共楽館通り(幸会)娯楽の殿堂、映画館を中心に賑わった通り -野田⑻

醤油醸造で繁栄を築いた千葉県野田市、野田市駅周辺は、今回紹介する「共楽館通り」に花街の歴史が存在するなど繁華街として大いに賑わったという。
映画館も存在したという共楽館通りの現在について見ていきましょう。
野田の花街については↓の新道通り商店街の記事にて
野田の花街の歴史と新道通り。かつての「野田一番街」は現在… -野田⑸
共楽館通り
「共楽館通り」の「共楽館」とは、かつて千葉県野田市上花輪1546に存在した映画館の名称である。昭和43年に閉館した共楽館は、2階建ての洋風建築だった。昔の写真を見ると、「娯楽の殿堂」と看板に書いてある。
私が描いたイラスト。

映画館を中心に繁華街として多くの人が集まった共楽館通りには、花街も形成されたが、次第に商店街化していった。
現在は「幸会」
共楽館通りは、現在「幸会」と呼ばれている。

街灯の表示に、「幸会」の文字が残っている。

このあたりには4つの商店街が集合しているのだが、幸会は現在も比較的営業しているお店が多い印象だった。

岡田鶏肉店
訪れた時は店じまいをしている途中であったが、岡田鶏肉店は営業している。建物も含めて老舗感が漂う素敵なお店だ。

なんと、創業明治40年!だという。「新鮮卵をお客様に」をモットーに営業している。記事はこちら
1907年、先代の地域食堂から始まり、昭和28年から食材そのものを扱って今に至ります。
元々は食堂だったのですね…!コロナ対策もしっかりとしているらしく、プロが選ぶ食材は評判が高いのだとか。
岡田鶏肉店はもともと「岡田商店」だったが、最近看板が変わったらしい。
鶏肉店の隣にある建物も年季があるのだが、15年以上前に閉店しており、わからない。


焼き肉店・大衆割烹
駐車場や空き地が所々目立つ。

大衆割烹「磯屋」。ショーウィンドウに何もないので閉店してしまったのかな。

その隣の目立つ看板の焼肉レストラン「新羅苑」。高いビルだが、営業している雰囲気は無い。

カラフルな個性的な建物
幸会で一番好きな建物が下のスーパーと薬局の建物。

屋根の下には「うまいものならなんでも」との文字が見える。痺れるメッセージ!

スーパー魚藤と直井薬局のデザインがとても可愛い。かつて賑わっていた頃を彷彿とさせる個性的な建物が残っていて嬉しい。

スーパー魚藤はザ・町のスーパーという貴重なお店。店内のランプも素敵だな~

そして、2階には赤い鳥居が見える。スーパーに鳥居があるのは初めてみたぞ!

直井薬局のカプセルのデザインも珍しい。

薬局の前には明るい家族計画。こうした自動販売機が残っているのもレア。

怪しい路地裏
スーパー魚藤の正面、下の写真の右側にかつて映画館共楽館があった。現在は広い駐車場になっている。
その左手に舗装されていない路地がある。

進んでみると、いかにも古そうな建物が残っていた。

ここは麻雀などのお店だったらしいが、映画館の隣にあるので大人向けの遊技場があったのかも。


しかし、壁も隙間が空いているのでいつまで現存しているか…


左の空間、いかに映画館が大きかったのかがわかる土地。

共楽館通りの面影は
残念ながら共楽館通りの面影はほとんど残っていない。

それどころか、商店街としての賑わいも失いつつある。

野田市内を走るまめバスも商店街に停車するようだ。その隣にある古い柱も気になる…


奥に進むとリフォームや電気屋さんなど、生活に必要なお店が揃っている。


バナナ屋丸半商店
カルピスの看板が掲げられた商店。カルピスの看板、初めて見た。

こちらはバナナ屋丸半商店。

フルーツを販売しているお店だが、バナナが特に良いのだろうか?おイラストも素敵。

反対側には木造の建物。かつては隣にスナックリラというお店があったが、駐車場に。

その奥には大きな煙突?が見える。銭湯かなと思うくらい…

幸会の横道
交差点を右に曲がる。ロビン農業機械と書かれた竹塚機械店。

向かいのもじゃハウスになっている建物も竹塚機械店のお店。

大きなHONDAの文字が見える。

老舗寿司屋の久田家、そして右手に見えるレストラン紫乃は営業中。紫乃は高級料理亭らしい。

レストラン紫乃の左手にある道を進むと、ビジネス旅館「馬酔木」という旅館があるのを後から知った。しかし、情報があまりない。
まだまだ商店らしき建物は続く。このあたりの商店街探索は尽きない…が夕暮れの時間が迫っている。


手前にあった回転窓のような9つの窓がついたお店は、美容室だったのではないかと思う。

しかし、その隣にある巨大な3階建ての蔵が気になる…醤油醸造の蔵だろうか?

かなり立派な、類を見ないような蔵であるが放置されている。

共楽館通りとして一大歓楽街であった幸会も、現在は数店舗が営業を続けているのみとなっている。
(訪問日:2020年9月)
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確か野田には 姫駒屋 さんなんてのもありましたね!
あそうそう、よく こどもや でオモチャ買ってもらったなー。
金具屋のご主人耳をピクピク動かすのが得意でした。
野田に母の実家があり60年位前よく行ってました、懐かしいです。
米んちありがとうございます。素敵な思い出ですね~!
いまとは違って多くの方で賑わっていたのでしょうね…
野田は醤油の街でしたので、醤油を運搬する容器として樽の生産が盛んな街でした。
何しろ昔は凸凹道だったから、ガラス瓶では割れてしまい、輸送するのには不向きだったそうです。
樽を製造する会社は小規模の個人経営でしたので、昭和6年~12年間では133軒のも樽屋が共楽館通りの周辺に存在してたそうで、樽屋のこの辺りの商売に対する影響力は大きかった思われます。
この点銚子は早くから樽を大規模工場で大量生産してたので、事情は野田とは異なる様です。
野田の樽屋は昭和30年に入るとガラス瓶に押されて生産量は激減し、昭和40年に野田醤油株式会社から樽の取引停止を通告されてしまい、樽屋は終焉を迎えたのです。
恐らく昭和40年後は多くの樽屋が失業したので共楽館通り与えた影響は大きく、昭和43年に閉館した共楽館もその波を被った思われますが、明里さんはどの様に思われますか?
樽屋は新品を作る樽屋だけでなく、中古を作り直す専門の樽屋もあったそうです。
新品の樽は木の臭いが醤油に付くので、中古はそれが無いので重宝したそうです。
参考文献「野田と樽職人」野田市郷土博物館発行