野田、旧河岸問屋の文化財「戸邉五右衛門家住宅」と「野田橋親盛会」
今回は、野田市中野台周辺を探索。この辺りを街歩きしている人は少ないのでは?
意外にもこの場所にも商店街や文化財が存在しています。
中野台の看板建築~町田運命学鑑定所周辺
千葉県野田市中野台。前回のつづきで、野田市欅のホールから西へ、江戸川方面へ歩いている。
中野台169にある、旧山西商店。
一見すると新しい建造物に見えるが、昭和7年築だそうです。
「千葉県の近代産業遺跡」に昭和7年築の木造2階建てとまとめられている。タイルと木製の扉、シンプルながら良い味を出している。
表通りから一本、中野台の住宅街へ入ると木造の元商店らしき建物が見えてきた。
入り口が広いので、雑貨屋さんとか駄菓子屋さんのイメージ。今は朽ちるのを待っている様子。
さらに近くには、「解脱会野田中野台支部」。
解脱会、という宗教団体は初めて聞いた。昭和4年(1929)に創設され、本部は新宿区荒木町にあるらしい。
千葉県では野田中野台支部のみと思われる。
表通りへ出ると、交差点の角、荒井石材店の向かいに石碑群。庚申塔や道祖神など…
気になったのが、一番右の人の姿をしたもの。仙人のような形に見える。
また、右から三番目の石碑にも同じような仙人の姿が描かれている。他の場所ではあまり見かけたことがない形だったので思わず撮影。
野田の図書館に行った際に調べてみよう。今度の宿題。
また、欅のホールに至る表通りも「昭和会」という商店街だったことが2011年のストリートビューで分かる。
野田は各地に小さな商店街があった追い切れないなあ…
野田市中野台の交差点付近にあるクリーニング店。ホーロー看板付。
交差点を歩いていると、江戸川方面に向かって何やら不思議な雰囲気の場所が…
町田運命学鑑定所。電線よりも高い柳の木が周囲の雰囲気と逸している。こんな場所があるとは知らなかった…
町田運命学鑑定所のHPに最新情報や予約フォームの案内が載っている。占いのほか加持祈祷、お祓いなど行っているそうだ。
閑静な住宅街の中に、この場所だけ何か違うパワーを感じるようだった。
「野田橋親盛会」商店街
鑑定所から南側にある、野田橋下の丁字路へ。県道19号であり、大型車の交通量も多い。しかし、ここにも「野田橋親盛会」という商店街が存在するようだ。
南側にはヒゲタ醤油野田工場があるので、昔は栄えていたのだろうか。
丁字路の正面にあるのは、左から釣具店、和菓子屋?「峯和堂」、クリーニング店。
商店街と認識できないほど今は営業しているお店が少ない。
国登録有形文化財「戸邉五右衛門家住宅」
石碑が角にある場所を目印に、細い道を進む。
大きな松とキッコーマンフードテック㈱中野台工場の入り口。
その先にあるのが、国登録有形文化財の邸宅である。今回の最終目的地に到着。現在も住まわれているため、外から静かに見学します。
「戸邉五右衞門家住宅(とべごうえもんけじゅうたく)」。2007年に国登録有形文化財に登録された。
野田市のホームページに詳しい説明がある。
戸邉五右衞門家は、野田上河岸(中野台河岸)で江戸時代から河岸問屋を営んでいました。明治期に建造された主屋は帳場や座敷に河岸問屋の名残が認められます。この主屋と、隣接する重厚な外観の土蔵、2階に船頭部屋をもつ倉庫、通りに面した米蔵はともに昭和24年の江戸川改修に伴って現在の位置に曳き屋したものですが、江戸川舟運の隆盛期を偲ばせる貴重な建造物群です。
江戸川舟運の歴史を残す建造物群。
主屋、土蔵、倉庫、米蔵から成る。手前にある蔵は、米や味噌を収蔵し、背面側は養蚕部屋として使用されたらしい。
桁行5間、梁間2間の寄棟造妻入桟瓦葺の平屋建で外壁はモルタル塗。
また、主屋は見学することはできないが、2階建ての洋館が増築されているらしい。昭和初期に流行した応接間…良いですねえ。
野田橋近くの土手で眺める夕焼け。この後、本日宿泊する中川旅館へ向かいました。
(訪問日:2021年10月)
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