「野田市立中央小学校」昭和初期築、県内最古鉄筋コンクリート造校舎 -野田⒃

野田には国登録有形文化財に登録された、小学校の建物がある。昭和7年築の「野田市立中央小学校」は現存する県内最古級の鉄筋コンクリート造校舎であり、現在も美しい佇まいを魅せている。
野田市立中央小学校
千葉県野田市野田611。前回紹介した、旧流山街道沿いを歩いているとレンガ壁と門柱が残っているのが見える。ここが「野田市立中央小学校」。

大正6年築の旧正門。レンガ壁と立派な門柱、木製の看板が掲げられていてここだけ時が止まったかのよう…
門の先には石畳が校舎まで続いており、校舎までのアプローチも素晴らしい。初めて見た時は感動した。

旧正門から伸びる道沿いには蔵や古民家が並ぶ。右手にある蔵は、旧街道に面して営業中の片岡ミシン紹介の所有かな?

でもミシンのお店に蔵?不思議だなと思ったら、片岡ミシン紹介の建物に「糀屋」の文字が残っていたので、元々は違う商売をされていたのかもしれない。
学校と関係ないけど、この通路沿いには昔どのような風景が広がっていたのか気になる。
昭和初期の学校建築
令和3年8月、野田市立中央小学校の3年館、7年館、旧正門が国登録有形文化財に!現存する鉄筋コンクリート造の校舎としては県内最古級だという。確かに千葉県には古い校舎はほぼ残っていない…

2棟の校舎は、大正12(1923)年に起こった関東大震災を契機として旧東京市が設計した「復興小学校」を範とし、耐震・耐火構造を重視しつつ先進的な教育思想を採り入れて設計され、昭和3(1928)年と昭和7(1932)年に建てられました。
校舎の内外には装飾が多用されており、3年館外壁の柱形(柱状に突出した部分)頭部には野田醬油(現キッコーマン)の亀甲紋が象(かたど)られ、7年館外壁の柱形はドイツ壁風の仕上げとされています。
関東大震災をきっかけに、被災した小学校を鉄筋コンクリート造に再建した「復興小学校」。東京では7件の小学校が現在も使われている。千葉県で調べたが、野田中央小学校くらいしか見当たらず。木造校舎は館山、佐倉に残っていますが…

また、「むらさきの里野田ガイド会」のホームページにも詳しくまとめられている。

まさか、野田醤油(現キッコーマン)のマーク、亀甲紋が装飾でついているとは…
現在こちら側は使われていないようなので、ひっそりとしている。訪れた時は夏休みなのでシャッターも閉まっていた。
また、創立110周年を記念して昭和58年に「教育史料館」が創設されており、貴重な資料を閲覧することができる。開館日は決まっているので事前に要チェック。
記事を書くまで史料館の存在を知らなかった…早速行かないと!!
展示室は三つ。第三史料館には、昭和3年建設当時のままの旧校長室には奉安殿も残っているらしく…
戦前、御真影・教育勅語謄本などを奉安するために学校の敷地内に作られたのが奉安殿で、撤去されている場所が多い中、現在も残っているのは貴重…最近千葉県内の奉安殿を記録中なのでぜひ一目見たい。
追記:2021年10月訪問
シャッターが開いているときに撮影しました。



シャッターから少しだけ見学しましたが、昔の校舎の独特な歴史ある雰囲気を感じました。今度機会があったらじっくり見学してみたいな。
(訪問日:2021年8月)
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私、この中央小を45年前に卒業しました 笑
そしてこの時代でも珍しい木造二階建ての野田二中の最後の卒業生でもあります 卒業と同時に解体されたのが42年前となりますね なので私の卒業アルバムは木造二階建校舎です きっともう資料と呼べるものになってますね 笑 取り上げて頂き有難う御座います 懐かしめました 実家は今も野田にありますし、同級生も地元でそこそこ名士になってるものもおりますので何か欲しい情報があれぱご協力出来ると思います 遠慮なくどうぞ
助川さんコメントありがとうございます。木造2階建ての校舎、千葉県にはほとんど残っていないので貴重な資料ですね。