野田「中川旅館」。昭和初期の洋館付木造旅館、商人宿への宿泊記 -閉業

野田「中川旅館」。昭和初期の洋館付木造旅館、商人宿への宿泊記 -閉業

野田市の中川旅館に宿泊。ここを知ったのはちょうど今から2年ほど前だった。表通りから見えた旅館の文字。そして、昭和初期に建てられたという近代建築。

全く情報が無い旅館だった。

しかし、恐る恐る電話をしてみると、優しいおじいちゃんが出迎えてくれた。

優しくて素敵な旅館だった。
けれど記事を書く前に、今年2022年3月末で閉館してしまった。これが最後の記録。

野田市駅から近く 商人宿へ

千葉県野田市 野田431−3。東武アーバンパークライン、野田市駅から徒歩5分ほどの立地にある中川旅館を目指す。この日は市街地を歩いていたので、東町通りから旅館へ。

東町通り

チェックインの時間を過ぎてしまい、電話をかけると「時間は良いよ~道分かる?」と丁寧に対応してくださった。予約の電話の際にも、道案内をしてくださり、情報が無い旅館とは思えないほど親切。

明るく光っていて安心

東町通りから一本裏道に旅館の入り口がある。確かに夜になると暗くて分かりづらい。

この辺りが入り口

旅館中川!ここですね!
向かいには、ビジネス旅館梓が営業中。

旅館中川

しかし、玄関があまりにも真っ暗で営業しているのか…と思い戸を開けると、玄関が二つあるみたいで場所を間違えていたみたいだった。とりあえず、無事に到着できて一安心。

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宿泊した客室

宿泊した客室は、先ほどの玄関を入って右手にある。30年ほど前に増築したそうだ。

比較的新しい!

御手洗いにシャワーも近くて嬉しい。

御手洗い

宿泊した部屋はこんな感じ。こじんまりとしているけれど、落ち着きます。

宿泊した客室
テレビもあり

タオルに歯ブラシ、着物と、全部揃っていて嬉しい。全く情報が無かったのは何故なのだろう。

チェックイン後に部屋で宿帳を書き、古い旅館に泊まることが好きなことを伝えると、そこから野田の歴史を歓談することになった。

アメニティも

普段はサラリーマンや、生活保護の方などが宿泊されているという。だから情報が無かったのかな。

昭和初期の建物だというのに、今まで近代建築好きが見つけていなかったのが不思議。

旅館での夜

宿泊する新館と、昭和初期に建てられた本館。

現在客室に使用されているのは新館のみ。

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お手製のお食事にほっこり

お食事は19時頃に。まさかのおじいちゃんのお手製!
本館の和室でお食事を頂きます~

夜のお食事

私が好きな物ばかり!!私何も伝えていないのに好み把握されている…?!と勝手に喜んでいました。

好みなご飯!!

2食付きで6千円。これで6千円だなんて。
おじいちゃんが一生懸命作ってくださったご飯の価値は、値段以上だと思う。閉業してしまった今、このご飯がもう二度と食べれないなんて悲しい。

朝食

※今更気づいたのだけれどご飯と味噌汁の位置が逆になっている…恥。すみません。

仲よき事は美しき哉。滲みるメッセージであった。

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昭和初期の近代建築が現存

ようやく、朝になって旅館内を探索。おじいちゃんに案内して頂きました。

そういえば、もう一つの玄関は木戸付。風情がありますね~

もう一つの入り口

本館は、築88年~90年が経過しているという。そうすると、1932年頃?昭和7年頃に建てられたと考えられる。

旅館としても同時期頃から営んでおり、現在3代目に。自身が生まれる前から旅館だったという。

本館の廊下にて

家族で営んできた旅館。現在のオーナーであるおじいちゃんも70歳を超えている。出来る限り続けていきたい、とは話していたが…

本館にある部屋

本館にある和室の部屋は現在は使われていない。美しい障子飾りが、光に照らされて浮かび上がっている。

障子飾り

和室の南側にあるガラス戸も、昭和初期から変わらず残っている。割れていないのが本当に凄い。

昔のままのガラス戸

その奥にあるのが洋風な応接間。今回、特別に見学させて頂きました。

窓が2か所。以前、塗装などを綺麗に塗り替えたそうだが、古い建物を大事に維持されている姿勢に感動した。

応接間
天井の彫刻
レトロな電話

そして、本館には帳場の跡も。昔は掘りごたつがあり、家族団らんの場だったそうだ。

帳場

新館を含めるとお手洗いが3か所。今は使われていない玄関を含めると、出入口は3か所になる。

御手洗いの扉

なかなか味わい深い旅館だ。

寅さんのポスターからも時代を感じる。

それをとっちゃあおしまいよ!
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風呂場が2か所

風呂場も2か所。新館には一人用のシャワーがある。

シャワー

本館の奥に進むと、二人用ほどの浴室。

浴室へ

驚いたのが、蛇口が無かったこと。取り払われたのかな?と思う痕跡だけが残っていた。まあ浴槽から水を汲めば良いでしょう…

浴槽
風景画のタイル

蓋を開けると、さらに昭和!

ピンク色を基調とした玉石タイルが敷き詰められた浴槽だった。各地泊まっているけど、タイルの浴槽は初めてかも。

タイルの浴槽

タイルの触感を楽しみながら入浴した。美味しいご飯を食べて温かいお風呂に入る。良い夜だったなあ。

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中庭から見る中川旅館

旅館を囲む中庭。こういう贅沢なつくりの旅館も、姿を消し始めている。

灯篭に立派な松の木

昨夜、暗くて見えなかった本館の入り口。なんと素敵な!

昭和初期のまま

左手が洋風の応接間。こうした洋館付住宅のつくりは、昭和初期にかけての流行だったという。

中川旅館の周辺にも、最盛期には20軒ほどの旅館があり、富山の薬売りやサラリーマンの方など宿泊する方が多かったそうだ。

外から見る応接間も見事。野田周辺のエリアでは、戦前、昭和初期の建物が旅館として現役で使われているのはここが一番古いのではと思う。

応接間外観
応接間の隣の出入口

チェックアウト後、お見送りの際には手を床について丁寧にあいさつをしてくださった。今までいくつも旅館に宿泊してきたけど、手をついてくださった旅館は初。

住宅街にある中川旅館

野田の昔話を2時間ほど伺い、「車があったら関宿にでも連れて行くのに」とまで言っていただけて。

木々で覆われている

「寒いから気を付けてね、歩くならこれ持っていきな」とサクマドロップスをお土産に頂いた。うう…最後まで優しさが身に沁みる。

お土産に

「また来てね、出来る限り営業していくよ」と前向きに話されていたので安心しきっていたが、半年もたたない3月末で閉業したという。

それまでに記事に出来なかったこと、もう一度宿泊できなかったことが心残りではあるが、素敵な建物とおじいちゃんに出会えて良かったです。

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旅館近くの「東町通り」

最後に旅館の北側にある「東町通り」。

東町通り

横に説明があるのだけれど、陰になっていて読みづらい…

丸嶋屋菓子店の所から野田高校通りへの道。大正年代末までは竹本横町とか富士見屋横町といわれた路地でしたが、昭和初期茂木要右衛門町長の時代に議員であった中川仲右衛門氏の提唱により開かれた道で、東仲町に存在するところから東町通りと称されています。

中川仲右衛門氏の提唱により開かれた道…先ほどの中川旅館の先代だったり?

現在の様子

これが最後になるとは思っていなかったが、中川旅館のおじいちゃんと一緒に撮影出来て良かった。良い思い出になりました。

 

(訪問日:2021年10月)

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