「野田銀座会商店街」アーチのイラストとともに -野田⑹

野田市駅周辺、かつてメイン通りよりも賑わっていたという商店街を探索しているシリーズです。
このあたりには、花街としての歴史もあり、その情報については全開の記事で紹介しているので見てください。今回は、新道通りから真っすぐ進んだ「野田銀座会商店街」を歩く。
野田銀座会商店街
昭和の商店街を歩いていると、銀座会商店街と名付けられた場所をよく見かけるが、銀座と名付けるのはかなり栄えていた場所だからだと思う。
前回の新道通り(野田一番街商店街)から交差点をまっすぐ進むと、「野田銀座会商店街」に当たる。この交差点は、4つの大きな商店街が出会う地点であるため、とても賑わっていたんじゃないかな。

野田市中野台、角にあるマスダは特に大きいお店で、現在は営業していないようだが、衣料品から果物、花まで販売していたみたい。「ぼくの近代建築コレクション」というサイトで2006年の写真が載っている。

実は、銀座会商店街の入り口にはアーチがかかっていたらしい。平成19年の写真で確認できるものから、イラストを描いた。

質素なつくりだが、野田銀座会の赤い文字が目立つ。両脇に設置されていたらしい。
野田の銀座の現在
銀座と名付けられた商店街も、現在はシャッターが閉まり、人の気配を感じない商店街になってしまっている。
軍次屋と看板が残るお店は、飲食店のようだ。

向かい側にある建物もお店だったのだろう。

隣のあかしというお店は「お好み焼き・もんじゃ・焼きそば」などと看板が残っている。

両隣が空き地。元々なのか、取り壊されたのかわからないが再開発されずにこれだけ商店街の名残の建物が残っているのも凄い。


パブは現在も営業しているみたい。


現在も営業中
野田銀座会商店街の端にある蕎麦屋「住吉」。

その向かい側にあるのは国際パブティアラ。看板建築みたいな建物のつくりをしている。

かつてはその奥にも、商店が続いていたようだが、工事中の壁が見える。奥に進むのはやめたが、商店街の姿は確実に変化しているようだ。
(訪問日:2020年9月)
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