だと市川市の「日本福音ルーテル教会」などがあるが、メーヤー館の建物内も見学してみたいな…この日は外観だけ撮影して足早に退散。

ヴォーリズ建築
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追記:メイヤー館の歴史

記事を公開後、メイヤー館についての情報を頂けたので追記します。

nardo_bisさんのInstagramの投稿に詳しく記載されているとのことです。
掲載されている3枚の画像も素晴らしいです。ぜひご覧ください!
画像1・2: 下落合(日本聖書神学校)時代。1999年
画像3〜6:移築作業中(大網白里)。2009年8月
画像7〜10: 竣工式典の日。2012年5月3日
落合の歴史を掘り下げる落合道人さんによるブログでさらに詳しく執筆されています。
https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2009-07-20
明治末期にが開拓伝道のために来日したメイヤーが、現在の新宿区下落合に定住し、その敷地に住宅(現メイヤー館)、礼拝堂、幼稚園など数棟を建築(目白福音教会)したそうです。
しかし、W. M. ヴォーリズの設計と判明したのが2009年と意外と最近で驚き。
戦災などを経て、メイヤー館だけが敷地に残り、日本基督教団 東金教会牧師の中村さんが、私財をなげうって千葉へ移築することになったそうな。
また、現在のカフェの入り口が建物の正面ではないので、今度レストランが営業中の時に見学しに行きたい。
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東金信用組合と石原はきもの店

メーヤー館は定休日だったので、周辺の探索を再開。

どこか面白い場所はないかな~

「大塚釣り具店」が営業中。

大塚釣り具店

建物の脇に、”皆さんと共に栄える 東金信用組合 大網支店”の錆びた看板が残っていた。

東金信用組合 大網支店

あまり聞いた事が無いなと思い調べてみると、「銀行変遷史データベース」に、東金信用組合は昭和26年~昭和63年まで存在したと書いてある。昭和63年に「千葉県商工信用組合」に合併、改称されたらしい。今は無き銀行を知る事が出来て嬉しい。

釣具店入り口

大塚釣具店の横には、バス停「住宅入口」。住宅街の入り口ってことかな?

住宅入口

商店街といった雰囲気はないので、そのまま道なりに北へ。
下の写真、左の並びには最近まで「養老乃瀧」の店舗があった。

養老乃瀧

交差点の角、現在は閉まっているが近代建築のような雰囲気を醸し出す洋風な建物が残っていた!これはノーマークだったので嬉しい。ワクワク。

交差点の角にある建物

角にある建物は、蔵造りのような感じもする。瓦屋根に窓が三つ。しかも、左だけが四角い窓で、建築者のこだわりを感じる建造物だなと思った。

 

窓が可愛い

街灯の看板を見ると「石原はきもの店」とある。隣には「石原セトモノ店」とあるので、履物店と瀬戸物店を両方営んでいたのだろう。

石原はきもの店
高級はきもの
レトロな照明

また、2014年のストリートビューを見ていたら向かいにレトロな「積田歯科医院」の建物が映っていた。現在は取り壊し工事中でした。

そして、石原セトモノ店の隣の敷地の奥に蔵を発見。

蔵が残っていた

ここには、「斎藤米店」の店舗が存在。蔵だけ解体されずに残されたのだろう。

米店の蔵

そして、並びには「白石時計店」。こちらも閉まっている。

白石時計店

そしてこちらは、「写真のシマヤ」。隣は「佐藤洋服店」。

写真館と洋品店

この通りは現在はひっそりとしているが、昔は日用品の買い物に多くの方が訪れたのではないだろうか。

たまたま通りかかった地元の方に話を伺うと、やはり商店街だったらしい。昔はもう少し店舗があったと話されていた。

浜田屋酒店

この通りを記録に残している人は少ないのでは?メーヤー館から探索して正解だったな~

 

(訪問日:2021年9月)

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