裏道にある巨大な蔵の正体は?醤油の町・野田ならではの立派な蔵が現存

裏道にある巨大な蔵の正体は?醤油の町・野田ならではの立派な蔵が現存

野田の古き良き商店街を歩いていると、裏道にある巨大な蔵に惹かれた。一体どのような目的で使われていたのだろう?と疑問に思っていたら、野田らしい活用方法を伺って納得した。

野田「共楽館通り」商店街から

千葉県野田市中野台、以前にも紹介した「共楽館通り」の商店街を歩いている。

旧共楽館通り

共楽館、という映画館が昭和43年まで存在したため、共楽館通りと呼ばれていたそうだ。映画館を中心に、人の往来が絶えなかった通りだそうだが…

現在は人通りが無い

共楽館通りから西へ伸びる道は「野田銀座会」と呼ばれていた。10年前はアーチがあったが、今は撤去されており、銀座の面影も無い。

銀座会の通りにある果物と花の店「マスダ」とその隣の建物。

銀座会

ガラスにうっすらと電話番号と店名が書いてるようだが見えない~

ガラスに文字が

柱にも文字!「店内へご自由に」?一体何のお店だったのかな。

柱にも注目

銀座会をさらに進むと、窓の格子が美しい建物が。この辺りは解体されている建物が多いので、残っていると目立ちますね!

美しい窓ガラス

正面を見たら「呉服なかや」と書いてあった。呉服店としては閉まっている。

呉服なかや

手前にはスナックの建物があったが解体され、更地になっていた。

手前にはスナックがあった

呉服店の並びにある明治牛乳の澤田牛乳店は健在。

澤田牛乳店

さらに裏道を歩いていると、公文式野田中央教室の建物と遭遇。素通りしそうになったが、足が止まった。

公文式野田中央教室

重厚な扉に特徴的な窓、この建物は元々病院だったりしないかな~

入り口

公文式栄堂書院と書いてある。

公文式栄堂書院
窓がたくさん

公文式の教室のために建てられた建物にしては、病院や学校の雰囲気を醸し出している気がするが…

入り口と階段

そして近くにはビジネス旅館「馬酔木」。

馬酔木ビジネス旅館

馬酔木、皆さんは読めますか?馬酔木(あしび)と読むそうです。

意味は、ツツジ科の常緑低木で、本州・四国・九州の山地の乾燥した所に自生している。なぜ旅館名を少し複雑な名前にしたのか気になる。

あしび

見た目は民家のような旅館。この辺りでは唯一の古い旅館だと思われる。

旅館入り口
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野田の町に佇む巨大な蔵

ビジネス旅館の周辺をうろうろ。

閑静な住宅街

中華料理屋「ゆたか」。町中華が営業していて嬉しい。味噌ラーメン食べてみたいな。

中華料理屋「ゆたか」

レストラン紫乃は、旧店名が「割烹紫乃」。平成31年にリニューアルオープンしたと、「NODA-MATCH」が伝えている。

レストラン紫乃

私が行った時は閉まっていて、検索してもあまり情報が無いが歴史はあるのかな…

レストラン紫乃の近くで見つけた、大きな蔵。

存在感!!

現在は入り口にブルーシートがかかっていて、遠くからの方が全体像が良くわかる。街中に突如現れる存在感ある蔵に1人で驚いた。

裏側

しかも構造が今まであまり見たことが無い形。3階建てで、窓が7か所並んでいる。入り口の扉は1階部分に扉らしきものが確認できる。一体何の蔵なのでしょう?

3階建て??!

2012年のストリートビューでは、入口の部分にも青銅の屋根付きの木製の入り口があり、石畳と合わせて雰囲気のある感じだった。背の高い樹々と合わせて撤去され、現在は蔵の身が残っている。

さらに細い横道から、敷地への別の入り口を見つけた。

こちらは扉が残っている

そもそも、まだ舗装されていない砂利道が残っていることに驚いた。

舗装されていない裏道

入り口の横には、これまた立派な木造建築!窓ガラスをはじめ、改装されずにそのまま残っている。

裏道にある木造建築

完全なる裏道に構える木造建築。こちらが店舗のように思えるけど、商店街沿いではなく裏道で営業していたのには何か理由があるのかな。

窓が良い
持ち送り

野田で一番気になる建物。どうしても、このモヤモヤを晴らしたかったので、この日に宿泊した中川旅館で質問をしてみた。

地元の方によると、樽を保存していた蔵ではないかということ。野田は醤油の町ということもあり、樽職人が多くいたことを教えてもらった。

樽を保存するのであれば、巨大な蔵の存在意義もしっかりと認識できる。

現在は

「職人の住む町」で「野田和樽」について紹介されており、大正時代には樽職人が1200名いたと書いてあるのが衝撃である。

日本の樽の中で、最も力強く美しい樽が野田の醤油樽である。これは見た者の誰もがそう思うだろう。大正時代に1200名いた樽職人が、キッコーマンを中心として働いていた事を考えると、その勢いと伝統と、使われていた目的を色濃く残す用の美にドラマを感じる。

記事が執筆された時点で残り2名となっている。また、明和2年(1765年)創業の醤油樽の系統持続とのこと。

 

(訪問日:2021年10月)

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